Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

裁判所は東横線がお好き?

2022年09月20日 06時30分27秒 | Weblog
2022年10月 ビジネス・コートが開庁します

 東京ローカルの話題だが、来月、東京地裁の「ビジネス・コート」が中目黒(関東信越厚生局の庁舎跡地)に開庁する。
 「ビジネス・コート」で検索すると、BUSINESS COATの方が真っ先に出てくるが、開庁するのはBUSINESS COURT の方であり、従前の知財部、商事部と倒産部が一体化したものである。
 東京地裁は、既に出先として民事21部(民事執行センター)があり、これは東横線の学芸大学駅が最寄り駅である。
 「ビジネス・コート」も同じ東横線の中目黒駅が最寄り駅なので、東横線沿線に2つの”出先”が出来たことになる。
 ちなみに、横浜地裁の最寄り駅も同じ東急線(但し、こちらは「みなとみらい線」)の日本大通り駅なので、やはり裁判所は東急線と縁が深い。
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忖度と強制の間

2022年09月19日 06時30分00秒 | Weblog
森喜朗・組織委会長が「講談社は絶対認めない」 KADOKAWAのライバル社を排除《音声》
 「元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は、次のように指摘する。
「森氏に金銭が渡っていなくても、高橋容疑者がKADOKAWAから賄賂を受け取っていることを分かった上で、講談社にスポンサー契約を辞退するよう迫っていた場合、収賄の共犯になる可能性があります。恣意的な思惑で辞退を強く迫った場合は、業務妨害罪に抵触しかねません。いずれにしても、みなし公務員である組織委会長には、極めて高い公平性、公益性が求められます」


 政治家というものは、例えば賄賂を要求する場合でも、ストレートな言い方はしないものである。
 複数の解釈が出来る多義的な言葉を使うのが常であり、それが彼ら/彼女らの保身術の一つなのである。
 その意味からは、森氏の(講談社をスポンサーにすることは)『絶対認めない』という発言は、この不文律を冒したものということが出来る。
 この発言については録音記録があるそうだが、重要なのは、2017年5月の赤坂・高級料亭での密談(五輪汚職、森喜朗氏に迫る特捜部 角川歴彦会長らとの赤坂・高級料亭での密談全容)でのやり取りだろう。
 ここでの森氏の発言が、講談社の”辞退”を求めるところにあるのは明らかだが、具体的な発言内容いかんでは、強要とまでは言えない、よって業務妨害罪には問えず、講談社側の「忖度」があったにとどまるという評価もあり得るだろう。
 さて、この密談の録音記録は存在するのだろうか?
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翻訳の工夫(5)

2022年09月18日 06時30分35秒 | Weblog
ランボー「永遠」 Rimbaud ≪ L’Éternité≫
 「1872年、彼はヴェルレーヌと一緒にあちこち放浪していた。
 そして、腹が減ったとか(「飢餓のコメディ」)、我慢しよう(「忍耐祭り」)といった気持ちを、歌うようにして詩にした。
 「永遠」もそうした詩の一つ。
 その後、『地獄の季節』(1873)の中で、「言葉の錬金術」によって生み出された詩として歌われることになる。

 「1872年5月という日付が記されている原稿の「永遠 L’éternité」では、『地獄の季節』に掲載された版と、少し違いがある。
・・・違いは、« la mer mêlée / Au soleil »と« la mer allée / Avec le soleil »。
・・・海と関係する動詞が、alléeからmêléeに変えられていることで、海と太陽がより強く一体化して表現されている。
 ただし、allée は、中原中也等が訳しているような、「去(い)ってしまう」「去る」という意味ではなく、太陽と共に進むという意に介した方がいいだろう。


対訳 ランボー詩集 フランス詩人選1 中地義和 編
 (地獄の一季節(1873年)について)「1872年の版「太陽と/行ってしまった海」がはらんでいた、遠ざかりのダイナミズムはここにはない。」(p222)

 「永遠」と題するランボーの詩には、1972年のものと、「地獄の一季節」の「言葉の錬金術」中にある1973年のものの、2つのヴァージョンがある。 
 この2つでは、« la mer allée / Avec le soleil »と« la mer mêlée / Au soleil »という所に違いがある。
 この箇所の解釈は、非常に難しい問題をはらんでいる。
 1872年版では、おそらく、太陽が海とともに「見えなくなる」というところに重点があるだろう。
 中地先生も指摘するように、ここで「永遠」は、可視的/不可視的を行き来する「間欠的」(p222)なもの(ゆえに retrouvée 「また見つかった」)として把握されているようだ。
 ところが、1873年版ではそのようなニュアンスがなく、海が太陽に「混じった」ところ、つまり、流動的なものが恒久的なものと渾然一体化しているところに「永遠」の相を見たという意味合いがありそうだ。
 これを踏まえて、”回顧的な視点”から、1872年版の例の箇所を訳してみると、次のようになるかもしれない。

 「それは、太陽と連れ立って行った海だ

 
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翻訳の工夫(4)

2022年09月17日 06時30分35秒 | Weblog
追悼・寺尾次郎(2)~ゴダールの名を不滅にした『気狂いピエロ』で語られるランボーの詩の一節
 「また見つかった!何が?
 永遠が
 太陽と去った 海が
」(寺尾次郎訳)

 ゴダール監督が亡くなって、彼の作品を再度観てみようと思って記憶を喚起したのだが、「気狂いピエロ」は全くストーリーが蘇ってこない。
 なぜなら、作中で繰り返されるランボーの詩の記憶が余りにも強烈だからだ(翻訳力)。
 こうした現象は、ほかの監督の作品でもある。
 例えば、ルイ・マル監督の「恋人たち」なども、ストーリーは完全に忘れており、その代わりにブラームスの音楽(レザマン「予告編」)だけが強烈に記憶に沁みついているのである。
 というわけで、「気狂いピエロ」を調べていたところ、寺尾次郎さんによるランボーの詩の翻訳が見つかった。
(ちなみに、彼は、竹内まりやさんの「幸せの探し方」のフランス語部分の歌詞をつくった人でもある。)
 太陽と”去った”というところは、中原中也=金子光晴に近い表現である。
 さて、この詩はどう訳すべきだろうか?
 
 
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突き上げ

2022年09月16日 06時30分29秒 | Weblog
ロシア軍「拷問部屋」で40日間拘束され電気ショック…ゼレンスキー氏は東部要衝を訪問(読売新聞)
Ukraine live briefing: Zelensky visits reclaimed Izyum; E.U. moves ahead with emergency measures on energy(ワシントン・ポスト)
 「プーチンの同盟者であるチェチェンの指導者ラムザン・カディロフは、戒厳令とロシア国内での強制的な軍事動員を要求した。彼が電報の投稿で行ったチェチェンの有力者からの発言は、より強力な行動を求める戦争支持派の強硬派からのクレムリンへの圧力の最近の兆候の1つである。」(翻訳語)

 注目されるのは、プーチン大統領が、カディロフ氏のような強硬派から、「戒厳令とロシア国内での強制的な軍事動員」を要求されているとあるところ。
 右派・強硬派の突き上げが顕在化しているようだ。
 仮にカディロフ氏のような勢力が政権を握るとなると、核兵器使用の可能性が高まり、危険は増すだろう。
 ・・・それにしても、読売新聞の記事とワシントンポストの記事を読み比べてみると、前者は後者の一部を切り抜きしただけなのではないかと思えてくる。
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傑作の欠点(2)

2022年09月15日 06時30分46秒 | Weblog
定期公演 2022-2023シリーズAプログラム 第1962回 定期公演 Aプログラム ファビオ・ルイージ首席指揮者就任記念 ヴェルディ/レクイエム 

 イタリア人の指揮者がN響の首席指揮者に就任して最初に選んだのがヴェルディのレクイエムで、何だかベタな選曲である。
 なので、ほぼ満員の盛況となった。
 歌手が実力者揃いで聴いていて心地よいし、ファビオ・ルイージの端正な指揮が新鮮に感じられる。
 経歴を見ると、結構気難しい人のようなので、運営側には注意が必要なのかもしれない。
 さて、傑作中の傑作とも言うべき「レクイエム」だが、例によって、「傑作の欠点」を見つけた。
 それは、VI.永遠の光をとVII.われを許したまえ の構成である。
 前者がメゾ・ソプラノ、テノール及びバスの3人で歌われるのに対し、後者(最終曲)はソプラノと合唱で構成されていて、ここにアンバランスがあると思うのだ。
 つまり、VII.では、ソプラノ以外の歌手がずっと座っていて、そのままラストを迎えてしまう(逆にViI.ではソプラノ歌手が1人だけ座っていて寂しそう)というのに違和感を感じるのである。
 やはり、最後は全員が合唱に参加するのが座りがいいし、盛り上がることだろう。
 ・・・というのは100%素人の感想である。
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形容詞と名詞

2022年09月14日 06時30分50秒 | Weblog
ジャン=リュック・ゴダール監督が死去 91歳
 
 私が大学生であったころーかれこれ30年ほど前、都内のあちこちにミニ・シアターがあった。
 特に池袋にはその手の映画館がいくつもあり、料金もお手頃なので、学生にとってはありがたかった。
 池袋の東口には「ACT2」(アクトツー)というミニ・シアターがあり、しょっちゅうゴダール特集をやっていて、私もよく行ったものだった。
 ゴダール作品の中でも一番のお気に入りは、A bout de souffle 「勝手にしやがれ」で、当時買った台本(勝手にしやがれ)は今でも持っている。
 最大のテーマは、監督が言う通り、「死を考える青年と、死を考えない若い女性」との間のディスコミュニケーションであり、拡張解釈すれば、人間同士のディスコミュニケーションである。
 それを最もよく示すのがラストシーンである。

勝手にしやがれ
 「ミシェル: c’est vraiment dégueulasse.
   セ ヴレモン デギュラス
   本当に最低だ
パトリシア: Qu’est-ce qu’il a dit ? 
   ケ ス キラ ディ?
   彼は何て言ったの?
警官: Il a dit : Vous êtes vraiment une dégueulasse.
   イ ラ ディ、ヴ ゼット ヴレモン ユヌ デギュラス
   あなたは本当に最低な女だと。
パトリシア: Qu’est ce que c'est dégueulasse ? 
   ケスク セ デギュラス?
   最低って何のこと?


 ミシェルは、「(俺の人生は)最低だ」と言ったのだが、警官は、アメリカ人のためフランス語を十分理解していないパトリシアに「最低の女だとよ」と、歪曲して伝える。
 ここで、形容詞:dégueulasse「ひどい、最低な」が、”une” のついた名詞:dégueulasse「ひどい女、最低の女」にすり替わっているのだ。
 さて、安楽死したと伝えられるゴダール監督だが、私の想像では、”superbe!”「最高だ!」とつぶやきながら亡くなったと思う。
 これだと、形容詞だろうと名詞だろうと結論に変わりはないだろう。
 合掌。
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兄弟逮捕

2022年09月13日 06時30分13秒 | Weblog
五輪汚職「高橋治之容疑者」の実弟は資産1兆円のバブル紳士 棺の中に“あんぱん4つ”の哀しさ
 「世田谷に豪邸を構え、外出にはマイバッハを使う金満ぶりは知られたところだが、そんな高橋容疑者を凌駕する大富豪として、バブル期に名を馳せたのが彼の弟・高橋治則氏だった。リゾート開発で財を成し、一時は“1兆円の資産を持つ男”と称されながら、バブル崩壊後に背任容疑で逮捕された治則氏。輝かしい栄光からの転落劇は、まさに兄の置かれた現状を彷彿とさせる。
 「イ社のメインバンクは日本長期信用銀行(長銀)。結果的に同社の運命を翻弄するのだが、これは高橋の出自と無関係ではない。
 高橋は45年、長崎県平戸で2人兄弟の次男として生まれた。イ社の元役員B氏はこう明かす。
 「高橋の母親の叔父が、元長銀頭取の浜口巌根氏の妹と結婚していたのです。しかも巌根氏はライオン宰相の異名をとった浜口雄幸元首相の子息でした」


 なるほど、どこかで見聞きしたことのある顔・名前だと思っていたら、かの有名なバブル紳士の兄だったのか?
 これで、高橋義治氏の長男・次男がそろって逮捕されたことになるが、これは、日本の政界や財界における信用崩壊を象徴するような出来事に思える。
 つまり、イエとイエ(ここでは高橋・北田家と浜口家や岩澤家など)との間の、婚姻によって媒介されたネットワークを基盤として、カイシャとカイシャとの間で échange を繰り広げ、”組織存続・拡大”を図るという、日本ではお馴染みの思考・行動の行き着いた果てが、「逮捕」だったということなのだ。
 ところで、「イ・アイ・イ」という言葉で思い出すのは、大学時代、ある会社の採用担当者から「君が●●銀行に入ったとして、大学の先輩でもある上司から、『イ・アイ・イ・インターナショナルに融資しろ』と命じられたら、君はもちろんそれに従うよな?」と質問されたことである(芸術家への失望)。
 仮に、担当者がこのカイシャへの融資を拒否していたとすれば、おそらく有力なOBなどから圧力がかかり、左遷されていたことだろう。
 そんな時代から、今も状況は余り変わっていないように思えてしまうのである。
 
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少年とケモノ

2022年09月12日 06時30分15秒 | Weblog
2018.3.20 読売ジャイアンツ 坂本勇人と子供達とのキャッチボール

 巨人・坂本選手の試合前の子どもたちとのキャッチボールは有名らしく、こういう映像を観ていると、彼は少年のように純真な人物であるように思える。
 実際、そのような一面をもった選手であることは間違いないのだろう。 
 だが、このところ、彼のダークサイドを暴露するような記事が多く出ており、今回の文春の記事はさすがにインパクトが強い。

巨人・坂本勇人選手(33)が“無避妊中絶トラブル”で非情な発言「おろすならおろすで早い方がいいやろ?」「中出しし放題だもん」《証拠音声入手》
 「坂本「言葉が出ぇへん。うーん……でも、もしさ? おろすならおろすで早い方がいいやろ? 早ければ早い方が」

 この記事が事実であるとすれば、彼は「ケモノ」の一面も併せ持っているようであり、香川照之氏と似たような二面性の持主ということになるだろう。
 ただ、スポーツ選手の場合、おそらく運動能力・パワーの源泉は対象リビドー(それが昇華される?)だと思われるので、これを抑えてしまうとプレーに精彩を欠いてしまうようなこともありうる。
 例えば、「去勢された坂本選手」はホームランが打てなくなってしまう可能性もある(実験したわけではないので、この仮説の真偽は不明だが…。)。
 サラリーマン(特に営業職)の場合でも、内に秘めた攻撃衝動が、”営業力”の源泉となっている場合があるのだ(スーツを着た首狩り族実業紀原始人)。
 ・・・それにしても、巨人軍の顧問弁護士は大変だろうな。
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アンコールなし(2)

2022年09月11日 06時30分37秒 | Weblog
曽根麻矢子 バッハ 連続演奏会  ≪BWV≫ Ⅳ フランス組曲

 もともとバッハは、フランス組曲などをチェンバロのために作ったのだった。
 この人のチェンバロ演奏を聴いていると、これまでピアノでさんざん聴いてきた曲も、初めて聴く音色で新鮮に感じられる。
 さて、6曲全曲の演奏が終わった時、既に21時10分近くになっていたので、曽根さんからは「もう9時を過ぎているので、今日はアンコールはなしですね」という発言があった。
 おそらく、日本人アーティストの間では、「21時を過ぎれば、アンコールなし」というのが不文律のようになっているのではないだろうか?
 つまり、アンコールを演奏してしまうと、コンサートホールに勤務する労働者の方が22時までに終業することが難しくなり、深夜労働を余儀なくされるため、これを回避しようというわけである。
 もっとも、労働基準法のことが念頭にない海外のアーティストの場合、こうした配慮があるとは限らない。
 例えば、アンコールを7曲くらい演奏するキーシンの場合、「キーシン vs. サントリーホール」と呼ばれるほど、運営側との間で緊迫した状況が生じることとなる。
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