パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ポール・マッカートニーは平和な音楽

2021年04月06日 08時29分28秒 | ポール・マッカートニー

ビートルズ好きの、特にポール・マッカトニーに心酔しているある方が
自身の持つYouTubeチャンネルで「イエロー・サブマリン」や「オブラディ・オブラダ」
を作ったり歌ったりする人が戦争(争い事)を起こしたいなんて考えると思いますか
と屈託なく口にした

すぐさま「自分の言いたかったことはそれだ!」
と思わず声を上げそうになった

「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」「アンド・アイ・ラブ・ハー」「エリナー・リグビー」
「フール・オン・ザ・ヒル」「when i'm64」「レット・イット・ビー」「マーサ・マイ・ディア」
「ゴールデン・スランバー」「アナザー・デイ」その他いろいろの曲を作った人は
重要なメッセージ性に欠けると相棒と比較して批判的に言われることが多かった

確かに相棒の「パワー・ツー・ザ・ピープル」「イマジン」「ギブ・ピース・ア・チャンス」
「ワーキングクラス・ヒーロー」などの社会的なメッセージに富んだ曲と比べるとお気楽な印象は拭えない

しかしそれは音楽を「詞」の分野から判断したことで、音楽のもつ別の分野から判断すれば
それは違った評価がなされるのではないか
それは聞いてて心地よいとか、歌って楽しいとか、みんなで歌いたいとか、自分も作ってみようという気になるとか
つまりは詞とはあまり関係のない音楽の持つ要素の効果は案外馬鹿にできないということだ
音楽を聞いて歌って演奏をして、争い事などをしようと思わない気分にさせるという効果は
わざわざ直接そうしたことを言葉にしなくても果たされるということだ

最近はポール・マッカートニーとモーツァルトの共通性を感じることが多い
モーツァルトはベートーヴェンのようなメッセージ性に富んだ音楽を作ったわけではなかった
また人生観を滲ませるような音楽もそれほど多くない
そしてこの一曲といったインパクトのある曲を残しているわけでもない
しかし、自分にとってはモーツアルトという存在自体、彼が残した音楽があるということ自体が
とても貴重であると感じるようになっている(モーツアルトがない世界は寂しい)
彼の音楽は聞き流しても真面目に聞いても楽しむ事ができる
耳には簡単に聞こえてしまうが、いざ楽譜を見たりすると実際は半音を頻繁に使ったりして
思いのほか複雑なことをしている印象をもつ
ただ彼の音楽は少ない音で必要なことを十分に伝えているといつも感じる
(チャイコフスキーの5番の交響曲を聞いたあとモーツアルトを聞くと
 あんなに大げさに言わなくてもいいのに、、といつも感じる)

ポール・マッカートニーの音楽もモーツアルト同様に直感に満ちている
そしてそれは天性とか才能といった言葉でしか表現できない

先日ポール・マッカートニーの「Junk」のジャズヴァージョンが紹介されたYouTubeを見て
この世紀の天才を生で3回見ることができたのはラッキーだったと感じるのだった

Junk (Live)



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「スタンディング・ストーン」(ポール・マッカートニーの珍しいCD)

2018年11月16日 10時04分02秒 | ポール・マッカートニー

あの日(11月8日)以来、依然としてポール・マッカートニーの復習を続けている
ライブのCDを引っ張り出しては、セットリストを比較して
その違いを確認しているが何よりも一番違うのは声の質
流石に今年のあのライブは声がしんどかった感じ
(仕方ない、76歳だから)
あの声で、若い時しか感じ得ないような曲を歌い表現するのはきつくも覚えるので
「アンド・アイ・ラブ・ハー」「イエスタデイ」「アナザーデイ」
がなかったのは個人的には許せてしまう

フト、CDの棚には二三回聴いただけのお宝(ゲテモノ)の類があるのを思い出した

ポール・マッカートニーがクラシック分野に挑戦した第二段目のCDだ
一番最初に挑戦したのは「リヴァプール・オラトリオ」で、これも持っているが
個性が出ていると言うよりは「ポール・マッカートニー」が作った音楽だからつべこべ言わすに聴きたまえ
と、EMIも発売した感じ

「リヴァプール・オラトリオ」よりはこちらの「スタンディング・ストーン」の方が面白い
「原子心母」みたいにコーラスが入ったり、他にもなかなか美味しそうなメロディ(エリナー・リグビーを連想するような)
があって、集中して聴くにはしんどいが、それなりに楽しむ事はできる

そこで感じたことは、こうした長い曲を作るとかまとめるには作曲技術が必要なんだなということ
ソナタ形式とか変奏曲形式、フーガとかいわゆる音楽の教科書に出てくるような作曲法が
全体の統一感を持たせるには不可欠のようだということ
ポール・マッカートニーは特に何かを勉強しているわけでないかも知れないが(?)
アビーロードでもバンド・オン・ザ・ランでもレッド・ローズ・スピードウェイのアルバムでも
曲の統一感を持たせるためにメロディの回帰を行っている(これが効果的なこと!)

でもこのCDのようにこれだけ長いと流石に音楽的なセンスだけではこなしきれない感じ

ポール好きな人はいろんなグッズやCDを持ってるかも知れないが、
「リヴァプール・オラトリオ」と「スタンディング・ストーン」はきっと持っていないだろうな、、
とポールファンの自分は、ひとりでニヤニヤしている


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復習の時間(ポール・マッカートニーの)

2018年11月10日 11時02分05秒 | ポール・マッカートニー

済んだ後の復習が定番になっているこの頃
ポール・マッカートニーの名古屋ドームライブのそれをおさらいしてみた
あのライブで印象に残ったのは「Letting Go」
ホーン・セクションの気持ち良い吹きっぷり
あれはどのアルバムからだったのか、、と引っ張り出したのが

「マッカートニー」と「ヴィーナス・アンド・マース」

「マッカートニー」の中の一曲ではないことはわかっていたが、そのこととは別に
あの日演奏された曲の中に入っていなかった「テディボーイ」が、
どういうわけか自分の頭の中には演奏されたことのように記憶に入っていたので
気になって「テディボーイ」の入った「マッカートニー」を引っ張り出した

久しぶりに通して聴く「マッカートニー」は全体として散漫な印象
アイデアはいろいろ見られるし、時に素晴らしい曲もあるが、ポールの中に迷いがある感じ
ライブ映えする「Maybe I'm Amazed」よりは個人的には「junk」が好きだな
The Lovely Linda」「 Teddy Boy」も久しぶりに聴いて面白かったが
更に面白かったのはインスツルメントの一曲「Momma Miss America
これから先の萌芽が見られる感じ

「ヴィーナス・アンド・マース」は先日のライブを思い起こす感じの音圧
「Letting Go」だけでなく、アルバム全体がライブっぽい感じでイケイケな感じ
ただ自分はこの中では「You Gave Me the Answer」の鼻歌みたいな曲とか
刻まれたリズムが印象的な「Call Me Back Again」みたいな曲が好み
でもライブ映えしないから、演奏されることは無いだろう

調子が出てきたので「スピード・オブ・サウンド」も引っ張り出してきた
おっと、「バンド・オン・ザ・ラン」も、聴かねば
特にB面のPicasso's Last Words (Drink To Me)  の「ホ・ヘホ」と突然回帰するところとか
(ライブでやった)「Nineteen Hundred And Eighty Five」が終わった後
「バンド・オン・ザ・ラン」と歌われているところは聴き逃すまい
(ライブの時は続けてバンド・オン・ザ・ランと歌えばよいのにと思ったりした)

ということで、土曜の午前はポールの復習の時間

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名古屋ドームのポール・マッカートニー

2018年11月09日 08時46分30秒 | ポール・マッカートニー

9月1日にポール・マッカートニーの名古屋ドーム公演のチケットを購入してから2つの心配事があった
一つは腰と股関節の具合がその日までに回復しているかどうか
地下鉄の駅からドームまで距離はあの時の体調では長く感じて、果たして無事に歩くことができるか
そしてもう一つは終電の時間に間に合うかどうか
新城市から名古屋ドームに行って、ライブを終えてその日のうちに帰るのは、結構スリリングなことと思っていた
ポールのライブはだいたい3時間で、6時半スタートとしても終わるのが9時半
帰りは出口が混雑するだろうからモタモタすると電車に間に合わなくなってしまわないかと、、
でも心配していても仕方ない、その時はその時、、と覚悟を決めて(大げさな)でかけた

ポール・マッカートニーのライブを見るのは3回目で前回は5年前の東京ドーム公演
その時は入場者の年齢は自分らと同じくらい、、つまり年配の人が多かった
ところが昨日の入場者の年齢は想像以上に若かった
入場待ちで自分の前の二人も一緒に並んだ彼も若かった
それで話しかけてみると、彼は20歳でポール・マッカートニーを良いと感じたのは
ロンドンオリンピックの開会式のヘイ・ジュードを偶然見た時からという
自分の時間感覚からすると、それはほんの最近のことに思えてくる
と同時に自分も年齢を重ねているんだ、、と改めて実感
彼は大学の授業をサボって来たという
その大学というのは北海道にある大学
ただ出身はこちらなので泊まるのは実家にして、交通費とチケット代を奮発したということだ
そこまでする行動力が羨ましいのと、ポール好きの自分としては若い人が興味を持ってくれたのは
他人事ながらどこか嬉しい

始まりは6時半だが、結局ワクワク感を抑えきれずに早めに入場した
会場は自分たちの演奏ではない録音されたものが流されていた
前回の東京ドームのときもそうだったが、流されている曲はまるでシャッフルされているかのように
いるんなアルバムから適度につまみ食いされている
ホワイトアルバムからのものもあればウイングス時代のものも、
ただ全体的な印象としてはその全てがハードロックぽい味付けのものばかりだった
前回の時はもう少しテクノ・ポップ的な要素の記憶があった
それとジョン・レノンの曲も割合多く選ばれていた
これは何かを暗示してるような思いを持ったが、、

やはりというか開演は少し遅れた
この会場に流れる音楽があのサージェント・ペパーズの最後の「ジャーン」という大音響に変わった時
そしてこれもやはり「the love you take is equal to the love you make」という文字がディスプレに現れた時
いよいよ始まるんだという期待感と、その音楽的な効果に少し泣きそうになった

セットリストは調べずにおいた
その場で次は何をするんだろうとワクワクしながらのほうが絶対楽しめるからだ
しかしフト「イエスタデイが演奏されなかった理由」などという記事が目に入ってしまった
当然それは読まないでおいたが、心にひっかかった

冒頭は「ア・ハード・デイズ・ナイト」ジョンとの共作だがジョンぽい曲
次に珍しい「ジュニアーズファーム」EP版で発売されたストレートロックの曲
それから「キャント・バイ・ミー・ラヴ」と続く
このあたりで今回のライブの傾向がわかってきた
選曲も音作りもハードロック系の感じが強くなっている
前回はもう少し音色がポップぽい感じなところがあったが、今回のポールは前のようにMCで時間を取ったり
楽器をあれこれ頻繁に取り替えて、時々ひょうきんなところを見せて笑いをとったりすることはなかった
(今回もあるにはあったが、前回ほどじゃないという印象)
それよりはロック音楽の演奏家ポール・マッカートニーというコンセプトで構成されているような印象をもった
「レッティング・ゴー」も重いロックの音色で進められる、ただ途中でこの曲がライブで取り上げられた理由がわかった
それは今回同行している金管楽器奏者の存在だ
曲の中間部分の繰り返しは金管で思いっきり吹かれると身体的な快感を感じるようだ
もしかしたら似たテイストでよく演奏される「レット・ミー・ロール・イット」は今回は無いかなとと勝手に想像した
(この曲はその後少ししたらやった)
次に新アルバム「エジプト・ステーション」から「フー・ケアーズ」
この曲は実演でやれば盛り上がるだろうなとCDを聞いたときから思っていたが、それは大当たり

このあたりで、今回これほどまでにハードロック系の構成にしているのは、
ポール自身の声の変化によるものではないかと思い浮かんだ
根っからの音楽バカ・ライブ好きのポールは喉を酷使し年齢も重ねたため以前のような優しそうな
そしてハモるのに効果的な音質の声は出なくなっている
それを自覚しているので現在できることの良い方法は太くたくましくなった声にふさわしい音楽を
選ぶこととしたに違いない、、きっと間違いない、、などと勝手に決めつけた
そしてジョンの影響を今になって感じているような、、
しかし、そうはいうもののポールの中には最初っからジョン的なものがあったのかも知れないとも考えたりする

音楽は聴いていて時に歌ったりするが、お得意の連想はあっちこっちに飛翔する
ビートルズ初期の「ラブ・ミー・ドゥ」「フロム・ミー・トゥ・ユー」は懐かしいが
やっぱりジョンの影響の強い曲を選んでいるのは、何故なんだろうとまた疑問が湧く

この日、3回ほど泣きそうになったが、1回目はライブのはじまりのとき
そして2回目は「エリナー・リグビー」をポールが歌い始めた時
突然理由もなく涙が出てきた
これまでとは違ってシンプルな編成で、声の掛け合いを中心にメロディを大切にした歌いっぷり
隣の隣の若者も大きな声で「Ah look at all the lonely people」と歌ってた
もちろん最初から最後まで、それにつられて自分も、、でも自分の声は大音量のせいで聞こえない

3回目は定番の「ヘイ・ジュード」の時
始まると、なんと美しい音楽なんだろう、、これまた理由もなくうるっと来た
会場も演奏者も一体となって例のコーラスを何回も繰り返す
会場の人は聴きに見に来ているのではなく、音楽に参加しに来ている
音楽に参加しているのは「ヘイ・ジュード」だけでなく「オブラディ・オブラダ」ときもそう
Obladi oblada life goes on brahhh Lala how the life goes on」と大声で参加する時の気持ちよさ

ところで、帰り時間を気にしてるのは自分だけではなく隣りに座った女性もそうで
「ヘイ・ジュード」みんなで歌うところが済むと席を立った
(きっと時間が気になったんだろう、でもあのアビーロードメドレーを聞かないなんてもったない)

全体の流れからするとポールの代表曲「イエスタデイ」も「ロング・アンド・ワインディング・ロード」も
「マイ・ラブ」も、この日のテイストには合わない感じがして、それらが演奏されなかったのはなんとなく理解ができた

「ヘイ・ジュード」で一旦終了
アンコールでヘビメタの「ヘルター・スケルター」のあと、とうとうアビーロードメドレーになる
「ゴールデンスランバー」「キャリー・ザット・ウェイト」「ジ・エンド」とつながる音楽は
本当に効果的で楽しくて美しい(ギタープレーの掛け合いも楽しい)

このライブ全体を通して、ほっこりやさしい気分になれそうなのは、ひょうきんな
(もしかしたらモーツアルトもこういう性格じゃなかったのかとも思ったりする)
ポール・マッカートニーの人柄によるもののように思える
彼は「また来るよ、、」と言ってたみたいだけど、、、
いつもチケットを取る時は「これが最後」と思ったりしている、、
果たして次はあるのか、、、

会場がとても曲に合わせてきれいだったのは「レット・イット・ビー」のときのこの光景

スマホの明かりをみんなんでかざして、夜空に浮かぶ星みたいできれいだった
※撮影はフラッシュを焚かなければいいことになっていた(動画・録音は禁止)

大勢の人の姿をどこかのテレビ局が撮影したいた

みんなが立ち止まって、それぞれが撮影しやすいように前を空けて気を使っていたのがこの場所

※結局電車はギリギリで間に合い、その日のうちに自宅に帰ることが出来た

名古屋ドームのセットリストは

A Hard Day’s Night
Junior’s Farm
Can’t Buy Me Love
Letting Go
Who Cares
Got to Get You into My Life
Come On to Me
Let Me Roll It
I’ve Got a Feeling
Let ‘Em In
My Valentine
1985
Maybe I’m Amazed
I’ve Just Seen A Face
In Spite of All the Danger
From Me to You
Love Me Do
Blackbird
Here Today
Queenie Eye
Lady Madonna
Eleanor Rigby
Fuh You
Being for the Benefit of Mr. Kite!
Something
Ob-La-Di, Ob-La-Da
Band on the Run
Back in the U.S.S.R.
Let It Be
Live and Let Die
Hey Jude

Encore:
Birthday
Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (Reprise)
Helter Skelter
Golden Slumbers
Carry That Weight
The End



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セットリストは知らずにおこう(そのほうが楽しい)

2018年11月01日 16時06分27秒 | ポール・マッカートニー

ポール・マッカートニーのライブが昨日(10月30日)東京ドームで行われた
普通ならそれがテレビニュースになって放送されるのだろうが
(少しあったようだが自分は知らなかった)
報道されたのは渋谷のハロウィンの大騒ぎのこと

若い人たちが大騒ぎしたい気持ちもわからないではないが
テレビがこれほどまでに報道しなかったら、ここまで大事になっただろうか
まさに報道は発見ではなくて、作り出すもの?
まして商業的な要素が沢山ある場合には、この手の報道はブレーキのかけようがない

それでも、田舎のおっちゃんは、いい加減にしとけや、、と言いたい気分
分別くさく言えば、発散するところはもう少し別のところにありはしないか、、
と一言二言言いたくなる

ハロウィン騒ぎに埋没したポール・マッカートニーのライブ(のニュース)
どんな曲が今回演奏されるか楽しみで、そのセットリストは調べると分かるかも知れない
でも調べないでおこう
5年前の東京ドームは演奏されるも曲も曲順も全然知らずにでかけて
現場で次はどの曲を演るんだろうとドキドキしながら聞いた
それはアイポッドシャッフルが出たときの、機械が勝手曲順を決めているだけなのだが
いつのどおりの順番に聞くのと違って、とても新鮮に聞こえたときの感覚と似ていた

ということで、今回も何も知らない状況で行ったほうがより楽しめそうだが
それでも最後の締めは想像がつく
きっとゴールデンスランバーからのメドレーに違いない
でも、これは仕方ない
これ以上にふさわしいエンディングは思い浮かばない、

ところで、ポールは今回も水を一度も飲まずに演るんだろうか
今回は飲んでも、声が出なくても、仕方がないと許してしまうぞ、、、



 

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あの感覚が好きなんだろうな(ポール・マッカートニーで好きな曲について)

2018年10月27日 07時46分06秒 | ポール・マッカートニー

モーツァルトとかブルックナーの話を人とする時、会話の一つ一つ(例えばどの曲が好き?)で
その人が彼らをどのくらい好きなのかを分かるような気がする時がある
有名なタイトルの付いた曲を好きというのは、確かにタイトルの付いた曲は名作の評価があるので
その気持はわからないではない
でも特に意識的に定番外を探すわけではなくても、あまり有名でない曲をあげる時
その気持わかる、、あの部分、あの感覚が好きなんだな、、
と自分の意識に照らし合わせて妙に納得する

昨日、ポール・マッカートニーのライブに出かける予定のある人と話す機会があった
そこで意地悪するつもりではないが、どのくらい好きなんだろうと興味をもって
ポールの中でどんな曲が好きか?と尋ねてみた
すると、難しいな、、、だが実はちょっとした小曲が好きなんだ、例えばジャンクとか
ユア・マザー・シュッド・ノウとか

あまり有名でないジャンクが出てくるとは、、少し驚いた
でもその気持は分かる
センチメンタルで大したことを歌ってるわけではないけどなんか心に残る曲で自分も好きだ
またユア・マザー・シュッド・ノウは歌いやすくてとても気持ちいい
ポールを好きな人は、こうしたあまり有名でないちょっとした曲を好きかも知れない
(と自分は思いこんでいる)
ポール・マッカートニーが大好きと公言する藤田朋子は「アイ・ウィル」が好きだという
アイ・ウィルってどんな曲?
多くの人はそう思うかも知れないが、自分は、その気持よくわかる
ポールを好きな人はなんとなく納得できる心地よい感覚を得ることができる曲だ

その人との会話ははずんで「レッドロードスピードウェイ」のアルバムことになった
あまり好きではなかったが最近聞き直してみたら、案外良くて見直した(自分)
あれはB面のメドレーのところが良いんだ(その人)
やっぱり同じように感じている、あの感覚が好きなんだ
アビーロードのメドレーほど純度も完成度も高くないけれど、それでも音楽的な楽しみは
あのメドレーの中にも感じられる
(財津和夫のチューリップのアルバム「テイクオフ」にもこのメドレーの発想を採用した部分がある)

音楽を言葉で語ることが難しい
ここの部分が心地よいと言っても、それは万人が感じられるものではない
ところがあるグループは、みんな同じようにその部分を心地よいと思う
その心地よいと感じる感覚は、生まれつきのものなのか、それとも訓練・経験で得られるものか、、

ということで、毒にも薬にもならない話
でも間違いなく、同じように感じているんだろうなと言う実感は間違いないと思ってしまう

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「エジプト・ステーション」(ポール・イズ・バック)

2018年09月18日 18時32分11秒 | ポール・マッカートニー

5年前のアルバム(NEW)は購入しなかったが、今度は手に入れた
ポール・マッカトニーの新アルバム「エジプト・ステーション」

今度のナゴヤドームのライブでも多分1、2曲演奏するだろうからその予習というわけだ

購入したのはボーナストラックが入ったもの
おまけの2曲は聴かずに、アルバムとしてまとまりがあるところまでとりあえず聴いた
やっぱりこの人(ポール・マッカトニー)は統一感をもたせようとする傾向がある

1曲目のオープニング・ステーションと15曲目のステーションⅡによるテーマの回帰は
サージェント・ペパーズのタイトル曲のリプライとかバンド・オン・ザ・ランのアルバムでは
あの激しい終曲が終わったら「バンド・オン・ザ・ラン」と歌声がはいるのとか
アルバム「ラム」ではラム・オンがアルバム最後の方にはいるのに似てる
アビーロードメドレーでも「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」が効果的に回帰する
ソナタ形式ではないが、テーマの回帰は効果的だ

老眼になって小さな文字を読むのはしんどくなっているので、ライナーノーツはほとんど読まない
ただただ音に耳を傾けるだけ
このアルバムの中では5曲目のストレートなロックの「フー・ケアズ」と13曲目の「シーザー・ロック」が気に入った
どちらの曲も実演でやると盛り上がりそうだ
シングルカットされた「アイ・ドント・ノウ」はどこかで聴いた感じがするメロディとかコードを思い出させるし
ポールマッカートニーのおなじみのリズム(タッグ・オブ・ウォーで聞かれるような)がこのアルバムでも聴かれる

音楽は車の運転時以外は聞き流しはもったいないと思っている
体を振りながらも音は(その変化は)ちゃんと聴かないと、肝心なところが聴き取れない気がしている
よく聴くとポールはバックバンドの音は細かにいろいろ変化させていて、単純な繰り返しみたいなことはない
多分こうなるろうと想像すると、ちょいと味付けをして小さな驚きを与えてくれる
(この期待の裏切り方はモーツァルトに似てる)

実は自分は安室奈美恵とかスピードとか小室哲哉の音楽が苦手なのだが(どうでもいいことだけど)
その理由は無機質な繰り返しにある
いくら美味しそうなメロディでも何度も同じことを繰り返されると、メロディがどこか決まった旋律線から
離れたがっているのに、いつまでも縛られているみたいで、その打ち込みの音楽の味気なさと相まって
自分は聴こうと言う気になれないでいる

ということで、久々のポールのアルバムお買い上げは、まずまずというところ
ポールには願わくば今度は体調を崩さないでほしいものだ
(2014年はチケットを手に入れたのに体調不良で中止になってしまった)

 

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3度目の正直(ポール・マッカトニーライブチケット)

2018年09月01日 16時20分38秒 | ポール・マッカートニー

タレの目の左利きの音楽バカ
偉大そうなオーラを発することなく、誰でもタメ口で話しそうな雰囲気で
それでいてライブはTシャツではなく、きちんとした(?)服を着て(イギリスに税金を払い続けて)
水を全然飲まずに、楽器をとっかえて2時間以上も歌い続け
何年後の音楽の教科書には間違いなくフォスター並には扱われると思われるのがポール・マッカトニー

8月下旬に突然、ナゴヤドームで彼のライブがあるとの新聞広告がでた
年齢を考えると、今度こそ最後かもしれない
そんな思いと2013年の東京ドームの感動が蘇って
早速「ぴあ」で予約抽選の申し込んだ
ところが、「ぴあ」から届いたメールは、抽選から外れたという知らせ

でも、しばらくすると「ぴあ」から二次募集の案内メールが来た
今度こそはと再度トライしたが、返ってきたのはまたもや外れのメール

今回はアカンかな、、と思ったが、先程「イープラス」の方でも扱っていて
現在受け付け中とのこと
それで、三度目の正直で申し込んでみたら、、、
ことわざというのはよくできているもので、今度はゲットできた

楽しみだな
きっとライブのエンディングはあのアビーロードのメドレーで締めて
「ヘイ・ジュード」はみんなで歌うようにして
イエスタデイは、最後までもったいぶって出し惜しみして
ジョンの思い出の「ヒア・トゥデイ」を混じえて
リンダに捧げた「マイマブ」、今の奥さんへの「マイヴァレンタイン」も欠かさずいれて
他には、バンド・オン・ザ・ランから数曲、、、それにニューアルバムから少し
こんなふうにセットリスト見当がつくが、今度は前回やらなかった曲がどんなのが入るか楽しみ

三度目の正直
とりあえず挑戦してみて良かった、、というところ

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「バンド・オン・ザ・ラン」効果的なテーマの回帰

2017年10月01日 09時59分53秒 | ポール・マッカートニー

ロックの音楽をそれなりの音量で聞くのは心地よい
ストレス発散、肉体的快感も同時に味わえる
日曜の朝、久しぶりに引っ張り出したレコードは「バンド・オン・ザ・ラン」
ポール・マッカートニーの名作だ

このアルバムにはタイトルの「バンド・オン・ザ・ラン」の他「ジェット」
「レット・ミー・ロール・イット 」「1985年」などライブでも取り上げられる曲が多い
これらの曲はヒット曲全集の中で単独で収録される

しかし「バンド・オン・ザ・ラン」はコンセプトアルバムで、通して聴くほうが音楽的に圧倒的に楽しい
その理由の一つが、テーマの回帰の効果、統一感
最後から2番めの「ピカソの遺言」この曲は途中で急にまったく別の曲が挿入される
最初は「ジェット」のあの印象的な部分、そして二番目は「ミセス・ヴァンデビルト」の奇妙な
「ホ・ヘ・ホ」という掛け声
これらの曲はアルバムの最初の方に収録されているが、それが終わり近くになって回帰するのは
驚きを覚えて、しかも懐かしい
「バンド・オン・ザ・ラン」の最後の曲「1985年」も終わったと思うと「バンド・オン・ザ・ラン」
とキャッチーな歌が流れて、それで終わる
そして聴き終わったあとには、何かまとまった余韻を覚えることになる 

ポール・マッカートニーは回帰の手法が好きなようでビートルズ時代の「アビー・ロード」でも
あの素晴らしいメドレーの中に「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」の冒頭のメロディが
とても効果的に再現される

これらの回帰・再現の効果は、ヒット曲を単独で聞いてるだけでは味わえない
この回帰・再現の効果こそ、音楽そのもの、、、みたいな気がする
ポール・マッカートニーはクラシックの素養や勉強をしていなくても、どうすれば効果的なのか
統一感を得られるのか把握しているんだろうな(いやいやしっかり勉強している?)

ポールのこの手法はまだ見つけられるけど、彼はホント、天才だ
同時期に生まれて、彼の全盛期を見て、聴く事ができるのは幸せなことだ
メッシの全盛期を見られるのも幸せなことだが、、

 

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「Junk」とK488の第2楽章

2017年04月26日 21時31分56秒 | ポール・マッカートニー

ポールマッカートニーの来日公演
今回のセットリストに入っているかどうかわからないが
急にセンチメンタルな曲が浮かんだ

ジャンク(Junk)がそれだ
ビートルズ解散直後の「マッカートニー」というアルバムの中の一曲
短いけど、好きなんだな 

そんなことを思っていたら、モーツアルトの儚くて美しい曲を思い出した
ピアノ協奏曲23番の第2楽章 

どちらの曲もどっぷりと感情に浸るというのではなくて、
どちらかと言えばあっさりと流れていく
それだけに、切なさが際立つ

天才たちの創作物 

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