週刊誌を読んでて「義憤」の文字に目がいった
「そう、これ、これが欠けている」
道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり
の意味を持つこの義憤
今の世の中、この義憤が表に出て
なにか形になっているだろうか
最近は、腹を立てると言っても個人のレベルの事が多かったり
むかつく対象が小さな事なのは
以前読んだ「他人を見下す若者たち」にも書かれていたが
単純に「悪い事は悪い」と、いつから言えなくなった(言わなくなった)のだろう
バレなければ全ては「やったもん勝ち」
変な事に腹を立てるより
必要なのは上手く立ち舞う事
こんな気分が蔓延しているような気がするが
なんだかなあ、、、。
子供が産まれた時に親の多くは
「素直な心のやさしい子に育ってほしい」
と言うが、それは率直な感情だと思う
だから、願わくば、(子供のような)素直な感情が
憤りを感じるような事には
単純に(諦める前に)憤りを感じてほしいものだ
「そう、これ、これが欠けている」
道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり
の意味を持つこの義憤
今の世の中、この義憤が表に出て
なにか形になっているだろうか
最近は、腹を立てると言っても個人のレベルの事が多かったり
むかつく対象が小さな事なのは
以前読んだ「他人を見下す若者たち」にも書かれていたが
単純に「悪い事は悪い」と、いつから言えなくなった(言わなくなった)のだろう
バレなければ全ては「やったもん勝ち」
変な事に腹を立てるより
必要なのは上手く立ち舞う事
こんな気分が蔓延しているような気がするが
なんだかなあ、、、。
子供が産まれた時に親の多くは
「素直な心のやさしい子に育ってほしい」
と言うが、それは率直な感情だと思う
だから、願わくば、(子供のような)素直な感情が
憤りを感じるような事には
単純に(諦める前に)憤りを感じてほしいものだ