パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

それを誰がするのか?

2007年03月10日 21時11分39秒 | Weblog
たとえば、機械は文句を言わないから効率的に動かすには
人間を3交代にしてずっと稼働させるのがよい。

日付の変わってしまった弁当は商品価値が低いから
日付が変わるギリギリまで頑張って製造しよう。

店舗ごとの年間売り上げを一日単位に換算すると
休日はない方が(当たり前だが)売り上げは伸すし
消費者にも利便性を与えられる。

こうした事柄は割と当たり前のように行われている
しかし、その現場にいる人々はその状況が辛く厳しくても
「代わりは幾らでもいるよ」の言葉に怯え
あまりよくない待遇で頑張っている。

いったい現場の負担はどこまでいくのだろう?
3交代、深夜労働の身体に及ぼす影響は心配ないのか?
彼らの家族とに時間はどうやってつくり出すのか?

現場。
すべてはそこから始まることだし
現場の人間がいるからこそ、いろんな事が成り立っているのだが
管理する方はどうも数字的、効率的なことしか考えないようだ
人は疲れたり、感情を持っているということを無視して
まるで機械のように人を見なす。
それでは柳沢氏が女性を産む機械と発言したのと同じではないのか?
エコっぽい商品をこのような体制でつくって「ロハス」と言っても
現場の人の生活の持続が可能でなかったらそれは真の意味での
ロハスにはならないのに!
利益をしっかり出さないと社員や株主に対する責任が全う出来ない
だから効率的なシステムで生産、販売を行う
経営陣はそう考えるかもしれない。

しかし、それは現場に過度の負担を強いてまでする事なのか?

過度な負担も全ては金次第でクリア!
そんな風に割り切って考える事も出来そうだが
本当にそうなのだろうか?

本当はしたくない事を金の力で行わせている
としたら、それはいい事なのだろうか?

勿論、人は仕事だからこそ我慢強かったり
頑張れたりするのも事実だが
それも程度次第だと思うのだが!

どうも最近は、世の中がお金に支配されているように思えてならない。


コメント
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