パンセ(みたいなものを目指して)

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政治家には、人間性に基づく想像力を!

2007年08月04日 09時44分01秒 | Weblog
安倍首相に対する多くの人の不満は(不安は)
彼は「お坊ちゃん」で、なんの苦労もしていないから
庶民の気持ちなどわからないだろうという事
これは本当に多く、たいがいの人が口にする

「景気は良くなっています」
「成長を実感に」
と数字を挙げて声を大きくしても
間違いなく都市と地方の格差は広がっており
また大企業と中小零細、輸出関連の製造業と国内を主とする産業間の
景気の対する感覚は大きく異なっている

そうした実感を政府が(安倍首相が)感じられないのは
彼らが接する人たちが(政治家、経済界の人)
やはり今時の言葉でいえば「勝ち組」の人たちばかりで
格差があって困っている人たちの生活を知らないから
実感を感じられないからだと思う

景気の動向を示すデータとか数字は
切り口次第でどうにでも解釈できるようになるので
数字を妄信するより、抽象的かもしれないけれど
多くの国民の感じている感じを
「想像力」で補って共有するしかないだろう
そうした「想像力」が政治家には必要であると思うのだが
どうもこの国民に対する想像力、あるいは庶民に対する共感力が
全般的に欠けているようだ

政治家の中にも格差の現実を口にする人もいるけれど
共感というよりは、上からもの申す、政治がなすべき事は、、、等と
少しばかり違和感を持ってしまうような
発言に終止してしまう事が多い

残念ながら接する人たちを急には変えられないし
官僚が持ってくる数字も自分達に都合の良い数字を集めてくる
そんな中で、まともな判断をしようとするには
想像力を働かすしかないように思える
もちろんこの想像力は自分勝手な思い込みになる可能性があって
客観的でなくなる可能性がある
だからこそ常々自分の想像力が正しくあるように訓練すべきで
その根拠となるのが教養というものではないのだろうか
この意味では、効率優先、今役立つものばかりを詰め込みにする
教育も少しばかり問題だろう

それにしても、庶民に感受性の欠如を問題視されそうな安倍首相
選挙の惨敗にもかかわらず続投を宣言したが
民意は、「もう安倍さんはいいや」と各種の調査で出ているが
民意が必ずしも正しいとは限らない
やるべき事は自分が戦って実行する等と
自分の判断が間違っていないとの前提に開き直っているが
その判断と基準となる人間性において若干の疑問点を感じずにはいられない

安倍首相がこのまま居座っていればいる程
民主党に攻撃の機会を与えて、ますます自民党は
じり貧になりそうな気もするが
一方で、この忘れやすい国民性の人々は
自民にお灸を据えたからもういいや、とか
人の噂も75日で、いつしか選挙の事も忘れて
あきらめの日常に戻ってしまうような気がしないでもない
いったいどちらになるのか
この意味でこれからは
マスコミの報道も含めて、実は国民力が試されているのかもしれない
コメント
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