パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

秋の静寂には「無伴奏ヴァイオリンソナタ」がよく似合う

2007年10月12日 21時44分11秒 | Weblog
最近は本当に人間性がぶっ壊れた様な事件、出来事が多くて、
それを目にするだけで気がめいってしまうが、
せめてつかの間の避難場所を!
と、考えたわけではないが
秋の深い闇、静寂に誘われて久々に真面目に音楽を楽しんだ

頭に浮かんだのは長い事聞いてなかった
シゲティーのバッハ 無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番 イ短調
1番のソナタでもなく、シャコンヌのある2番のパルティータでもなく
なぜだか今の気分にはこれだ!と
確信的に思い込んだのだが、幸い楽しむ事に関しては大正解だった

こんなに素直に頭の中に音が入ってくるとは思わなかった
決してきれいな音とは言えないかもしれないが
シゲティーの思いが音になっているようで
(それは徹底的に弾き込んだ上で身に付いたもののように思えたが)
とても自然に感じられた
ただし、それは確かに襟を正して聞く様な態度と集中を
要求するもののようではあったが、
このような音楽自体を信用しきって
音楽に奉仕する様な演奏は、最近の神経症的だったり
スポーツ的だったりするものとは随分違った印象をもった

そう、「芸の力」そんな言葉が頭をよぎる
不意に連想して思い出したのが、古今亭志ん生の落語
これも何回もやって自分のものになって
しかも彼は落語と言うもの自体を愛していたり
無条件的に信用している

もしかしたら志ん生だけでなく
志ん生の時代はみんなそんな態度で
落語に向かう事ができたのかもしれない

同様にシゲティーの時代には他の音楽家も
音楽を信じきって、それに身を任せるだけで
無理に自己流の解釈などは必要なかった様な気がする
(それでいて各人がそれぞれ個性的でいられた)
ウェストミンスターレーベルのバリリなども
同じ様な印象を持つ
そしてそれは極めて懐の深い味わいのもののように思われる
それは時代性というのだろうか?

仮にそうであるとしたならば、今よりも昔の方が
深い精神を持っていた様な気がしてならない

シゲティーの無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番イ短調
今回一番気に入ったのは
第3楽章のアンダンテ
今日も昨日に引き続いてこの楽章を引っ張りだして聞いたが
自分のものになっている安心感と曲のよさが
本当に心地よい

コメント (1)
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