パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

無理は継続できない!

2007年10月25日 21時48分48秒 | Weblog
別に肩を持つわけではないが、比内地鶏の偽装の事件で
担当者は「だますつもりはなかった、ただ必死だった」
と口にしたが、それはもしかして、これからも現れるかもしれない
企業人の代弁の一部かもしれない

始めからだますつもり、楽して儲けようとするものは論外だが
現在ではかなりの部分で無理をしなければやっていけない状況の
企業は多く存在するだろう

まずは価格ありきで納入価格がきっちり下げられていて
しかも、製品の質(原材料の質)納期までもが
タイトな契約となっている

しかし、それは果たして持続可能な事なのだろうか?
人間は弱いから、始めのうちはいっぱいいっぱいで頑張る事ができても
そのうちにどこか手を抜く誘惑からは逃れがたい
普通にやってそれなりの利益が出るならまだしも
やってもやっても利益が出ないし、ただしんどいだけなら
普通の人間なら折れてしまう可能性は充分に考えられる

発注側の企業は生産側の事情は関係なしに市場価値だけで
物事を進めようとするが
実際の所、「そちらの努力でクリアしてください」と言ってしまうには
あまりにも過酷な条件提示が多いのではないか?

もうそろそろ人々は判るべきなのかもしれない
いや理解すべきなのだ
かかるものはかかると!
いい材料を使い、良い品質なものは、それなりの価格は必要とするのだ
そして消費者は、真にその価値を見極める力を持つ事こそが大事なのではないのか

メーカー、販売会社は無闇矢鱈と安いだけの
(結局誰かを徹底的に犠牲にする様な)
商品、製品は作るべきではないのだ
そして販売戦略上においても誰が考えても不自然に思えるようなことは
すべきではないのだ
例えば携帯電話の0円、
どんな理屈があろうともただで電話がつくれるはずがなく
結局は妙な所で搾取される人たちがいるだけなのだ

理屈で納得しても、気持ちの上で疑問の気持ちが残るものは
案外人として正しい判断をしているのかもしれない

今の世の中が変だという人は多い
そしてこの声は日増しに多くなってきている
経済人や働きにいっているお父さんだけでなく
一般の主婦たちにもそのように感じている
だが残念ながらそこから抜け出す方法が判らないのが現実だ
しかし、やっぱり一歩づつしか手はないのかもしれない
変なものは変、
無理なものは無理、
そして人を慮る
こうした気持ちを持ち続けるしか庶民にできる事はないのだろう

それにしても、この問題の根は深い
できる事から始めるしかないだろうが、、、
コメント
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