パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新しい試みに対する衝動(現代音楽など)

2014年02月16日 09時05分26秒 | 音楽
後出しジャンケンの続き
再び偽ベートーヴェン事件について

後出しジャンケンどころか作品自体を
まともに聴いていないので
あれこれ言うのは反則かも知れないが

曲の解説によれば、そのテイストはショスタコーヴィッチや
後期ロマン派を連想させるようなものということらしい

佐村河内守氏の作曲依頼は現代音楽で
との指示があったが
出来上がったのは聴き手を拒否するような
しかしある意味時代の雰囲気を反映している
難解な音楽ではないようだ

そこで感じるのは本当に現代音楽の作曲家なら
自らそのようなテイストの音楽をつくったかということ
過去に誰かが作った音楽を、なぞるようにつくったか

同じことを繰り返すことへの羞恥心が作曲家には存在し
絶えず新しい何かを求めずにはいられない
それが創造する人間の傾向と思うのはロマンティックすぎるか?

以前小室哲哉氏の音楽が一世を風靡したことがあった
その時に感じたのはこの事、
同じことの繰り返しでこの人は満足で来ていたのか?
ということ
まるでヴィヴァルディみたいにパターン化された作曲法
確かにその時代の勢い、雰囲気を表す某らの表現力は曲に
あったかもしれないが、新しい試みに(歌い手が代わるということではなくて)
挑戦しようと思ったことはなかったのか?
ということ

もっとも商業ベースではそんなことは少しも望まれていなかっただろうし
逆に新しいことをしてハズレでもしたら損を被ることになるから
ブームに乗ったらそのブームの音楽を続けることを最優先したかも知れない

そうした意味では小室哲哉氏は創造への衝動に駆られた人物というよりは
商業的な職人だったといえるかもしれない
そしてこんどの偽ベートーヴェンの音楽も現代音楽というよりは
現代音楽を装った、周辺に物語ありきの商業的な音楽
ということになるのかもしれない

しかし、現代音楽は一部の例外を除いて聴き手のいない世界
それは曲自体に問題があるのか
聴き手の感性がまだ追いついていないのか?

ベルクやシェーンベルク、メシアンをたまに聞いたりすると
確かにバッハの音楽よりは現代の感覚、感情にフィットするように
感じることがある
新しい美の発見などと大げさなことを言うより
確かに時代が共有する気分を表現していると感じたりする

しかしそれには多少の訓練・慣れが必要
そんな訓練や慣れなんて実生活に必要ないから
実際はなかなか現代音楽の裾野は広がらないだろうけれど
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プロは結果が全て(頑張る姿を観るのは気持ちいいけれど)

2014年02月16日 08時11分54秒 | サッカー
本田のボローニャ戦のイタリア国内メディア評価は
残念ながら今回も酷いもの
確かに良くはなかった、しかし酷いというほどのことはない
と言うのが自分の印象
ただ存在感がなかったのは事実
無難にこなしていただけでは物足りない
そこには結果が必要
結果とは得点、あるいはアシスト
その他に、もしかして体から感じさせる闘志、オーラを
観るものに感じさせるということが追加されるかもしれない
そして本田から感じられなかたのはその気迫みたいなもの

あるデータによるとあの試合のパスの成功率は
ターラブトよりも高く左サイドが機能しなかったとは
言えないらしい
ただそのパスの相手がデ・シーリオに偏っていて
全体からのパスの数が少ないのは問題らしいが

ところで、最高の評価がなされたのはバロテッリ
しかしあのとんでもないシュートがなかったら
そんなに大したことはないと判断されても仕方ない
だが、紛れも無い事実は1得点したということ

たとえ89分消えていても
最後の数秒で仕事をすれば前のポジションの選手は
評価される
反対にどれだけ頑張っても結果が結びつかないと評価されない

ここで難しいのはその頑張る姿への評価
確かにヘトヘトになるまで献身的に闘志溢れる姿は
見るものの心を熱くさせる
こういう姿に対する評価の大小は国民性に
よって大きく異るかもしれない

日本は頑張る姿を見るのが好きな国民
しかし、イタリア・ドイツは結果を出さない限りは
非効率と評価される可能性がある

実際のところ岡崎、彼の献身的な走り回るところは好きだが
確かに以前は効率が悪かったかもしれない
だが彼の仕事は点を取ることと多少割り切って
プレーし始めると結果がついて回るようになったらしい

フロンターレの大久保もあれこれするより
得点に絡むことに専念するようになって(気分的に)
良い結果を手にすることができるようになったという

さて問題は柿谷について
はっきり言えば消えている時間が多い
しかし、一瞬だけ仕事をしそうな雰囲気はある
ある試合でボールタッチが多く、今日は調子良さそう
と感じた日があったが、そんな日は却って得点できていない
反対に全然あかん!と思うような時
ひょこんと得点したりする

日本代表へのポジション争いでしのぎをけずる大迫は
反対に試合全体で安定したプレーをする
最近得点も増えてきたが、印象としてはシュートを外して
くやしがるシーンが頭に浮かぶ
浜のメッシ斎藤もくやしがるシーンが多そう
サッカーの神様はなんでこんな演出をするのだろう

Jリーグができて20年を過ぎた
確かに選手・戦術は長足の進歩を遂げたと言っていいかもしれない
だが残念なことに観る方の技術(?)は依然として
頑張る姿が好きなだけに終始していないか

それはスカパーではない地上波のテレビの解説が
万人向けに解説をするため、わかりやすい頑張る姿を
解説することに終始しているせいかもしれない

なんだかんだと言っても時間が経てば残るのは記録だけ
その記録に対する謙虚な姿勢こそが
本当のプロの姿勢なのではないか

しかし、頑張っても報われない姿を観るのは
忍びないと感じる日本人は
優しい気持ちを持った、言葉を変えれば甘い精神の
民族なのかもしれない
それがいいのか悪いのか、、、難しい





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