パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

交響曲第九番

2014年02月23日 20時03分41秒 | 音楽
吉田秀和氏はフルトヴェングラーが亡くなった時
ヨーロッパが終わった(だったかな?)と感じたらしいが
自分はマーラーの九番の交響曲を聴くと
ヨーロッパの世界の黄昏を感じてしまう

特に最初の楽章と、終楽章
(もっとも真ん中の楽章はそんなにいいと思わないし
 自分にとって退屈)
この曲は絵画的とは言わないが、小説的なストーリー仕立ての
音楽の印象を受ける
高校時代は、イケイケ!やれやれ、もっとやれ!
と第一楽章のクライマックス部分に拍手したが
いつの頃からか聞かなくなった

バーンスタインが来てこの九番の交響曲だけのプログラムを
聴きに行ったことがあったが、自分のコンディションが悪かったせいか
全然感動しなかったし、記憶に残っていない

とは言え、たまにユーチューブなどで聴いてみると
やっぱりそれなりの曲に思える

ところで九番の交響曲といえばベートーヴェンだが
自分にとって思い出深いのがブルックナーの九番
レコードショップでマーラーの巨人とブルックナーの九番の
試し聴きをして(その時はどちらの曲も全然知らなくて初めて耳にする音楽だった)
そこでブルックナーの不思議な響きに圧倒されてしまい
そこからブルックナー狂いが始まった

しかし、九番の交響曲は実演ではどうもいい経験をしたことがない
確か二度ほど聴いたことが有るはずだが
流れすぎて何も残らない感じ
(レコードで聴くと本当に浸ることができるのに)

最近は第3楽章の寒々とした
(クレンペラーの演奏は初めて聴いた時そんな気がした)
テーマを聴き比べるのが面白くて、いろんな指揮者のを聴いている

この九番はマーラーとそれと違って
ヨーロッパとか時代をあんまり意識することがない
ただ響き・音楽が有るだけ
それは何時の時代でも通用しそうな感じがするのは
自分がブルックナーが好きなだけの錯覚だろうか?

好きな演奏は、評判のシューリヒトではなく
クレンペラーのもの(特に第3楽章)
ドホナーニも案外好き
ショルティもイメージとは違って案外イケる

終楽章を録音したラトルは、うーーん
もう少し年令を重ねてから聴いてみたいかな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥居強右衛門と鈴木金七郎

2014年02月23日 15時31分15秒 | 徒然なるままに
先日の中日新聞三河版で紹介されていた講演会を聴きに行った
場所は自宅から歩いて10数分の富永の構造改善センター集会所
そして公演の題目は「鈴木金七郎について」


鈴木金七郎とは何者?
大半の人はそう思うだろうし、事実自分もその一人だった
ところがこれがなかなか興味深い人物
あの長篠の戦いの地元の英雄、鳥居強右衛門が岡崎に援軍を
要請に行った時、実は単独行動ではなく鈴木金七郎も同行したというのだ

この話を前の新城市教育長の小林芳春氏が
ベースとなる文献を丁寧に紹介しながら
話を進めていく


会場にはこの日の主役の鈴木金七郎の子孫の方もみえて
中日新聞で報道されたためか60人ほどの聴衆
地元新城市はもちろんのこと、豊川市、岡崎市から来られた方もいた

まずは、本題の鈴木金七郎の「長篠城救援の使者」に
3つの説があることが文献名を挙げながら解説
1)強右衛門単独説「三河物語」「信長記」「家忠日記増補」、、、
2)強右衛門・金七郎の二人説「長篠日記」「広祥院文書」「総見記」「四戦記大全」
3)強右衛門が先、金七郎は後の使者「武徳大成記」「四戦紀聞」

様々な可能性が考えられるが、明らかに鈴木金七郎と言う人物がいて
岡崎まで行ったことは確率が高い
ただ問題はそこから、
鳥居強右衛門は武田方に捕まり、例の英雄的な死を迎えたが
鈴木金七郎のその後についてはバッタリと情報が途切れている

長篠の戦いの二年後、地元白山神社のお祭りの席順には
上位を占めている資料があって、どうも生き延びているらしい
そしてずっと後の江戸時代、新城の俳人大田白雪の『続柳陰』には
「川上村 此村ヨリ鈴木金七出ル。奥平信昌ノ家士」との記述があり
彼の存在はそれなりに知られていた形跡がある

ただ、とにかく情報がない
有るのは子孫に代々伝わったなにかと
いろいろな想像力を駆使した資料の分析

ただ言えることは、生き延びたという事実と
鳥居強右衛門の忠臣ぶりとその劇的な死との対比

時代の雰囲気、求めるものが
鈴木金七郎の生き様とはかけ離れていたから
記録から無視され、記憶からほおむりさられることに
なったのではないか

生き残って生き恥をさらす
それは極めて恥ずかしいこと
こんな考え方は戦国時代も江戸時代も、
もしかしたらちょっと前の時代にもあったかもしれない
だからこそ、その時代の覇者も地元の人間も
そして身内さえも黙ってしまったのではないか
と想像される

生き延びることは、何も恥ずかしくないことだ
生物として当然の欲求だし
生き延びてこそ達成できる使命も有るだろうに
そして何よりも家族は誰も身内の死を望んでなどいない

鈴木金七郎は生き延びた
彼を再評価するのではなく
彼のような生き方も楽に受け入れられる世の中にならないと
忠臣蔵が英雄視されるばかりでは(その他の英雄的な死を賛美するような風潮)
この国は危険な方向に突っ走ってしまわないか、とても心配

そうした意味で鈴木金七郎の生き方を考えるのは
今の人間にとって意味有ること、
多くの人に知ってもらいたいものだ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする