パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

チャンピオンズリーグとオリンピック

2014年02月21日 20時30分36秒 | あれこれ考えること
今週行われたスポーツイベント
ヨーロッパサッカーチャンピオンズリーグ決勝トーナメントと
冬季オリンピック

これらを見ていると不意に絶望感に襲われそうな気になってしまう

日本人はどれだけ努力しても
越えられない世界が存在するのではないか
そんなことを感じさせる選手がゴロゴロいるからだ

そして彼らの大半は才能だけでなく
半端じゃない努力もしている
だが基本的には身体能力・才能という天から与えられたものが
格段に違う

イブラヒモビッチのどんな場所からでもゴールする力は
多分永久に日本人では不可能だろうし
メッシのどんな狭いところでもナイフで切り裂くようなプレーは
とても今世紀中には日本人には出来そうにない
バロテッリもカカもそれ以外のそこそこ有名な選手全体が
日本人が努力すれば達することのできる位置より
ずっと上にいるように思えてしまう

アイススケートもスキーも、そしてフィギュアも
ある時世界に近づいたと思っても
最後のところでどうしても辿りつけない

だからといって自分の夢を捨てられない
ビッグマウスの本田はそう口にする
実は彼が一番自分の限界の悔しさを感じているのかもしれない

今できることをするしかない
この開き直りと努力は、もしかしていつか報われる時が
来るかもしれない

でもそれ以上の選手は依然と存在する現実を
また目にしてしまう

それでも、自棄になりそうになっても
できることをするしかない
そしてその努力はおそらくいちばん彼が望んだ
姿ではないかも知れないが、何がしらの精神的なご褒美を
手にすることができるかもしれない

しかし、世界にはどうやっても追いつけない人物
と言うのは存在するものだ
(彼らが幸せな人生を送ることができるかどうかは分からないが)
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判定競技は難しい(フィギュアスケート雑感)

2014年02月21日 19時39分21秒 | あれこれ考えること
今朝は少しばかりホッとしたというか、
残念だけれど、どん底からよく頑張った
と日本中の人が思ったのではないだろうか
浅田真央のフリーの演技

まずは良かった
あのままで終わると人生の敗者にもなってしまいそうで
勝負の結果を問わず、そちらのほうが心配だった

ところで韓国ではキム・ヨナの得点が低いと
抗議の声があがっているらしいが
確かに、あがっても不思議ではないかもしれない
と思うのが素人の感想

衣装、表情、音楽の選択、そしてなめらかな流れ
それはスポーツというより
どこかエンターテイメントに近い完成度
素晴らしい
本当にプロフェッショナルな戦いぶり

優勝したソトニコワは素人には分からないが
これまた印象としては、馬力があって
これはスポーツ選手と言った感じ
これはこれで魅力もある

ついでに言えば浅田真央もエンターテイメントよりは
スポーツ選手(アスリート)の方を向いた選手だったのかもしれない
3回転半をとぼうとするのは100メートル走で
10秒を切ろうとする執念と同じ種類かもしれない
勝つということに目標を定めればもう少し違った方法があったかもしれない

ただ、本人が自分だけが出来た技に対するこだわり
それができた時の特別の喜び
かつての体が軽かった時の
昔の自分を乗り越えようとする気持ちは
現在の自分の冷静な分析ができていないといえるかもしれないが
(年齢を重ねたら年齢に合わせて変化すべき?)
これはいい悪いを越えて個性みたいなものだから
仕方のないこと

そしてそこに判定という人間の主観が伴う競技ときている

最初の方の競技者の採点は少し厳し目になる
こうした傾向はモーグルでもあったようだ
(上村愛子がもう少しスタート順が遅かったら、、、)

いずれにしても、判定競技は難しい

それにしてもキム・ヨナのサバサバした姿は
敵ながらアッパレ
彼女はどのくらい深い経験をしてきたのか

日本人は単に感情的に反感を持つだけでなく
相手をリスペクトする意味で
彼女の凄さを再確認しなければいけないと思う

誰だってあの舞台に立つ選手は
辛い練習と極度のプレッシャーに耐えてきたのだから

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