週半ばの休日
この季節は新緑も相まって心地よい
時折新緑を透かして見せる光が幸福感を呼び起こす
そんな日の午後 暇に任せて考えてみた
世界の様々な平衡は状態というのは、
当事者同士がいっぱいいっぱい
頑張った上での結果なのだろうか
(囲碁将棋では自分が得になる姿を目一杯考えて手を選択する
少しでも情けをかけたり緩んだらバランスは崩れてしまう)
それとも、多少は配慮した上での結果なのだろうか
(そんなに一方的に良くなるはずがないと判断して
バランスの良い手を選択するのだろうか)
つまり、弱肉強食の生存競争を個々が目一杯頑張って
利己的に活動して、お互いみんなそんな状態だから
釣り合ったところが平衡状態
(国際間の緊張関係もこれに似ている?)
そしてそれは予定調和のよう善悪とは関係ないところで
単純に確率の高い、ある種生命力の強いものが残るような
結果が現れているに過ぎないのだろうか
それとも、やはり現時点では見られないとしても
将来のあるべき姿に向かって進んでいく
途中の段階としての平衡状態なのだろうか
実社会は様々な現象の表れのようなところがある
生物の生存競争は経済を中心とした人間の戦いにも似ていないことはない
弱肉強食という点において
確かにこの国を支配している立場の人達
政治家や経済界の人物はその思考傾向は弱肉強食がベースとなっている
効率を上げるには、競争力を高めるには、国力を高めるには
そしてその判断基準は常に他の対象との比較となる
そして勝つのも負けるのも必然性というよりは偶然性に左右することが
多すぎる世界となっている
後になって必然であったと解釈されることは多いが
最初は単に偶然だったり押しが強かったり運だったりの要素が強い
そして残念なことに実社会では、この生存競争さえスタート時点が公平でない
スタートにハンディアがあってその上での生存競争になる
しかし、時に思うのは生物の事
確かに弱肉強食が前提の世界ではあるけれど
彼らは上手いこと住み分けをしていないか
ということ
なるべく争わないで尚且つ効率的に自分らを維持していく
そこにか力と力で戦い合うような舞台ではなく
一種秩序だった世界があるのではないかということ
(これはある種の生存競争の変形かも知れないが)
そこで考えてしまうのは日本人と欧米人の思考の違い
基本的に欧米人は弱肉強食、その結果が平衡をもたらす
と考えがち
しかし日本人は相手の立場も考えながら住み分けを
配慮の中に組み入れ勝ち
こんなふうに決め付けるのは多少独断気味かも知れないが
それでもこの傾向はあるのではないか
神はサイコロを振らない
とアインシュタインは言った
あるべき秩序、正義、美しさはあるはずと彼は考えた
単なる確率、可能性だけで世界は成り立っているのではないと
そうであってほしい
しかし、時折みかける生命力の強い、オシの強い、アクの強い
人々が結果的に世界を動かしている姿を見ると
残念ながら世の中の平衡は単なる偶然の姿でしかないのかとさえ
思ってしまう
この季節は新緑も相まって心地よい
時折新緑を透かして見せる光が幸福感を呼び起こす
そんな日の午後 暇に任せて考えてみた
世界の様々な平衡は状態というのは、
当事者同士がいっぱいいっぱい
頑張った上での結果なのだろうか
(囲碁将棋では自分が得になる姿を目一杯考えて手を選択する
少しでも情けをかけたり緩んだらバランスは崩れてしまう)
それとも、多少は配慮した上での結果なのだろうか
(そんなに一方的に良くなるはずがないと判断して
バランスの良い手を選択するのだろうか)
つまり、弱肉強食の生存競争を個々が目一杯頑張って
利己的に活動して、お互いみんなそんな状態だから
釣り合ったところが平衡状態
(国際間の緊張関係もこれに似ている?)
そしてそれは予定調和のよう善悪とは関係ないところで
単純に確率の高い、ある種生命力の強いものが残るような
結果が現れているに過ぎないのだろうか
それとも、やはり現時点では見られないとしても
将来のあるべき姿に向かって進んでいく
途中の段階としての平衡状態なのだろうか
実社会は様々な現象の表れのようなところがある
生物の生存競争は経済を中心とした人間の戦いにも似ていないことはない
弱肉強食という点において
確かにこの国を支配している立場の人達
政治家や経済界の人物はその思考傾向は弱肉強食がベースとなっている
効率を上げるには、競争力を高めるには、国力を高めるには
そしてその判断基準は常に他の対象との比較となる
そして勝つのも負けるのも必然性というよりは偶然性に左右することが
多すぎる世界となっている
後になって必然であったと解釈されることは多いが
最初は単に偶然だったり押しが強かったり運だったりの要素が強い
そして残念なことに実社会では、この生存競争さえスタート時点が公平でない
スタートにハンディアがあってその上での生存競争になる
しかし、時に思うのは生物の事
確かに弱肉強食が前提の世界ではあるけれど
彼らは上手いこと住み分けをしていないか
ということ
なるべく争わないで尚且つ効率的に自分らを維持していく
そこにか力と力で戦い合うような舞台ではなく
一種秩序だった世界があるのではないかということ
(これはある種の生存競争の変形かも知れないが)
そこで考えてしまうのは日本人と欧米人の思考の違い
基本的に欧米人は弱肉強食、その結果が平衡をもたらす
と考えがち
しかし日本人は相手の立場も考えながら住み分けを
配慮の中に組み入れ勝ち
こんなふうに決め付けるのは多少独断気味かも知れないが
それでもこの傾向はあるのではないか
神はサイコロを振らない
とアインシュタインは言った
あるべき秩序、正義、美しさはあるはずと彼は考えた
単なる確率、可能性だけで世界は成り立っているのではないと
そうであってほしい
しかし、時折みかける生命力の強い、オシの強い、アクの強い
人々が結果的に世界を動かしている姿を見ると
残念ながら世の中の平衡は単なる偶然の姿でしかないのかとさえ
思ってしまう