パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「知と愛」を読みながら考えること

2014年11月19日 19時25分47秒 | あれこれ考えること
ヘッセの「知と愛」(ナルチスとゴルトムント)を
先日から読み返している
最初の時は途中からゴルトムントの運命に夢中になって
何故か一刀彫で有名な円空さんを連想したことを覚えている
そして、シッダールタを似たトーンの小説だな
とも思ったりした

そして今回
読み返したのは来年のドイツ旅行に時間があれば
マウルブロン修道院に行こうと思っているが
「知と愛」の前半の舞台はこのマウルブロン修道院
それでなんとなく手にとったのだが
やはり歳を重ねた後に読むのは当たり前のことだが
随分印象は違う

若い時は、一気にうなされたように読んだ気がする
しかし今回は、ヘッセの欠点も、話の持って行きようの傾向も
客観的に眺めていられる

小説はもともとフィクションだが
ヘッセのそれは実在の人間が中心となって活躍する小説というよりは
最初からどこか空想的な主人公が空想的な世界で
しかし明らかに実生活を暗示・象徴するような筋立てと構成になっている
そして、ヘッセの欠点は彼のひたむきさ・テーマへの迫り方の
一途さが割合ストーリーを同じもののようにしているということ
(シッダールタ・知と愛・ガラス玉演戯)

完成度の高い欠点のない作品よりは
ヘッセは自分の求めて得たものを表現したい衝動に駆られたように思う

そしてその御蔭で、自分は救われているような気がする
具体的にどのように救われたかは
そういうものの言葉で表すには難しい
ただ印象としてヘッセの懐の深い肯定感に
どこかホッとしている

人はその人を一生支配するテーマから抜けられないのかも知れない
そのテーマを自覚できているか
あるいは無自覚でそのテーマを追いかけているかは
人それぞれだが、つくづく自分を振り返ると
ずっと同じことを考えている気がする

それは何か?
それはこれを書かせ、ヘッセを読ませ、
ドイツに行かせるもととなるもの

と言ってもあまりにも主観的で
他人にはわからないに違いない
しかし、自分は深くそう感じている
自分はずっと同じテーマを追っかけていると
コメント
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