パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

読書と体力(本は読める時に読むのが良い)

2014年11月09日 18時39分31秒 | あれこれ考えること
読書の秋
確かに自然と本が読みたくなるような気はする
しかし、どうも読書のブレーキがかかって
勢いが出ない

こんな時ないつも軽いミステリーを読んで
勢いをつけるのが常だったが
触手が動くミステリーが見当たらない

そこで昔読んだ本を引っ張りだしてみた
ヘッセの「ガラス玉演戯」
来年にドイツ旅行を計画
ヘッセ誕生の地カルフにも行く予定なので
その予習を含めてのおさらいのつもりなのだが
何十年ぶりにページをめくると
1ページ全体に文字が隙間なく埋まっている

段落の区切りすらも見当たらない
ひと目これを見ていきなり気力が削がれそうだ
と同時に昔はよく読んだものだ
と感心したりする

もっとも内容を覚えているかと言えば
残念ながらはっきりノーと言える
ただ記憶にあるのは「シャボン玉」という詩と
象牙の塔的な主人公と世間人の会話があったことくらい
(もっとも何故その部分が記憶にあるのかは不思議だが)

とにかく、内容は覚えていなくても最後のページまで
いったのは事実

そこで思うことは、
その時に消化できようが消化不良だろうが
本を読むには体力と気力が必要ということ

本は映画のように向こうから世界を示してくれない
自らの想像力を働かせるしか無い
この作業が案外エネルギーを要するようだ
エネルギーは体力・気力に左右される
いや、体力が気力を左右する
今は体力がなくなり、目も老眼でしょぼしょぼ
細かい字はなかなかしんどい

ヘッセもドストエフスキーも全身全霊をかけて
向かわないと答えてくれないような作家(作品)
今から思えば、読んでおいてよかった
というのが正直なところ
内容は覚えていなくても、確かに何かが残った実感はある

というわけで「ガラス玉演戯」は最初から通して読むのではなく
適当にページを捲ってトライしているのだが
これが、あにはからんや、案外いける
ヘッセの含蓄ある言葉が随所に現れ
ストーリーとは関係なく楽しめる

しかし、改めて「昔の自分も大したものだ」
と誰も褒めてくれないから
自分で自分を褒めたりしている
コメント
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