新城市では昨年5月に新庁舎建設の見直しに関して住民投票が行われた
それがとんでもなく妙な選択肢で、自分はそれに腹を立てて
今に至っているが、今日はそれはさておいて
問題となったのは、投票に行かなかった人の意見の解釈について
行かなかったのは、行けなかった(病気、足がない)関心がない
住民投票に意義を感じていない、どちらに入れていいか分からない
まだ他にあるかもしれないが、おおよそこんなもの
住民投票の勝利をおさめた側の意見を採用するが
負けた側とこのように行かなかった人たちの意見も
取り入れて(解釈して)見直し案に反映させることが民主主義だと
市長は口にした
少数の意見も無視することなく聞き入れることこそが
民主主義と言いたいのだろう
しかし前の市長選で庁舎問題が争点になった時
僅差で勝利したにも関わらず勝ちは勝ち!
と決して少数派ではない負けた人びとの意見を切り捨てている
だからこそ住民投票までなってしまった
ところで、この行かなかった人の意見とはどんなものか
解釈の問題だからいろいろありうる
たまたま今日の市議会で市長は行かなかった人の意見を
「市長と議会にお任せ」 と解釈する旨の発言をした
ところが一方市長と対立する側は、行かなかった人の意見は
「住民投票で勝った方にお任せ」と解釈するほうが 筋と考えた
どちらが正しいか
法的な判断方法はあるのだろうか
ただ発表する権利とか力を持った市長は
自分の解釈こそが唯一無二の様に話し
いつの間にか広報にもその解釈が掲載され既成事実化されてしまう
今更こんな問題をウダウダ取り上げるのは
この人のいろんな進め方がいつもこうだということ
話し合いの機会は設けます
でも何度もそういう言葉に裏切られた人たちは
結局は話し合いには応じてもらえないと判断せざるを得なくなる
そしてその行動を起こすと
今度は、話し合いの機会は設けているのにと批判する
でもそんなふうに判断せざるを得ない行動をしてきたのは誰なんでしょう
ところで、前回の選挙戦の時の現市長の後援会のビデオ(youtubeだったかな)で
彼は自分の庁舎に関する選択に自信を持っていて(それはいいのだが)
スタッフの前で現計画を何処に行っても市民を絶対説得してみせます
それができない時は、、、 と言っていた
説得できた?
結果、住民投票になってしまったし、なおかつ自分の計画はノーの判定
今日は市議会の中でやり取りで
少しばかり腹の立つことがあったので 文句を並べてみた
(大人げない?)