パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

表現の仕方(保育園落ちた日本死ね)

2016年03月10日 08時37分20秒 | あれこれ考えること

それこそ一気に拡がった匿名ブログの「保育園落ちた日本死ね」の話題
申し訳ないが、当事者の世代でない自分は、最初何のことかわからなかった
で、話題のブログを読んでみると、言いたいことは分かった
でも自分の感覚からすると少しばかり過激な表現

問題は、この様な過激な表現でなかったら
果たして今回のように拡がったかと想像してみると
もしかしたら、それほどではなかったかもしれない
投稿者がどのくらい意識してこの表現をしたかどうかは
わからないけど、この過激な表現のおかげで(?)話題になったのは
多分間違いない

そこで思い出したのがジョン・レノンとオノ・ヨーコの
ベッドインパフォーマンス
映画イマジンの中でジョン・レノンはセンセーショナルな形で
反戦パフォーマンスを行うことにより、より世間の関心をもってもらう
事ができるので、こういう機会を設けたといった旨のことを述べている

既に十分すぎるほど有名な活動家であっても
なおかつ効果的に行うためには、そのテクニックとして過激な活動をする

今回の場合はそれに該当するかどうかは分からないが
残念ながら人は穏やかな表現では心に響かないことが多いかもしれないのは事実
物事を理解するには全く反対側の意見をしっかり聞くほうが
両方の意見をうまく問題を解説してくれる人の話を聞くよりもわかりやすくなる 

それになぜか褒める言葉より悪口のほうがストンと心に侵入してきたりする

現時点ではこのきつい表現による問題提起はうまくいったと解釈して
これからは実態の把握(一部の都合の良い数字の羅列ではなく、
何よりも実感を伴いそれを反映した数字)をして、何をすべきかを
お役所の仕事の価値判断ではなく、生活者のレベルの判断で納得できるものに
してもらいたいものだ
(お役所は結局なにかあれこれ言い訳をするから
 誤魔化されないようにしなければ)

それにしても、生活者の実感が反映されない政治・施策は何故なんだろう


 

コメント
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