運転をしていて何の脈絡もなく思いついた
昔の人は、もしかしたらバイリンガルじゃなかろうかということ
(日本語・朝鮮語 ・中国語)
大化の改新のころとか万葉集が出来上がった頃は
百済とか新羅とか交流が盛んで、帰化人も多かったようだ
京都の秦氏も帰化人、ほかにも褒章とかも日本に避難していたとか
それに遣隋使・遣唐使も一度の数隻の船ででかけたらしい
今は外国人とのコンタクトを考えると当たり前のように
通訳という存在を連想するが、この時代 果たして通訳という職種が
数多くいたのだろうか と考えると、通訳が多くいたと考えるより
そこそこの立場の人はバイリンガルであったと考えるほうが
なんとなくしっくり来る
空海も最澄も遣唐使として出かけたがいちいち通訳が必要だとしたら
効率が悪すぎる
鑑真和尚が日本に来た時も通訳が必要だったら
いくら良い教えだとしても 手間が掛かり過ぎる
必要に迫られてなのか、その時代は当たり前にそうだったのか
分からないが、卑弥呼の時代にも中国と交流があったみたいだし
実際のところ、あの時代の人達はどの言葉で会話をしていたのだろうか
こんな風にどうでもいいことを思いつくと、世の中はわからないこと
不思議な事が多くあるものだと実感する