STAP細胞については異なる視点から何冊かでている
今日読み終えたのは「あの日」小保方晴子著
STAP細胞については興味があったが、一時期のマスコミの
持ち上げて徹底的に叩く姿勢に辟易として敢えて距離を取っておいた
素人だからこのSTAP現象が本当にあるのかないのか分からない
ただ単純にあったら面白いなとは思う
生き物はとても不思議でベニクラゲは先祖返りをして不老不死で
ずっと同じDNAを持っているとか
ダイオウグソクムシは食べ物を取らなくても長期間生きていられるとか
人間が思いつく以上のことを当たり前のように実現しているから
そもそも人間の思いつく仮説自体が本当に信じられるものかとさえ思ったりする
また人間以外にも詐欺をする動物もいるようで、それは自分のDNAを効率的に残すためらしいが
こうなると何が正しくて何が悪いのかとさえ疑わしくなる
この本の中に小保方さんを批判する立場の本のことが書かれている
毎日新聞の須田桃子氏の「捏造の科学者」だ
小保方さんの立場で読んだから今度はその反対の視点から読もう思うが
アマゾンでは「あの日」と合わせて読んだ人のコメントが載っている
世の中にはこの様に2つとも読んで比べようとしている人がいることは
少し救われるような気がする
とにかく、一時期マスコミは何様だ!と思えるくらい、
それもテレビでは全局がバッシングを続けていた
(現在でもテレビ局は人を変えて、持ち上げて叩く行為を続けている)
バッシングをするのが悪いというのではなく、
裁判ではないが他方の言い分も聞いてしかるべきと思うのに
世の空気と異なる意見は全く聞いてもらえない雰囲気があった
これは、とても怖いことで、最近自分の関心あるのはこのことだ
何故、ナチスは一時期勝利したか
何故、普通の市民は途方も無い考え・思想についていってしまったのか
何故、構成員・職員は命令を思考停止でただ言われることをしたのか
それはその時代の空気
いろんな分析・解釈をしようが一旦出来上がってしまった方向性を持った空気を
変えるのはとても難しいが、STAP細胞についての一連の流れは
堰を切ったような、単に世間の人が喜びそうな批判という方向に持って行っていかれ
それは本質的な問題とはかけ離れていってしまった印象が残る
再びSTAP細胞の話に戻って
このSTAP細胞のことで自分が不思議に思ったことは
世の中の常識を否定するようなことを
何故リケンの多くの専門家が受け入れてしまったのか
ES細胞の混入は誰もが容易に考えつくのに何故それを疑わなかったのか
笹井氏はES細胞の形態ではないとしっかり自覚していたのは何故か
これらは利権がらみの話ではなく、純粋にどうしてなのか知りたいと思う
とにかく、このSTAP細胞についてはもう一冊読んでから頭のなかを整理しよう
それにしても、世の中の空気、一旦出来上がった空気の怖さ
間違った報道を流して後で訂正しても、もはやそれは多くの人には伝わらない怖さ
(湾岸戦争時のアブラまみれの水鳥の映像は、イラクとは全く関係のない場所で撮影されたものだった)
こうした人の理解の仕方や癖を理解している人物が意図的にデマを流す
そんなことが行われるとしたら、、、
ハンナ・アーレントは全体主義の起源でこのようなことが行われたと記している
実際のところ、人はマスコミとか報道をもう少し疑って受け入れるほうが良いかもしれない
ここ一年の自分の周りで起きた経験からつくづくそう思う