「世界に一つだけの花」という歌がある
一般的には良く聞かれ名曲の評価がある
でも自分はへそ曲がりなので、素直に好きとは言えない
言わんとすることはわからないではないが、わざとらしくて
そこでフト最近のこの国の騒ぎを振り返ってみると
この歌にあるように、自分がオンリーワンであることを人びとは果たして望んでいるのだろうか
と考えてしまう
そう思ってしまうのは、少しばかり恥ずかしいメディアの人たちの対応(アメフトや政治関連の報道)
はっきり言って彼らには独自性がない
あるのは横並びで、他の人(局も)やってるから安心、、という姿勢だけ
それでいて批判するときは、まるで自分自身が特別な人間であるかのように、、
無責任に加担する
果たしてこの国は、自分の意見を持ち、それを表に出すということが
容易にできる国なのだろうか
むしろ「空気を読む」に代表される処世術に独自意見(発想)の
ブレーキが当たり前になっていないか
昔、嫌味なフレーズを考えた(その当時の女子高校生をイメージして)
「みんなと同じ、ダサーイ!みんなと違う、こわ~い」
建前は独自性をもった人間だと公言しても、いざそれを表現することによって浮いてしまうのは怖い
というのが本音ではないか、、と想像したことばだ
多分人と違っていい、というのはそんなに簡単なことではなくて、覚悟がいる
またそのよう考えに至るにはある程度の経験と時間が必要
オブラートに包まれたようなオンリーワンの言葉でイメージされるものではない
つまりは以前にも取り上げた「個の確立」が必要ということだが
これには時間がかかるし、確立するようになるには多分訓練がいる
訓練を自ら課す人もいれば、そうでない人もいて、多くは多分無意識に
ただ物理的な年齢を重ねることが多い
この個の確立ができていないとどういうことが起きるか
アメフトの選手のよく考えたら間違っていた行動
頭のいいはずの官僚さんたちのどう考えても無理筋な行動
そして、横並びに異を唱えないメディアの姿勢
日本社会は(?)多様な意見の存在を認めるという建前があるが
それには多少の辛抱とか、まずは何を言おうとしているか理解しようとする気持ちが必要
それが多数というグループに入ってしまうと、いきなりその場の空気に支配されて
自らの意見を言うことができなくなってしまう
それは生活がかかっていいるからできないというだけでなく、
自分の内側からの声に耳を傾けようとする癖ができていないからのような気がする
ということで、少しばかりイラつくメディア(テレビ)から思いついたことを愚痴ってみた
(それにしても、本当に、テレビ局は悲しいくらいみんな横並びだな、、
だから途中で見ないようにしてるけど、、、)