パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

文体と相性

2018年05月19日 08時23分55秒 | 徒然なるままに

図書館で借りて再読した柴田哲孝の「下山事件 最後の証言」

昭和史に刻まれるこの特異な事件に身内のものが関わっているのではないか、、
との疑惑から、身内の人の記憶と様々な資料をあたって、この事件を追求する

下山事件とは1949年7月5日 銀座三越から忽然と消えた初代国鉄総裁下山定則が
その一日後、彼は轢死体として発見される
事件発生時点から他殺説、自殺説が乱れ飛び警察の中でも、捜査一課は自殺説
捜査二課は他殺説と分かれ、生態轢断か死後轢断かとの評価は東大と慶應義塾大で異なる
事件を調査するうちに、線路上に何メートルもの血液反応が発見されたり
衣服に奇妙な油がしみ込んでいたりの不思議な現象が見られた
一方、失踪後の下山定則と思われる人物を見たという人物がところどころ現れる
しかし、調査結果として公にされたものが必ずしも聞き取り内容そのものではなかった疑いが見られた
その他にも下山氏の死を暗示するような不自然な出来事が、例えば、下山家の家族への電話とか
落書きとか、、幾つものことが、、起こっている

このミステリアスな事件は想像力を刺激すると見えて、多くの人がその真相を暴くべく取り組んでいて
松本清張の「日本の黒い霧」矢田喜美夫「謀殺 下山事件」諸永裕二「葬られた夏 追跡下山事件」
森達也「シモヤマケース」などがある
これらは他殺説だが、その決定版となりそうなのが冒頭の柴田哲孝氏の著作

再読したこの本はとても面白かった
身内の記憶を辿り、身内に残された写真とそこに写る多様な人物と風景や車
それらは一気にリアルな世界を想像させる
しかし残念なことに本の後半部分は登場する人物が多すぎて雑な読み方では何がなんだかわからなくなった
矢板玄人、白洲次郎、吉田茂、佐藤栄作、児玉誉士夫、その他戦後を代表する歴史上の人物と
GHQ やキャノン機関やCIAがごちゃ混ぜのように絡み合って、それである方向に進んでいく、、

確かに面白かったが、一方向からばかりではまずいということでアマゾンで購入して読書中が

これは自殺説を支持する著作で、それのみならず上記の柴田哲孝氏の「下山事件 最後の証言」を徹底的に批判する書物だ
柴田氏が他殺と判断する根拠を、一つ一つ取り上げて、それを否定する証拠と解釈を紹介していく
この過程は、客観的に物事を見るということとはこういうことだ、、と感心する
しかし、とても残念なのは、この人(佐藤一)の一言多い文体が、少しばかり読んでいる人間を不快にさせる
単に事実の羅列を行い、多用な解釈が存在しうることだけを述べれば良いのだが、そこに柴田氏への批評が入る
その表現はまるで麻生財務大臣の負けず嫌いな性格がついやってしまう、言わずもがな、、の類
せっかくの真面目な本が、少し損してる印象

この本を読んで一番感じたのが内容ではなくて、このようなことというのは少しばかり情けないが
人が文章を読むというのは結構相性が肝心だ

いきなり話題は下山事件から文体(文章)の相性に変わるが、自分は名文との一般的に評価の高い太宰治が苦手だ
読んでいて、どこかわざとらしい仕掛けとか意地悪さみたいなものを感じて嫌な気分になってしまう
三島由紀夫もどうにも合わない
表現の多用さは認めるとしても、どこか人工的な作り物のような、、そして女に対してのどこかいじけたような人物設定
何度も挑戦しようとしてもこの二人は、途中で投げ出してしまう
ノーベル賞が届かない村上春樹氏も、、ハマるまではいかない
確かに気の利いているセンテンスがある、でもそれだけだ、、
やっぱり相性が良くないということ

結局のところ、人は自分が無条件に受け入れそうなイメージの考え(文章・作品群)を
まず最初の段階で選んでいるのだろう
この直感に近いモノが果たして何に依存するか、、はわからないが、
とにかくこういうことは存在するということ

相変わらずの毒にも薬にもならない話、、



コメント
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