パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

一番身につくのは教えること

2021年12月04日 19時30分18秒 | 徒然なるままに

確かにそうかも知れない、、と思うような図をネットで見かけた
とても良いものなので保存しておいた
それは学習したことが身につく具合を示した図で、このようになっている

ざっくり講義を聞くよりも、読むほうが、それよりも実演を見る方が
それよりも良いのが話し合うことで、自ら体験することも効果的だが
一番いいのは人に教えること、、、としている

教えるという行為は、効果的に伝えるためには頭の中を整理する過程がある
そこで気づかなかった点も、曖昧だった点も自己のなかで消化される
教えていて「こうだったのか!」とか「自分はこう考えていたのか」
と改めて感じることが多いのは、外国をルーツに持つ子どもたちの勉強の手伝いの時だ
日本人とか大人なら当たり前のことが、思いの外いい加減な印象だけで身についていたことが分かる

人は学ぶより教えるほうが好き!なのはありそうなことで
ゴルフのスイングを素人が素人に教えるなどというのはよく見られる光景

それにしても、教えようとして実は物事をよく理解していなかった現実に気づくのは
少しばかり情けない(それも仕方ないけれど)

世の中にしばしば見られるは「教え魔」は、実は自分のために行っているということのようだ
(自覚しているかどうかはわからないが)

 

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交響曲第2番

2021年12月04日 18時47分50秒 | 音楽

ヴァーグナーはそれほど気にいらなかったらしいが
彼が比べた上で好んだ第3番よりは、自分は第2番の方が好きだ
ブルックナーの交響曲第2番ハ短調は特に前半の2つの楽章をよく聴く

壮大な曲というより、自然の中にいるような心地よい気持ちにさせる曲で
特に第2楽章は何故か雨のザンクトフローリアンあたりの風景が頭に浮かぶ

交響曲第2番は、結構名曲が多い
シベリウス、ブラームス、マーラー
この中では最近はマーラーはパスしたい気分になることが多いが
シベリウスもブラームスも聴くといつもそれなりの感動を覚える
だが好きなものは好きというだけで、感動の総量はあまり関係ないように思えてしまい
ブルックナーの作品は愛しくてたまらない

田舎のおっさんの風貌のブルックナー(マーラーやブラームスの美貌と比べると悲惨な印象)
ウィーンのヴェルデベーレ宮殿の一角にはブルックナーの最後の家がある
ヴェルデベーレ宮殿はクリムトの絵を見に来る人は多いが
ブルックナーの家を見に来る人はよほど物好きでないと来ない
(自分が行った時も写真に撮る人はいなかった)

可愛そうなブルックナー
マーラーはいつか自分の時代が来る、、と言ったそうだが
個人的にはブルックナーの時代こそが本当に来てほしいと思う
ところで2番の第2楽章はこんな曲

Bruckner ~ Second Symphony - II (Andante)


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