多分、今年最後に読み終えた本になるのが和田静香さんの
「選挙活動、ビラ配りからやってみた。香川一区、密着日記」
最近、マイブームの小川淳也さん絡みの本だ
少し自慢になるが、今では少しメジャーになるつつある小川淳也さんに注目した
きっかけは映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」ではない
たまたま厚労省の統計不正の国会中継を見ていて
「なんと頭のいい人がいるものだ。しかも個人攻撃ではなくて!」
と、その質問力、追求力に驚きを覚えたのが最初で
「名前を覚えておかなくては!」と心に刻んだのだった
今でも「なぜ君は総理大臣になれないのか」は見ていない
そのかわりと言ってはなんだが、先の選挙の香川一区の選挙の動向は
地元の選挙よりも関心が高く、毎日のようにSNSで発信される情報・youtube
を見て香川一区の盛り上がりを羨ましく思ったものだった
和田静香さんの最新作は、一気読みできた
それはYoutubeやSNSで得た情報が主で、既に知っていたせいもある
本でも紹介される熱量の高い小川さんの目指す世界は
人はあるべき姿を求めて自らが諦めず行動しなければならない、、
と実感させるもので、それを肌で感じられる香川一区の人たちを
羨ましく思ったものだが、本にはそればかりではない現実も記されていた
盛り上がっているとされる香川一区の投票率は57%ちょっと
いざ期日前投票会場にでかけてみると(和田さんは自分の地区の不在者投票を香川で行った)
選挙関係者の熱気とは全く別の、静寂な世界があったというのだ
それは内々に盛り上がっているだけ、、のような印象すら与えるものだったらしい
選挙は戦い、あるいはお祭りとも称される
その現実世界は政策やマニフェストよりも、どぶ板に代表される人との接触回数が票に結びつく
そしてその現実を踏まえての候補者の選挙運動は、一種の尋常ではない過酷さが存在する
毎日のスケジュール・ハイテンションの持続、それらは超えなければならない壁としても
それにトライする人は、それだけで大したものだとも思う
選挙は人を巻き込む
その中には家族もいる
本の最後に触れられた「妻です」「娘です」とかかれたタスキについての言い争いは
その典型的な例だ
ジェンダーや現在の家族のあり方を考える人には「家父長制」を連想させる
「妻です」「娘です」のタスキは悪しき慣習そのものと思えてしまう
そこで親切心でこのタスキの使用を止めるようにアドバイスする
だが、当人たちは、、どうだったのか
強い意志をもって立候補して、なんとかこの国を良くしたいと思い続けている夫や父を
毎日見ている家族は、家族として自然発生的に応援したくなる
子供の頃は恥ずかしかったことも、成長に連れて父の望む世界は良いものだと
強く思うことになる
家族にできること、家族にしかできないこと
それは落選しても彼の家族だといい切れる覚悟だ
そしてそれは他人の入る余地のない世界のように思えてしまう
親切心でこのタスキの使用を止めるようにアドバイスした人
覚悟を決めて家族で応援したいとした人
一体どちらが正しいのか?
物事は一般論だけで解決できない問題が多い
感情を伴う問題は特にそうで、正解などはそもそも存在しないとさえ思えてくる
だが決められた時間内に何らかの結論を出さなければならない時
エイヤッと出す答えは、個々の頭の中で何度も繰り返し考えたことと
自分を納得させる理由が必要になる
そしてこの過程(討論)こそが物事を決めるのに必要だと彼(小川さん)は
言い続けていて、このタスキ問題も一つの解決に至った
和田さんの今回の作品は前回の
「時給はいつも最低賃金、これって私のせい」よりは簡単に読める
だがこの本には、2.3箇所、つい涙が出そうなところがある
それは自分たちが自分たちの世界を作っていくのだ
とする希望を持つことを鼓舞されるからのように思える