少し細かな話(たまたま請願という事態が新城市議会にも起きたので)
最近のマイブーム「ディスタンクシオン」の中にこんな文章があった
自分たちの要求を実現する方法として
上級管理職はとりわけ公的機関への請願という手段に訴えることが多いのに対し
生産労働者・事務労働者は他のどのカテゴリーよりストライキという手段に出ることが多く
また職人・小商人および一般管理職はデモ行進を行うことが多い
つまりは置かれている階級(学歴資本、文化資本的なもの含めて)によって
政治的な働きかけの選択が違ってくるということだ
「請願」が有効な意見の伝え方だとしても、実世界では「請願」という行為を知らない人が多い
話を新城市に限ると市議会のHPで「請願のシステム・手続き」を紹介するページがある
だが、それは庶民の当然の権利のようになっているかと言えば
「知ってる人だけが知っている手段」となっているように思える
だからこの「請願」が手続きに沿って行われて、それが議会で討論されて結果が出ても
それを知る人は全く少ない
ストライキとかデモ行進は「請願」のような抽象的なものではなく、誰もがイメージしやすい
特にデモ行進などは一般市民でも参加しやすいものだ
(フランスではダラダラと歩くだけのデモもあるらしい)
「知ってる人しか知らない手段」は、どんな啓蒙活動をしてもそんなに広がることはないと思われる
だが、現実に起きた「請願」という事実を知らないでいることは、市民は損かもしれないとも思う
新城市議会への請願は紹介議員が必要で、直近の議会に一つの請願が提出された
請願という手段をとった人は、その手段を良く知る立場にあった人物で純然たる一般市民ではない
その内容は、何かと問題の多い(政務活動費の問題、問責決議の頻発など)新城市議会の
体質改善のためにある方法を提案したのだった
内容に少しばかり「力技ぽい」ところがあるのは事実だが、そのくらいしないと現実的な対処法には
ならないかも知れないと思えないこともなかった
結果は「不採択」
問題なのはこの結果ではなく、市民の多くがこの「請願の事実」と「不採択の理由」を
全く知らないだろうということ
実はその2つを知るだけで、いろんなことが見えてくると思う
(例えば市議会の問題点・賛成反対の理屈とそれを考え出す能力)
とは言っても、そんな話は面倒だからと関心が及ばないのを分かる(自分を振り返っても)
結局は政治とか言われるたぐいは、誰かがやってるのを追認したり
知らずに済んでいくものだろうか
少しばかり分別くさくなったおっさんは少し心配