確かに個人差はある
飲み込みの良い子、残念ながら理解が進まない子
集中でできる子、落ち着きのない子
木曜日の午後、外国をルーツに持つ子達の勉強を見ている際に感じることだ
この一時間弱の手伝いタイムが経過し帰る頃には
無力感とか落ち込みそうな気持ちになることが圧倒的に多い
「この子たちがこのまま大人になったら、どうなってしまうのだろう?」
そんな不安が沸々と湧いてきてしまうからだ
理解力のある子はまだ良い
だが残念ながらそうでない子は、学校で受けている授業はわからないまま
時間が過ぎていくだけで必要な知識は身についていない
面倒を見ている子の昨日の宿題は、二桁の割り算の算数のプリントだった
彼が手こずるのが文章題で、何故手こずるかといえば
そもそもの日本語が理解できていないからで
「二人で分けると、、、」という言葉も「分ける」という意味がわかっていない
勿論、同学年の外国をルーツに持つ子で苦もなく理解できる子がいる
(その意味では彼は少し問題があるのかも知れないが)
だが、目に前にいるのは「わからない」という現実に直面している子どもで
「何故わからないか?」を尋ねた時
彼は「日本語の意味がわからない」と答えた
「わからないときは、聞くように」と口酸っぱく言ってるが
最近は自分に対しては恥ずかしげもなく聞けるようになった
一緒にいる上の学年の子に、ポルトガル語で分けるの意味を伝えてもらう
すると彼はうなずいてわかった様子(?)
今度は絵を書いて問題の意図を理解してもらうようにする
彼はわからないけれども、一生懸命自分なりに理解しようといつになく集中する
しばらくして
「ちょっと待って!」「わかった!」の声
彼の「わかった」という答えが信用できない場合もあるが
今までのもやもやは少なくとも解消されたようだ
次は筆算の計算問題、一つの式の中では、掛け算・割り算を先に行うことは
わかっているようで、カッコが入った計算式も素早くはできないがとりあえずはできる
「Rくん、いい、わからなかったら先生に分かるように教えてって言うんだよ
それがダメだったら、友達に教えてって言うんだよ」
「うん、友達は、、、」
昨日も不安が残って、落ち込みそうになりそうだったが、彼の次の一言で一気に救われた
「ありがとうございました」
それは、およそ彼の言いそうにない言葉で、あの時間も決して真面目にできていたわけではなかった
それでも彼はこちらに伝わる気持ちを込めて言った
「ありがとうございました」
人の気持ちって伝わるもんだな、、
これで次回も頑張ろうと言う気になれる
だが子どもたちは、さっき言った言葉などすぐに忘れて
また子どもらしい自分勝手な世界に入っていく
「Rくん、忘れ物ない、、、」
やっぱり相変わらずだ
でも、少しづつ少しづつ、良い方向に変わってくれればいいと思う