ポスティングは、それを仕事としている人は何も思わないかもしれないが
伝えたいメッセージとして思いを込めて行う人は
しばしば絶望感を覚えるかもしれない
それは個人的に実感したことで、新城市で住民投票が行われた時
政治的な内容の場合は新聞折込ができず、できたとしてもお金がかかるので
有志によるポスティングをせざるを得なかった
(その他にも例はあるが)
郵便ポスㇳに入れるだけの単純作業だが、この作業時には不安に襲われる
これを読んでくれる人はどの位いるだろう?
読んだとしても、共感を覚えて貰える人はどの位いるだろう?
いきなりゴミ箱に直行するのではないだろうか?
こうした否定的な考えが自然と浮かぶ
田舎の家は一軒一軒が離れているので、作業は思いのほか手間がかかる
一軒入れたら次の家まで自転車とか車で移動する
それらの家は生活感があるのか無いのかわからない場合が少なくない
(人が住んでいるのか空き家なのか?)
また家のポストを探すのが慣れないと難しい
ポストの位置は呆れるほどいろいろで、玄関にある場合もあれば
庭を挟んで離れたところにある場合もある
やっと50ポスティングか?
と遅々として進まないことについイライラしてしまう
そして、これが効果的なことなのだろうか?
とさえ思えてくる
不特定多数の人に、何かアクションを期待する働きを求めると
そのレスポンスは3%だそうだ(0.3%かもしれない)
通販の会社がチラシを折り込んだ時、購入に結びつくのは
統計的にそんなものらしい
そのことを知ると挫けそうになる
3%なら100枚ポスティングすれば3名
でも0.3%なら1000枚配ってやっと3名
実感は0.3%のほうが分があるように思えてしまう
でも、それでもやり抜く!
と思えたのは、仲間が頑張っている姿を見たからだ
本当に、仲間の頑張りはモチベーションを保つきっかけとなる
新城市では様々な問題が山積していて
市民が声を上げざるを得ない状況が続いている
(それはクレーマーなのか、正義感によるものかの評価が
分かれる事かもしれないが)
ただ、現実社会はこうした行為やその行為に至る動機などには
無関心の人が多い
それは社会的に珍しいことではなく、社会はそんなもので、だからこそ
アクションの確率は低い数字にとどまっているのだろう
映画「香川一区」では小川淳也氏がポスティングをしている場面があるが
そこでも、自分らと同じような不安を感じていたことが口にされている
いみじくも彼は、諦めそうな絶望しそうな「自分との戦い」と割り切って
(無理矢理?)頑張っているが、その気持は本当に良くわかる
ということで、行動する人は偉いな、、ということ
それにしても、もう少しいい方法はないのだろうか
あのことを多くの市民に知らせたいし!