パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

実感として分かるようになっているピケティの本

2024年02月25日 16時47分48秒 | 

今年アマゾンから仕入れ、読み終えた三冊目がこの本
「自然、文化、そして不平等」トマ・ピケティ著

この本は講演会をまとめたもので、比較的わかりやすい内容だった
所得格差、資産格差、ジェンダー格差などを
世界の国のデータを拾ってグラフ化したもので紹介されている

ピケティの基本的な立ち位置はシンプルで「格差があることは良くない」
の一言で表せるかもしれない
「21世紀の資本」でもその主張はあったが
年々その傾向は強くなっている気がする

世界に存在する不平等は少しづつ訂正されつつあるものの
全般的にはまだまだという感じだが、少しづつでも良くなっていくことから
悲観的な見方をするものではなく、なんとかするべきものと考えているようだ

この本を読んでいると少し前に読んだ「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」
を思い出した

ピケティが心配する不平等は(特にジェンダー的なもの)資本主義から
生み出されるものかもしれない、、と想像が働いた
そこには(例えば植民地における)搾取どころではない収奪
という残酷な事実が存在したかのようだ

こういう本を読むといつも思うのは、なぜ日本にはこういった視点で
書かれる本がないのだろうか?という点
全人格的に「良い悪い」の判断に従ってあるべき姿を求めるような本が
ないのが残念だ

国家として大事な教育について、いろんな国は小中学校だけでなく
大学等までも補助金等を支給している
しかし、実態としてその補助金はお金のある家庭に回されることになって
親ガチャで外れてしまった人には行き渡らない
その実態から現実的な対応策を考えるのが国という組織だが
この点で日本はどうなんだろう?と思ったりする

本を読むということは、自分の様々な経験が感じ方に反映される
あのことか!と感じる部分が多ければ多いほど、
その本を理解できるようになる

その意味では、自分もこの手の本を読んでも理解できる
ようになってきたようだ
尤も、その理解は深いものとは言えないかもしれないが


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無条件では信じられないこと

2024年02月25日 09時56分52秒 | 養鶏所騒動

ある年の2月15日、ある企業が市に土地の売却を申し出て
同じ年の7月15日には売却価格、約4億8000万円の
半額が支払われた

これだけ大きな金額、行政は手続きを踏んだと言われるが異様に速い
と思えるのは偏見のせいではないと思う

急いだと思われるまず第一の理由は、市にとっては購入の予算取りが
通常の定例会ではなく急遽臨時議会を開いて行われているからで
行政は臨時議会はこの案件のためではなくコロナ対策費用の使い方
についての案件のついでに提出したとしているが
なぜ6月議会まで待てなかったのだろうかの疑問が残る

不動産鑑定をする条件付きで可決された臨時議会の予算案は
6月には不動産鑑定が出ており、その価格で購入して良いか否かが
議会に諮られた

議員さんに配布された資料の中には不動産鑑定の書類もあったようで
(全議員がそれを持っているのではないかもしれない)
そこには、不動産鑑定の評価値を出すための比較対象とした土地が
新城市が1箇所、豊川市が3箇所となっていたことがわかった

そこに違和感を感じたことや、土地の面積等の間違いがあったために
もう少し良く検討してから議決したほうが良い!とする意見があったが
よくあるパターンでこの購入は市議会で可決された

そして土地購入は仮契約から本契約となり、本契約には
半額が直ぐに支払われることになっており、支払われた

5億円近くのお金が5ヶ月で一気に判断されたのは
もしかしたら、その価格以上に変なことかもしれない
と最近思うようになった

不動産鑑定は一社の随意契約で行われた
高額な委託料になると予想されたので、普通なら入札というシステムを
用いると思われたが、委託料は「公共事業に関わる不動産鑑定報酬基準」
に基づいて決められるので、どの企業が受注しても金額は同じなので
価格の競争入札にはなじまない、、との理由で信頼がおけるところに
依頼したことになっている
(これは表になっていて、不動産鑑定をした結果〇〇万円なら委託料は△△万円とわかるもの)

不動産鑑定はこうしたことから、どこでも随意契約なのかな?
と疑問を持ったので不動産鑑定の契約状況をネットで調べてみると、
そんなことはなく、カウンターと言われる入札で決められることは少なくなかった

市がお金を使う場合は議会の承認が必要で、不動産鑑定の委託料も
議決されなければならない
ところが、先の「公共事業に関わる不動産鑑定報酬基準」を用いるとすると
委託料は不動産鑑定を行った後にしかわからない
やってもいない不動産鑑定、表を使用するとしても、やってから分かる数字を
やる前にどうやって委託料を算出したのかと疑問を覚えると
行政は先方からの希望売却価格を伝えた、、としている

ここで一般的な取引を想像してみる
契約書は甲乙互いに同じものを持つが
現実は、その契約書に書かれていないニュアンス等も伝えられている
(今回の場合、訴えた側にこの手の仕事を生業としている方がいて
その方は、担当者と細かな打ち合わせをするのが通常としている)
つまりは肝心なことは書類ではなくて、記録に残らない会話で伝えられる
可能性があるということだ
(そしてこの意図を汲み取る能力こそが営業能力と言えるかもしれない
 現実が存在する)

このときの不動産鑑定は通常では提出されない速報値というものが提出されて
それを元に先方の業者と協議している
(速報値ではなくちゃんとした結果が出てから協議すればいいのに
 これを急いでいないと言えるのだろうか)

今回の場合、無条件で信じられないことが2つある
一つは比較対照した土地が3箇所が豊川市だったことについて
鑑定時には比較できる場所はそれしかなかった、、ということ
そしてもう一つは、希望売却価格を聞いても
それは不動産鑑定に何ら影響を受けていないとすること
これらが額面通りには信じられない

それらを信じるべき理由が、これを行っているのは国家資格の持ち主で
公正に仕事を行うべき存在とされているというだけのことだ
(そんな理由が説得力を持つだろうか?)

だが難しいのは、この信じられないというのが
どうやれば妥当性のある疑問として他人に受け入れられるか?
という点

今回の場合は例外が多く、その一つ一つを注視していくと
段取りを踏んでいたとしても実態としての行為は限りなく異様
と思えることがあるので、それを指摘しても想像力の欠けた人には
伝わらないようだ

ということで、今回もまとまらない話
これは今までにも何回も繰り返している問題だが
なにか手はないか、、としつこく考え続けている



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