パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

エレーヌ・グリモーの本「幸せのレッスン」

2020年12月14日 08時47分43秒 | 

想像していた通りの内容だったが、想像してたのとは違う内容だったとも言える
「幸せのレッスン」エレーヌ・グリモー

著者はフランスの女性ピアニスト(今はアメリカに住んでいるみたい)
しかもとても美人だ
このカバー写真よりはもっと魅力的なものが、CDジャケットにはあって
ついついジャケット買いをしてしまいそうになる

以前、ご尊顔を拝したくて名古屋で行われたリサイタルにでかけたことがある
この時のプログラムが通常の名曲のオンパレードではなくて「水」をテーマにして
武満徹とかドビッシーとか現代作曲家を混じえたとても変わったものだった

記憶に刻まれているのは、とても変わったプログラムだったことと
ものすごく深くゆっくりとお辞儀をする人だったという点で
肝心の美しいお顔は遠くからだったのでよく見えなかった

どうしても美人ピアニストは外見が気になって仕方ないが
変わったプログラムを選択する内的な必然性が気になった
そのうち彼女はオオカミを飼っているという話を耳にした
またフランス人だがフランス音楽よりはドイツの音楽にシンパシーを
感じているらしいとの情報も彼女に対する興味は増すことになった

内面的な人かもしれない
本を読む前に想像したのはこのことで、やはり自分を見つめるタイプの人だった
ただ想像していたのと違うと感じたのはその内容の真剣さの度合いで
真っ向から自分と立ち向かう姿勢はピアニストの範囲を超えていた
(その文章力も)

内面的なスランプに陥った彼女は自分を取り戻す旅にでる
そこで必然のような出会いをいくつも経験する
ここは一本調子の感はあるが、その真剣さはその欠点を充分補う

読んでいてその光景が頭に浮かぶ描写力はすごい
難しい言葉を書き連ねているのではなく、ごく普通の言葉を用いているのだが
光の色、感触、懐かしさ、、、そうしたものをごく自然に思い起こす
(それは三島由紀夫の流麗な描写の文体とは全然違う)

人は社会との関係で存在し生きているのだが、この本は自分との関係について
真っ向から向き合っている
不意にヘッセの「シッダールタ」と「ガラス玉演技」を思い浮かべた
「シッダールタ」は内面への道と作者自身が名付けた作品で、このグリモーの作品もそのトーンは同じだ
そしてこの作品の所々に出てくる別の作家のエピソードは、「ガラス玉演技」でヨーゼフ・クネヒトの残した
2つの物語を連想させた

この内面的な人がピアノという楽器を使って聴衆との橋渡しのようなことをする
橋渡しされるのは音楽だが、音楽とは一体何か、、
その行為の充足感や達成感、そして意味
そうしたものを登場人物との出会いによって内面に確固とした何かが蓄積される

物語というのもは確かに現実ではない仮想の世界のことなのだが、
人に対する影響力は思いのほか力を持っているように感じられる
最近真面目に読んでいる社会学関係の参考になる著作よりは、この手の本の方が
じんわりと心に残っていそうな気がする

ただ、この本の日本語タイトルはちょっと違うなと感じられたのは少し残念
原題を英語的に訳すと「プライベートレッスン」となるらしいいが、
このほうがストレートに立ち向かうイメージがあって良いような、、、


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