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データはそれを裏付けていない「トリクルダウン」

2023年10月13日 10時10分17秒 | あれこれ考えること

理屈がそれなりに筋が通っていれば信ずべきものとして扱われるが
実社会では通用しないものとされるのが「トリクルダウン」の概念

富裕層や資本に対する税率を下げると
富裕層はより多く貯蓄し、より多くのビジネスを生み出し
それが残りの人々にも利益をもたらすというのが「トリクルダウン」の考え方で
日本では理屈の上だけの解釈で、それが真実とか現実的なものと思われていた

これが正しいかどうかを評価するのは経験的データとなるが
どうもデータはこの理論を裏付けていないらしい
トリクルダウンは実際には実現されていないと「21世紀の資本」の中で
ピケティも宣言しているが、最近読んだ「不安に打ち克つ思考」のなかで
経済学者のズックマンも同じように述べている

うまく機能しない理由の一つは、私利私欲によって政治が一部コントロール
されているからで、富の集中と言う現象は、富裕層が政治に与える影響力の
増大とともに存在してきた としている

どんなに良い方法を考えついたとしても、厄介なのが人間の持つ私利私欲で
「国家はなぜ衰退するのか」という本では、(国民が)富む富まないは
少数者の収奪という実態がありや無しやで決まると結論づけている

「ショック・ドクトリン」でもドサクサに紛れて新自由主義者たちが
公的な施設や機能を一気に民主化して改革を進めたが
ここでも残酷なほど一部の有力な人物・組織に委ねられ
それは少数者の収奪という言葉で説明されるようになっているとしている

そこで思うのだがトリクルダウンの概念は一見筋が通っていそうなので
経営者にとっては使いやすい概念で、生活者としての庶民は
実感も含めて信じられるものではないと考える
ところが、日本では(これは思い込みかもしれないが)トリクルダウンは
依然として存在感を持った概念として生き延びているように思える
それは庶民も経営者と同じように考えるからだと思われる

時々「従業員も(庶民も)経営者の視点で考えるように!」
との考えを目にしたり耳にしたりするが
時々「本当にそうすべきなのだろうか?」
と思うことがある
ここで経営者を自分自身のことと考えれば
自分を雇う経営者と対立し、それぞれの利益は相反する

相反する利益の妥協点を探すのが、それぞれの役割と思うが
少なくとも日本では庶民のこうした力はものすごく弱い気がする
結局は上から言われたことをするだけに収まっているように思えて仕方ない

でも、もしかしたら、庶民も少し変わるかもしれないと思えたのが
埼玉県の「虐待禁止条例」に対する庶民の行動力だ
この条例は例えば「子供だけでの留守番などを放置による虐待と定める」
などの現実離れした条例で、共稼ぎ夫婦や子を持つ人からは猛烈な反対意見がでて
(委員会では採決されたが)本会議では賛成多数で議決されないようにと
署名活動やデモ等の運動が行われ、その結果条例案を提出した自民党が
取り下げることになった
この取り下げまでできたのは庶民の行動力で、これが成功体験となり
庶民も何かを変えることができると自信を持てば
お上とか誰かに任せっぱなしの政治(制度)も変えることができるような気もする


 


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