パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

自分で考えたこと?(それとも影響されていること?)

2020年07月13日 09時28分20秒 | あれこれ考えること

ビートルズ時代のポール・マッカートニーが「イエスタデイ」を初めて仲間に披露した時
仲間に「この曲はどこかで既にある曲なんだろうか?」と聞いたそうだ
彼は夢の中でメロディを思いついたが、それはどこかで聞いた音楽が記憶の中に残っていて
それを再現しただけではなかったのかと思ったのだ

彼の不安は取り越し苦労に過ぎなくて、仲間から完全にオリジナルだとのお墨付きを得て
今や彼の代表曲としてライブでは欠かせない一曲になっている

本を読んでいてこれと似たような状況を経験する
(自分が考えたのかそれとも既にある考え方なのかと)
最近特に本を読んでいて、この部分「自分が考えたのと同じだ!」と感じることが多い
本は新しい知識を得るだけでなく、自分の常々考えていたことが上手くまとめられている
というようなことが多いが、上手くまとめているだけでなく、その中の重要な考え方が
「自分と同じだ」と感じるのだ
そこで「自分の考えたの同じ」と感じるものの、本当に自分の考えたことなのか
それとも「知らず知らず他人の考えたことを身に着けていたのではないか?」
と気になるのだ

自分で考えたつもりでも、何かに影響されている、、のはとてもありそうなことで
結局のところ、人はある事柄に関して完全に客観的になることはできないように思える

例えば建前上は完全に公平であるとされる裁判にしても、別々の体験をした裁判官は
同じものを見ても同じように感じるとは限らない
彼らはどうしても自らの生きてきた経験から離れることはできないのではないか
もっともその危険性を自覚しているからこそ、それが暴走しないようなシステムには
なっているのだろうが(詳しくはわからないので、勝手にそう思っている)

自分が考えたようでも、人の意見の受け売りというのはスポーツの場面では多く見られる
前日の野球の結果を自慢げに話しているひとは、実はテレビで解説者が言っていたこととか
新聞に書かれていたことを繰り返しているだけ、、というのは珍しくもない
(本当に自分の意見を得るためには音声を消して、試合を見る方が良いだろうと思う)

野球に限らず世論的なもの、空気も自分で考えたものではなく
知らず知らず自分の考えたこととして妙に自信を持ってしまう人達がいる
そしてその考えは多いために安心し、正しいものに違いないと錯覚してしまう
(世論は果たして信頼に値するものか?)

最近は、こうした傾向を若干自覚しているので
いろんなことを鵜呑みにすることはなく、いろいろ疑いながら
そして自分自身も疑いながらことに当たるようにしているつもり
でも世間的には「面倒くさいやつ!」ってことになるかもしれない



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 知らず知らず数えてしまう | トップ | 「マスコミ亡国論」を読んで »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

あれこれ考えること」カテゴリの最新記事