パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

時間経過、運、嫉妬、後悔など

2024年05月16日 09時26分14秒 | ダイアリー

他人の(経済的な)成功を祝福するというのは思いのほか難しい
ちっちゃな人間との批判があるかもしれないが
素直な感覚としては取り残されたような気がしないでもない
ただ悔しさとか羨ましい気持ちを表に出すほど感情を
コントロールできないわけではない
彼らも必死に頑張った結果だ!
と自分自身に言い聞かせ、そこまで自分は頑張ったか?
と思うことにする

運という言葉があるが、確かにそういうものはあるかもしれない
とも思う
さだまさしの「無縁坂」の中にこんなのがある
「運がいいとかわるいとか 人は時々口にするけど、
そういうことって確かにあると あなたを見ててそう思う」

時間の経過は平等だ
偶然とか自発的に状況に対応していって、その結果が世間的に
成功者と言われることになっているのも運かもしれない
昨日、フト思い立ってある人物の名前をググってみた(I Y)
名前で検索可能となれば、その時点でそれなりの社会的に存在価値のある人物
ということになる
検索は、昔見た面影がある写真と共に現在のポジションが出てきた
「彼女、あれから自分の信じる道を進んで、ここまでなったんだ」
彼女は自分の会社の代表者になっていた
この結果を羨ましいとは思わなかった
むしろ良かった、、と祝福したい気分だった
中国に留学して時を過ごし、それを終えたら経験を活かす仕事について
またもや勉強をし直してステップアップして、、、

あのような性格とか生き方をしている人がうまく行っている
それは多少の嫉妬もありながら良いことだと思う

もう一人そう言う人(女性)を知っている
仕事の関係で何度か話したことのある人で
育ちの良い、素直で、ちょっとチョンボしがちな明るい人だった
彼女も今は自分が好きだったチョコレートに関することで
独自のポジションを確立している
成功する人は今でも素直なこういう人であって欲しい!
そう感じさせる人で、その成功を喜びたい

だが、それに比べて、、、、
こういう流れになると落ち込むみそうになるかもしれない
だが、大好きなヘッセの「シッダールタ」も「そんなはずではなかった」
と他人からみればそうみられる生き方をしている
だが内的には充実した時間の経過は自分だけのもの
それを無闇に社会的な成功だけの基準で比較するのは
よろしくない、、、と無理矢理にでも思うことにする

こうなったら社会的に存在感がないとしても
小市民の感情を味わいつくしてやる、、
と開き直ったりする
(なんのこっちゃ!)








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