パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「一人街宣」を知った

2024年07月07日 09時10分32秒 | あれこれ考えること

暑いっ!
エアコンのない2階のこの部屋にいられるのもあともう少しだけ
出来るうちにボケ防止のルーティンが済ませてしまおう

都知事選、愛知県の田舎は関係のない話だがちょっと気づいたこと
今までにデモを経験したことのある身として実感したことは
攻撃的な言葉のシュプレヒコールは恥ずかしいということ
かつて安保関連法案の時は、その代表的な言葉として
「安倍辞めろ!」というのがあった
でも田舎から国会議事堂前に行って訴えたかったのは
そんなことではなかった
もっとシンプルにこれからの日本に起こる不安とか
その危険性をみんなで共有したいとか
そう感じる人がいることを可視化させたい!そんなことだった

昨日の小池さんの街頭演説ではアンチの人たちの
「小池辞めろ!」の大声があったらしい
ここで問題なのは当人たちは必死で行っているかもしれないが
この大声の訴えは例えば蓮舫さんたちの応援になっているか?
といえばそうではなくて、むしろ反感を覚えさせることになっていないだろうか

強い言葉での批判は、気をつけないとこうした感情(反感)を招きやすい
これは我が市の市政についても同様に感じる
批判的な意見は問題提起として重要だが、これがいつまでもその時点でとどまって
解決策としての方法が示されないと、批判ばかり、、との声がでてしまいそうなのは
わからないでもない

強い言葉で言わないとわからない!
と焦る気持ちもわかるが、一旦呼吸を整えてじっくり構えるのも必要と思われる

今回の都知事選で面白い動きが見られたようだ
それは今風のSNSを通した手法のことではなくて、もっと別のこと
「一人街宣」というやつだ
一人街角にスローガンを書いたパネルを持って声も発せずに立っている
その一人ひとりは団体のメンバーではなくて単なる普通の人たち
彼らは声に出すのが恥ずかしいので強い言葉を発しない
それでも自分が信じることを勇気を振り絞って行っている

ほんの小さな出来事だが、これはSNSの少し軽いノリよりは
切実感があって良いものと自分は思う
そして、これ今後の一般人の政治活動のスタンダードになればいいと思う

デモをする時、過激な言葉は恥ずかしくて嫌だ!と言う人は必ずいる
そう言う人たちのために緩やかな、、抵抗感のない方法というものとして
少し勇気が必要なこの方法が広がればいいと思う

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