パンセ(みたいなものを目指して)

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普通の人びとと個人の責任

2022年05月11日 09時28分14秒 | あれこれ考えること

勢い込んで購入したものの、気が滅入って読み続けることができない本
それが「普通の人びと」

帯にあるようにホロコーストを実行した、人格も出来上がっているはずの
年令に達している普通の人びとの愚行の記録だ

正直なところ読んでて気持ち悪くなって吐き気がする
人の生死がいつの間にか数字としか認識されないようになっている
ある程度は予想していた内容だが、いざ直面するとその残酷さはしんどい
それは現在のロシアのウクライナ侵攻におけるロシア軍の一部の人の
暴走を連想させる
戦争とはそういうものだ!と言ってしまうにはあまりにも非人間的な行為に
なぜそこまでなってしまうのか、、の疑問はどうしてもついてまわる

この普通の人々はナチスの歴史教育・民族教育の賜物ではなく
すでに人格を形成された大人たちの集団だ
つまりは善悪の判断力も持ち合わせている人たちだった
だが、それは発揮されず命令に従って粛々と命令されたこと実行した
(実は読み続けるのがしんどいので最後のまとめの章だけ読んだ)

そこではアイヒマンの例にあるように、自分がしなかったら別の誰かが行う
とか、自分の代わりに行う人に与えるストレスを考慮すれば自分が行う選択しかない
とか、有名なミルグラム実験(特定の条件がそろうと道徳的に問題があることであっても、
人は誰しも権威者の命令に服従する可能性があることを明らかにした、スタンリー・ミルグラムによる実験)
のような外的要因による一種自動的に命令に従うとか、、様々な考えうる要因が述べられている

戦争はそういうものだとか、その立場になったなら仕方ない、、としてしまうには
あまりにも見逃すことのできない行為は、この本でもアイヒマンの裁判の判決文でも
あるように人間の責任は究極的には個人の問題であると結論付けられている

ただしそれでも社会的な背景は無視できないもの事実
結局のところこれらから学ぶべきは、こうした究極の状況を作らないこと
社会が危険な方向に進みそうならば早めに手を打っておくということだろう

始まってしまったらブレーキが効かなくなる
まずは始まらないこと、、それは一番だ

時代の空気に影響を与える庶民の気持ちは正しいか?を考えると
その空気はあまりにも衝動的な面がある
それはプロパガンダのせいかもしれないがNHK スペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争
(庶民の日記を資料として、そこに出てくる言葉から時代の空気を読み取とったもの)
では、厭戦気分から高揚感に満ちた開戦への庶民の気持ちが変化していく過程が明らかにされた

戦争を経験した今の時点ではそれを誤りと断言できる
つまりは誤りと断言できるうちに早め早めに手を打っていかないと
現在一部で聞かれる勇ましい論調が世の中を席巻してしまいそうで怖い

後の時代の人に
「あの時、あなたたちは何をした?」
と批判されないようにする
それは個人の責任だろう

 


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