パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

天才! つボイノリオ

2007年03月13日 20時50分46秒 | Weblog
世の中には実にさまざまな種類の天才たちがいる。
ノーベル賞をもらうような科学系の人々や
オリンピックで金メダルを手にするようなスポーツ系の人
碁、将棋にとんでもない才能を発揮する人
音楽、絵画にもあふれんばかりの力を発揮する人たちがいる

中部地方のCBCラジオで
月曜から金曜まで午前の時間を受け持っている
つボイノリオは
「ラジオのしゃべり」の天才ではないだろうか?
頻繁に聴く機会があるのだが
その都度感心してしまう
物事を分かりやすく解説する能力
(しかも、面白おかしく)
話題も「おっぱい」「トイレ」の話から
政治、歴史の話、コンピュータの話、そして
「華麗なる一族」を全くの別の角度から
庶民の感覚で(?)とりあげて
しかも、凄いと思うのは
それが「あっけらかん」としてること
古今亭志ん生、志ん朝の聞き終えたときの感じに似ている
聴取者も番組に積極的に参加して
各地の天気や道路情報などを連絡しては
みんなで番組を作り上げている
(インターネット、ファックスなどを駆使しながら)

あまりにも身近にいるので
そんな風に思わない人が多いのだろうが
自分は、彼は天才だと思う
そして毎日のようにその芸(?)を聞けるのは幸せなことだ
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三鷹事件、最初、正しい報道はされたか?

2007年03月12日 21時24分34秒 | Weblog
昨年だったか一昨年だったか忘れたが、結構興味深く読めた
下山事件がらみの本に引き続いて読み始めているのが「三鷹事件」
(片島 紀男著 新風者刊)
アマゾンで「松川事件」も合わせて購入したけれど
一つ困る事がある
それはこの本は文庫本の体裁をしているので
寝転がって読むには少し不便な事

それにしても、確かに1949年は変な年だったようだ
下山事件が起きて2週間と経たないうちに三鷹事件
そこには政治的な思惑うんぬんがあったかもしてないが
今自分が読んでいる部分までの感想は
「報道は間違った事を伝えているかもしれない」ということ

今回のこの本は、時代背景や事件直後の新聞報道を
多く載せているので、その当時の雰囲気を感じる事が出来るが
自分があの時代にいたなら、当初報道される事をそのまま信じてしまったかもしれない
後になって、変だとかおかしいと冷静になれたとしても
直後は、野次馬的興味も手伝ってセンセーショナルな報道を受け入れたがってしまう気がする

後で共産党の人々が無罪となっても、いったん広がってしまったマイナスのイメージは
それが間違いであったとしてもなかなか払拭できない

つまり、注意すべきは現在でも、同じ事が繰り返されてはいないだろうかという事
早く伝えることを優先するばかりに
正確な検証、確認がおろそかにされている
そして多くの事柄は間違っていたとしても
訂正される頃にはすっかり忘れ去られてしまっている

確かにすべてを疑ってかかるのは、それも問題だが
マスコミ報道をそのまま信じないで
正しい判断を出来るような訓練も必要だろう
(だから解説者の意見を聞いて分った気になるのではなくて
自分で考える癖を付けなくては!)

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それを誰がするのか?

2007年03月10日 21時11分39秒 | Weblog
たとえば、機械は文句を言わないから効率的に動かすには
人間を3交代にしてずっと稼働させるのがよい。

日付の変わってしまった弁当は商品価値が低いから
日付が変わるギリギリまで頑張って製造しよう。

店舗ごとの年間売り上げを一日単位に換算すると
休日はない方が(当たり前だが)売り上げは伸すし
消費者にも利便性を与えられる。

こうした事柄は割と当たり前のように行われている
しかし、その現場にいる人々はその状況が辛く厳しくても
「代わりは幾らでもいるよ」の言葉に怯え
あまりよくない待遇で頑張っている。

いったい現場の負担はどこまでいくのだろう?
3交代、深夜労働の身体に及ぼす影響は心配ないのか?
彼らの家族とに時間はどうやってつくり出すのか?

現場。
すべてはそこから始まることだし
現場の人間がいるからこそ、いろんな事が成り立っているのだが
管理する方はどうも数字的、効率的なことしか考えないようだ
人は疲れたり、感情を持っているということを無視して
まるで機械のように人を見なす。
それでは柳沢氏が女性を産む機械と発言したのと同じではないのか?
エコっぽい商品をこのような体制でつくって「ロハス」と言っても
現場の人の生活の持続が可能でなかったらそれは真の意味での
ロハスにはならないのに!
利益をしっかり出さないと社員や株主に対する責任が全う出来ない
だから効率的なシステムで生産、販売を行う
経営陣はそう考えるかもしれない。

しかし、それは現場に過度の負担を強いてまでする事なのか?

過度な負担も全ては金次第でクリア!
そんな風に割り切って考える事も出来そうだが
本当にそうなのだろうか?

本当はしたくない事を金の力で行わせている
としたら、それはいい事なのだろうか?

勿論、人は仕事だからこそ我慢強かったり
頑張れたりするのも事実だが
それも程度次第だと思うのだが!

どうも最近は、世の中がお金に支配されているように思えてならない。


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国民力が低下している

2007年03月08日 21時38分09秒 | Weblog
滑り台やマンホールの蓋や電線が盗難に遭っている
盗まれたそれらは高い価格で資源として買い取られるらしい
ホントに、なんでもありーの世の中になってしまったものだ
盗まれたものだと知りながら買い上げる(?)人たちもいるのだろう
裸同然に存在するそれらを今までは誰も盗みはしなかった

スーパー等の店舗には障害者用の駐車場が入り口近くに設けられているが
それらが空いているとき、平気でそこに駐車する人がいる

なんで、こんなになってしまったのだろうか?
上記二つを今後なくすためには、罪を犯した人の罰則を強化すればいい
と考えるかもしれない
事実アメリカでは障害者用の駐車場に止めた人には罰則があるらしいと
ラジオで言っていた

しかし、なくすために罰則を強化するというのは一見現実的であっても
対処療法に過ぎないのではないのかな
もっと根本的なところから直していかないと!

そもそも何でもありーの、儲けた奴が勝ち、
じっくり自分の力でいろんなものを手に入れるなんて面倒くさい
みたいな考え方が今のこの国に蔓延しているようだが
それは実は国際的な比較で数学、理科の学力が落ちているのと同様に
国としての力が低下している現れではないのだろうか
(国民の感情を含めた力が低下しているのではないだろうか?)

豊かな国というのは必ずしも金銭的に恵まれた国というだけではないだろう
まして、資本主義の国では金銭的に恵まれた人は上位数パーセントになって
格差が存在し皆が豊かになれる訳ではない

国民全体が、善意を善意として普通にありがたく感じ
いけない事はいけない事と、難しい理屈を付けなくても
自明のこととして暮らしていく
そんな教養、常識が皆の心に備わっているのが
本当に豊かな国ではないのかな?

もう、そんなのは夢みたいな事?




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アジア・チャンピオンズリーグ レッズvsペルシク・ケディリ

2007年03月07日 22時24分13秒 | Weblog
たまたま点けたBSデジタルでの観戦の
アジア・チャンピオンズリーグ レッズvsペルシク・ケディリ

レッズのホームというだけでなく、実力も戦力も少し差があったようだ
だからもう少し点差があってもよかったのではないか

割と早い時間にコーナーキックからのこぼれ球が入り
ワンサイドになるかと思ったのが予想以上にモタモタしていた
ワシントンはどうもゴールに嫌われているようだし
コンディションも今イチかな。
だから監督が、今日は入らない日と判断して
岡野と交代したのは分らないではない
入らない時はホント入らない
(いったん得点するとドンドン得点しそうなのだが)
反対に永井は先日の開幕戦といい
今日も難しい角度から撃ったら入っちゃった、みたいな感じ
それにしても、永井、ポンテ、山田等ドリブルでボールを運ぶタイプは
コンディションが悪いとどうも上手く回っていかないようだ
最終的には個人の力で突破するのだが
今日の時点の山田、永井、ポンテは?かな

それと永井2回ばかし、もっと簡単にシンプルにくさびのパスを
落としておけばいいのに、トリッキーな事をしてボールを失ったが
もったいないプレーだった
それからネネ、縦のパスの精度が悪すぎた
相手との関係があるにしても、もう少しなんとかしないと、、、

今日のシュートで一番得点を取るべくして取った感じなのが小野の一発
確かにゴールにパスという感じで
入る時は簡単に入れてしまうな、という印象
もっとも何度もいいシュートを撃っていたので
得点の可能性はあったけれど!

全体としてまだチームになってないようだから
次のオーストラリアでのアウェイがかなり厳しい戦いになりそうだ
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ラジオ、この捨てがたいもの。

2007年03月05日 21時05分48秒 | Weblog
帰りのラジオで聞いた言葉で面白いのがあった
「男の恋愛の記憶はフォルダに保存されており
 その中のファイルをダブルクリックすると一つ一つ再現できるけれど、
 女の恋愛は上書き保存されている」
と若い女のパーソナリティーが話していた
妙になるほどな!と思ってしまった

そういえば、舌足らずの話し方をするこのパーソナリティーは
前にも記憶に残るフレーズを口にした事があった
それは彼女が先生に言われた言葉らしいが
「お前は人間としての才能に恵まれている」

このように、通勤時などの車の中では最近はCDは聞かないかな?
いちいちCDを替えるのが面倒で、結果、
同じ物ばかり聞くはめになり飽きてしまって
ラジオに耳を傾ける事が多いようだ

自分は結構ラジオは好きな方かな!
ラジオは井戸端会議的で、かしこまったところがなく
本音が出やすくて、情報も多くて、!
トークなら民放のAM ,音楽番組ならFM(NHK)
それが今の自分のお気に入りだ
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子供たちに遊んでもらってる?

2007年03月04日 22時40分28秒 | Weblog
今日は地元の運動公園で
年3回のサッカーの大会定期戦

これは、市内および近隣の村のサッカーチームが
1年生から6年生まで、皆が試合出来る大会で
普段選手に選んでもらえない子もフル出場できて
勝負より楽しむ事に主眼をおいた催し

腰痛持ちで怪我が治りつつある自分は
お情けで、日本語の通じない
1年生担当になって、褒めたり、怒ったり
試合の合間には適当に遊びを考えたりで
喉と腰の痛い一日だった
流石に半日以上立っていると前傾姿勢ができず
靴下を脱ぐのにもちょっと手間がかかってしまう

ところで試合結果は
1勝1分け、
引き分けは決勝戦でPK戰になり
辛くも勝ちを拾い、優勝!

いつもは3、4年の担当で
こんなに小さな学年を見るのは久しぶり!
まだまだ個性が出てきてるとは言いがたいけれど
なんか、感情がストレートで、わがままで、素直で
可愛いなあ。

時々、思うのだけれど
自分らがサッカーを教えてる、というより
子供らに遊んでもらってるみたいだ。
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ゆっくりすぎると間違えてしまう般若心経

2007年03月02日 21時37分17秒 | Weblog
祖母が亡くなってから、続けるようにしている毎朝の般若心経。
しかし、忙しい時間に行うので、ついつい猛スピードで唱えてしまう。
先の雑誌「サライ」に落語と般若心経の録音したCDがあって、車で聞いたのだが、
声に合わせて唱えようとすると、ん、上手く出てこない
どうもゆっくり過ぎると、なんか別のものを唱えてるみたいで
今どの箇所だったかな?と思う事もしばしばだ。

結局、内容で覚えているのではなく、単にリスムだけで覚えてるだけなのだろう
もっとも「色即是空、空即是色」なんて
しっかり説明してもらっても
単なる思い込みじゃないかと、今イチ分らないのだけれど、、、

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春になると困るもの

2007年03月01日 20時47分55秒 | Weblog
今年は記録的な暖冬で、春の訪れも早いようだけれど
春になると困るのが「花粉症」と「道路工事」
幸い花粉症の方は、数年前から何とも感じなくなってきて
問題はなくなったが、依然として手に負えないのが「道路工事」だ

工事を頭に入れずに、人と会う約束をしてしまうと
渋滞にはまって、さあ困ってしまう
イライラするし、遅れる連絡のための携帯電話は
車の中では使えないし
必然的に「道路工事」自体に怒りがいってしまう

それにしても、何カ所かで行われているその工事
いったい何のためなのか
実は全然知らないでいる
確か看板に何か書いてあったが、
たいして注目もせず素通りするだけだ
だが、それらは本当に必要な工事なのだろうか?
昔から誰かが言ってるように、
予算を使い切るための工事?
それとも、公共工事で建設業を援助するための工事?

本当に、この年度末の「道路工事」は何年も変わらない光景だ。
必要な工事なら、どの時期に行われても構わないのに
この時期に重なって判で押したように、
あっちこっちで道が掘り返されてるのには
何か不自然な意図が感じられてしまう、と思うのは
物事を斜めに見過ぎだろうか?

政治家に年度末に急に増えるこの工事を
問題視する人がいないのは何故なんだろう?

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