パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

夏に聴く曲

2008年08月06日 21時09分42秒 | Weblog
エアコンがなく、扇風機を回しても暑い部屋で
じっくり音楽を聴くのは流石につらく
最近は通勤時にFMで楽しんでいるだけだが
秋にはブラームスが似合うように
夏には何があうのだろうかと
とりとめのないことを考えてみた

もっともこんなのは全く個人的なもので
普遍的な要素などないが、、、

まずはマーラーの第3番の交響曲
「夏の交響曲」と題されているから聞きたいのではなく
高校時代に友達からこの曲のレコードを借りて
聞いたのがこの時期で、トウモロコシを食べながら聞いた記憶が
今も鮮明に覚えているから夏と言えばこの曲がまず浮かぶ

同様にバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番も
高校時代の記憶に起因する
たった一丁のヴァイオリンで
闇の中に吸い込まれていくような音楽
静寂すらも音楽の一部と感じた最初の経験だったかもしれない

リムスキーコルサコフのシエラザード
つまり千夜一夜物語だからファンタジックな夏の夜には
ふさわしいというか、夏の夜そのもの
ヴァイオリンの奏でるシエラザードの主題
これまた昔が懐かしい

後はシベリウスかなんかの寒々とした和声の楽曲もいいかもしれない

そういえばバイロイトでトリスタンやパルジファルを聞いたのは
ちょうど32年前の今頃だった
たしかエアコンなんか聞いていない劇場で
木の椅子に我慢して座って
しかし暑くもなかったし退屈もしなかった

言語もわからなかったし
そもそもオペラ、楽劇の類いを見る(聴く)のは
初めてだったが、ライブの勢いというか熱気に
包み込まれて本当によい経験だった

しかし、それでもヴァーグナーは夏にはきつそうだ
精神的にもっと馬力のあるときしか聞けないかな

夏の不眠症気味にはその対策として書かれた逸話のある(?)
ゴールドベルク変奏曲
確かにいいかもしれない
最後の変奏までには眠ってしまいそうだから
聴くのはレコードではなく
CDにしなくてはいけないかな
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虫の声

2008年08月06日 06時23分23秒 | Weblog
昨晩は雷と雨がやってきて
気温が下がったせいでよく眠れた

で、朝気づくと蝉が鳴きだすその前
もうかすかに虫の声が聞こえる
暑い暑いと言いつつ季節は着実に秋に向かっている
そういえば太陽も南に傾いてきたし
日が昇るのも遅くなってきた

当たり前のことでも
自然は凄いな!
と感じることしきりだ
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日本中が寝不足?

2008年08月05日 20時44分35秒 | Weblog
昨日の夜は昼からの暑さが抜けず、風もなく寝苦しかった
どうやらこの地方のどんな家もそうだったようで
自然素材の土壁の家も暑かったらしい

吉田兼好が徒然草の中で「家の作りようは夏をむねとすべし」
と勧めていたが昨日の温度ではそれもむなしく響く

ようやく朝になって少しひんやりしても
その頃には起きなければならない

日本中が寝不足になってしまうのでは!
真夜中のスポーツ中継をみるより高い確率で
眠たい朝を迎えただろう

しかしいつまで続くのだろう
夏は疲れる!
寝不足だけでなく、昼間の暑さに
自分で自分にエアコンを作動させているようで
(しかもフル回転で)

これだけ暑いと音楽を聴く気にも
本を読む気にもなかなかなれない


幸い今日は黒い雲が夕方から覆っていて
気温は昨日ほどないようだ
こんなのが続くといいのだが


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安眠を妨げるもの

2008年08月03日 05時36分29秒 | Weblog
熱帯夜の寝苦しさではなく
日々のストレスからなる浅い眠りでもなく
小さな蚊の耳元辺りの飛行のせいでもなく
最近は少なくなったが暴走族の爆音でもなく
安眠を妨げたのは「猫の鳴き声」

今日が日曜だったからいいものの
これが普通の日だったら怒りはもっと大きなものになっていただろう

先日もこの猫君、やはり真夜中にマイペースで
庭の木の下で鳴いていた
その時は起きて邪魔だと脅しに行ったのだが
夜中の黒い猫は少しばかり不気味

猫はどうも居場所というか
通る道が決まっているようで
この間までは車の上に足跡がきっちり残っていた

ミュージカル「キャッツ」は自由でプライドの高い
猫の生態を楽しく歌っていたが
さて現実の世界となると近所の猫君
他人の家まで我が物顔に侵入
そして真夜中に大声で泣いたりして
困ったものだ

で今日は予想外の早起き
早起きは蝉も同じで、もう騒いでいる
今日は湿度が高い暑い一日になりそう
やれやれ、年々夏が苦手になっていく
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考えることは皆同じ

2008年08月02日 20時43分08秒 | Weblog
「今日に晩ご飯何にする?」
主婦の一番厄介な仕事の一つ食事の準備
「そうめんもこの間食べたし、そんなに食べたくないし
 何でもいい!」
「それが一番困る。何か言って」
「それじゃ、考えておくわ」

数時間後
「結局、何にした?」
「さっぱりしたお寿司なんかはどう?」
「そうだね、温かいご飯も食べる気がしないし
 我が家らしく稲荷寿司と鉄火巻きくらいで安くすまそうか」

スーパーの寿司売り場、4時半くらいの時点で
がらーんとした陳列台
いつもならここに稲荷と鉄火があるのに、
残っているのは上寿司と書かれた握りだけ
何ということだ!
考えることは結局皆同じ!ってこと
他所のうちも我が家と同じように考えた?

その真偽はともかくいずれにせよ稲荷と鉄火がなかったのは事実
POS分析がしっかりなされているのなら明日からは
この手の商品はしっかり補充されているはずだが
さてどうだろう?

つくづく、一人が考えるということは
何人かが考えつくということなのだろう

ということは、今度選挙があれば次は、、、


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現場の不満

2008年08月01日 21時51分13秒 | Weblog
どこかで見た場面
それこそ日本中の至る所でみられるのではないのか
と思われるのが会社(上司)批判

それらは不思議なほど会社、団体が違っていても
不満の質が似ている
それだけに他人の話を聞いても自分のこととして
想像できてしまう

特に現場の人間は、管理する立場の人たちが
その現場の状況を深く理解していない、そして
現場の人たちの心情を全く理解していない
とこぼすことが多い

帳面、数字だけを机の上で把握して
人としての気持ちを無視したような指示を
平気で行うことに反発を感じるのだ

命令を下す立場の人は
現場の人間はいくらでも代わりがいる
と考えがちだ
確かにいろんな現場の人たちの仕事は
現実的には取って代わりやすい類いの仕事が多いのは事実だ

しかし、物事が円滑に進んでいるのは
そうした現場がキチンと仕事を全うしているからであって
必ずしも命令、指示が適切だったからではないだろう

現代はいろんなことが2極化していて
仕事も高度な経営判断を要するものと
いわゆる現場といわれる労働集約的なものに分かれている

そして残念なことに皆が経済的にも余裕のある立場になれる訳ではない
むしろ大半は望むと望まないに関わらず
ワーキングプアの温床ともいうべき現場的な仕事に就くことが多いだろう

上に立つ人の(たった人の)努力、執念を認めないのではないが
それでも今の世の中、もう少し現場の立場を(いくら代わりが可能だとしても)
大事にみなくてはいけないのではないだろうか?

不祥事が起きると、責任を取らされるのは始めは現場とか下の地位の人間
話がこじれてきてマスコミが騒ぐようになって初めて上のものが責任を取る
それは本当に潔くない

だが悲観的なことを言えば
こうした姑息な人の方が一般的には出世しやすかったり
政治家として成功する(少なくとも短期的には)可能性が高いようだ

それはある種の生命力に通じる者があるかもしれない
だからある面では一概に否定もできないかもしれない

今更ながら世の中は難しい!






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