パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

落書きバス

2008年10月16日 21時33分12秒 | Weblog
なんだ、この汚いバスは!

今日の午後、信号待ちをしていた時
目の前に現れたのは落書きだらけのバス

また新幹線列車のように落書きをされたのかな
と思ったものの、
よーく見るとどうも様子が違うよう
なんだかワザと描かせているような、、、
それからもう少し注意深く見ると
「お絵かきバス」の文字

なるほど、小学生くらいの子供たちに
のびのびとバスのサイドと後ろに
落書きさせているみたい

だが主旨はいいものの
この出来上がりの汚いバスを走らせているのは
ある意味すごい!

それにしても、さあ何でもいいから落書きしなさい
と言われたら、案外困ったしまいそうだ
それだけ頭が固くなっているのかな?
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真ん中の人材不足

2008年10月15日 22時47分25秒 | Weblog
W杯アジア最終予選:日本1-1ウズベキスタン

客観的に見ればウズベキスタンもバーレーンも
W杯の資格があるようなチームには思えない
たとえ出場しても予選リーグでコテンパタンにやっつけられそうで
アジアのレベルの低さを露呈してしまうだけに終わりそうだ

日本はその2チームよりは多少資格はありそうだが
相変わらず煮え切らないサッカーに終始している

得点力不足という前に今日は、
パス、トラップ、足下へのパスでリズムがなかった
相手のプレスが厳しかったから?
いやいや必ずしもそれだけでなさそう
なんでかな!

この国はいつまで経っても日本らしさというのが見えてこない
韓国なら屈強な体躯をいかした攻撃とタフな精神力がイメージされるが
日本では監督がかわるたびにトレンドを追いかけたような(?)サッカーで
すべてが軽い!

先発メンバーを見れば岡田監督は現時点での現実的な選び方をしているようだが
いかんせん線が細い!
サイドアタックがセオリーというものの縦で勝負できる選手がいないし
たとえ上手く行っても最後のクロスが不正確

実は個人的に心配なのは真ん中が弱そうなこと
つまりボールを前に運ぶのにサイドとかパスならなんとか成功するが
サイドからというもののサイドに押し込まれているみたいなところもあるし
パスはいったん通ってもそこから手がない

前、中、後ろと分けられるように
右、真ん中、左と分けた場合、この真ん中で
つまりプレッシヤーの中できちんとプレーできる人物がいない
これを思うと中田英は優れたプレーヤーだったと
無い物ねだりをしたくなってしまう

さて中村俊、先日のUAE戦でキレがなかったようなので少し心配したが
やはりフィジカル面で問題があったのか
流石というプレーは見せるものの本来の姿ではないように見える

彼の場合、たいがいトラップして相手を引きつけてスペースをつくって
パスを出すスタイルなので、時と場合によっては少しゲームが遅くなるような気がする
決定的なパスも供給し、確かに典型的な司令塔タイプなのだが
オシム前監督の目指すようなトータルフットボールとは
またスペインのようなボールも人も動くサッカーとは少しずれがあるような気がする

だからUAE戦でも中村俊は退いた後、中村憲、こおろき、岡崎等が出てきた方が
流動的だったように感じられた
しかし、中村俊ほど決定的な仕事をする代わりの人間がいない
だから現実的には多少古いタイプのサッカーになっても
彼を中心としたサッカーにならざるを得ないのだろう

結局はスターをつくりたいマスコミはほっといて
真に力のある若い人材を発掘、もしくは育てるしか方法はないのだが
時間がなさ過ぎる?



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共時性(偶然の一致?)の一日

2008年10月14日 22時25分29秒 | Weblog
12日の掛川花鳥園に行った日のこと
さすがに連休の真ん中、我々が着いた時には
駐車場が満杯ちかく
ヤバイ!と 思ったらちょうど一台分がすぐ近くにあいた
「ラッキー」?の始まりはそこからスタート

園内を見ていると12日にTBS系列のテレビ局の
「どうぶつ奇想天外」に、ここ掛川花鳥園の
ふくろうが出演 のお知らせの紙があった

「ちょうど今日で、
 せっかくだから忘れなかったら見よう」
などと、晩の予定を決めて、おにぎりを食べて見学を続け
1時の鷹狩りの実演を見た

イギリス人の男の人と自己紹介では近くの出身という
若い女性によるショーはあれだけ鳥がなついてくると
可愛いだろうな!が実感

その後ふくろうとの2ショット写真撮影に急いだ
実は11時台のチャンスには目の前で
終了のしるしが出たので、この1時のほうに
かけたのだがすでに写真撮りを待つ人でいっぱい

そうこうするうちに一人で写真撮影していたところに
先ほど鷹狩りをしていた女性がやってきて
撮影は二手に分かれてこなしていった

我々は、たまたまその後来た女性のほうになった

さて家に帰って「どうぶつ奇想天外」に時間になって
待つこと1時間半
そこに出てきたのは その日ふくろうとの2ショット写真に
協力してくれた 鷹狩りの女性
「あれっ!あの人だ」

そんなわけで、ついなんだか得したような気がしたのだが
このような偶然は
(行った日にテレビ放映があるのを知り
 ふくろうを手渡ししてくれた女性が
 実はテレビの出演者だった)
なんら他人には意味あることではないかもしれないが
当事者にとっては とても意味ある不思議なことに
思えてくる
しかし、表立って口外すると少しオカルトっぽいので
よくあること!と流すことにしている

実際こんなことはしばしば起こることがある
偶然の一致のような
その時は
「ちょっとバイオリズム 運気の流れがいいぞ!」
と思い込むことにしている

ユングが共時性と名づけたものとは
多少ニュアンスが違うかもしれないが
確かに偶然の一致として当人にとって意味ある出来事は
存在するものだ
(それらは単に心理学の問題として片付けるには
 もったいないような気がしないではない)

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忍びと忍術

2008年10月13日 21時56分08秒 | Weblog
江戸時代選書 山口正之著 雄山閣

えらく真面目な本
そして興味深い内容から成り立っている

第1篇 忍術と歴史
 第1章 伊賀と甲賀
 第2章 忍者の実戦記録

第2編 忍者の盛衰
第3編 忍者と科学
第4編 忍術と文学
第5編 忍術と道徳
第6編 忍法
 第1章 忍術の秘密主義
 第2章 忍技のさまざま
第7編 忍術と呪術
 第1章 呪術混合
 第2章 魔術と人相
第8編 忍話抄
第9編 忍者心得張
第10編 忍術の文献
 第1章 万川集海
 第2章 忍書探訪
 第3章 忍術文献

以上からなる労作だ

ここでは忍者がリアルな姿で記録されている
忍者はっとり君、伊賀の影丸、風のフジ丸、猿飛び佐助などの
面白おかしいもは忍者者の文学としてさらっと流して
大半は真面目な調査からなる記述の終始している

確かに忍者という人種は現実主義者であったし
イメージにあるようなおどろおどろしい者ではなく
求められる人格は、いわゆるどこでも求められるものとは
なんら変わりないことが違いないことが明らかにされる

それにしても、このようななんの役に立つかわからない本が
ある人の情熱によって発刊され
庶民が手にすることが出来る、こうした現実が
実は本当に文化的で贅沢なことではないだろうか
(もっとも自分は変な本ばかり探す傾向に
 あり過ぎるかもしれないが)
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自然の色

2008年10月12日 18時56分10秒 | Weblog
静岡県、掛川にある花鳥園というところに行ってきた
普段は何もしてあげられない母へのサービスなのだが
(母は前から行きたい行きたいとこぼしていた)
行ってみて大正解!結構楽しかった

花鳥園の名前の通り花と鳥のテーマパークだけれど
それにしてもいろんな鳥がいるものだ
そしてその鳥たちの色のきれいなこと
オシドリ、金鶏、クジャク、それからインコのかわったもの
どうしたらこんな色が出るのだろうと
知らず知らず口に出るほど

そういえば、天井からぶら下げられた様々な花も
相変わらず花の名前はわからないが
カラフルでとてもきれいだった

そこでふと思ったのが
これらは自然の色だからきれいに感じるのでないか?
という点
少なくとも見ていて疲れるということはないし
生きているものの手応えがあり、冷たい感じはしない

どうやら我々人間も生物の仲間
無機質なものより生き物、自然のものに
よりシンパシーを感じるらしい

そしてこの傾向は年齢を重ねるにつれ徐々に深まっていくようだ
(少なくとも自分はそうだ)
そのせいで近頃の安易に製造された毒々しい色の商品群には
ついていけないでいる

自然の色
枯れ葉等、朽ちていくものをも含めて
それらがとてもいとおしく思える時がある
こんな風に思うようになれるとは
歳を取ることは案外いいことなのかもしれない


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WTC第7ビル崩壊の原因

2008年10月09日 22時13分20秒 | Weblog
今日はサッカーのキリンチャレンジカップではなく
911の話

7年も経ってやっと、米国立標準技術研究所(NIST)は
航空機が突入しなかったにもかかわらず、テロの発生から約8時間後に単独で崩れた世界貿易センターのWTC7ビルについて、は2008年8月下旬、調査報告書を公表した

報告書によると、WTC7ビルは航空機の突入から約1時間後に倒壊したWTC1ビルの破片を受けて、7~9階と11~13階付近で火災が発生。送水管が破断してスプリンクラーが作動せず、消防隊も消火活動を見合わせたので、延焼した。

 崩壊が始まったのは13階から。北東角付近で床スラブを支える長さ約16mの複数の小梁が火災の熱で膨張。下図の79番と44番の柱の間に渡した長さ約14mの大梁に、西側に押し出す力を加えた。その結果、大梁と79番の柱との接合部が外れて、79番の柱の周囲にある13階の床スラブと梁が12階に落下した。これをきっかけに、床スラブと梁の落下が連鎖して起こり、13階から6階まで一気に崩れた。

 横方向の支えを失った79番の柱は、上層階の荷重を支えきれずに座屈。79番の柱が支えていた荷重が周辺の柱に移り、過大な力に耐えられなくなった柱が相次いで崩れた。崩壊範囲はビルの東側から西側に向けて拡大し、わずか8.2秒間でビル全体がつぶれた。

いわゆる公式な発表というのはこれなのだろうが
少なくとも素人にはそれが妥当かどうかわからない
それこそ構造計算や解体専門の人たちはこの説明を
そのまま信じられるのだろうか?

崩壊が始まったのが13階からならなぜそれより上の階まで
きれいに跡形もなくなってしまったのだろうか?
それに今になって(崩壊の原因に興味がなくなっている頃?)
まことしやかに発表するのは、しつこいようだが
やはりどこか違和感を捨て去ることが出来ない

なにもアメリカの自作自演とまでは言わないが
とにかく何か喉につかえているようで
気持ちが悪くてしかたない

学者たちは公式発表を抵抗なく
受け入れることが出来たのだろうか?

今更この話題を持ち出すと変な目で見られそうだが
ケネディー大統領の暗殺が単にオズワルドの犯行では
ないのと同様にこの事件も単純な話だけではなさそう
と思えてならない

こんな風に歴史が確定していくのは少し残念だ
勝てば官軍!
勝ったものだけが残していく歴史は
いつか大きな間違いを起こしそう

だから首をかしげるような妙な説も
庶民の意見の一つとして残しておかないと
ブレーキがかからなくなってしまうような気がするのだが、、、
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親戚、友達が増えてくる。そして顔の話

2008年10月08日 22時21分46秒 | Weblog
久々に明るい話題のニュース
ノーベル物理学賞に 南部陽一郎氏、益川敏英氏、小林誠氏
そして今日はノーベル化学賞に下村脩が選ばれたとのこと

おそらく日本中で彼らに関する親戚、知り合い、友達と称する人々が増えることだろう
そんなに無理して結びつけなくても!
と思うくらいの人も自慢げに話している姿が目に浮かびそうだ

彼らの出身地や出身校の後輩もテレビ局に取材され
直接関係なくても自慢げなのは
全世界共通の感覚かもしれないから仕方ないこと?

ところでテレビなどで見る限り、彼ら学者はいい顔をしている
ハンサムというのではなく、よい歳の取り方をしている
というか、どこか純粋でやんちゃなままに見えたりする
彼らにも挫折や大きな困難はあっただろう
多少の運はあったにせよ物事に真正面に取り組んで
乗り越えてきた、そんな生き方が表情に現れているようだ

それに引き換え我々の日々目にする政治家の人相の悪いこと
言葉はどんなにまともなことを語られても
全体から受ける印象は政治屋!と呼ばれる
図太くて、ずる賢くて、金に汚い!
といったものから離れられない

ところが、もっと困ったことは
自分に置き換えてみると
さて自分はどんな人相をしているかがわからない
毎日鏡は見ていても客観的な評価は自分ではできない

ただ自分と同じくらいの年齢の人を見ては
人からは、あんな風に見られているのだろうと
想像するだけだ
せめて政治屋の顔に似ていないことを願うばかりだ
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キンモクセイ

2008年10月07日 21時08分42秒 | Weblog
植物音痴の自分は草、花、木の名前全然知らない
さすがに桜くらいは知っているけれど
自慢じゃないがチューリップだって
あの特徴ある形の花が咲いていない状態だったら
それがチューリップかどうか区別できない

今朝、窓を開けると甘ったるい香りが漂ってきた
キンモクセイ?
いやそれともジンチョウゲ?
どっちだったけ、確かどっちかのはず
本当に似たような香りだ!

そこでそれとなく
「よく香ってくるね!」と話しかけると
「~さん家のキンモクセイ、すっかり咲いているからね」
の返事
そうか、やっぱりキンモクセイなのか
変なこと言わず、恥をかかずに済んだ

そんなこと思っていたら今度は彼岸花って
秋の彼岸頃に咲くだけだったかな
春は咲かなかったけ?
ずいぶん頻繁に咲いているような気がしてるけれど、、、
そんなことが気になった

それにしても、我ながらちょっとひどいかも
もう少し自然の移ろいに気を配らねば!
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どっこいしょ

2008年10月06日 22時08分19秒 | Weblog
最近つい出てしまうのが
「どっこいしょ」
「よいしょ」

もっとも後者は物を持ち上げるときなど
腰痛の人間は意識的に出すほうがよいとかの
記憶が(うっすら)あるので出てしまうかもしれないが、、、

それにしても、あまりにも自然に出てくるのが
少しばかり残念!
なんだか歳とったようで

だが、こんなに自然に出てしまうのは
もしかしたら体にはそのほうがいいのかもしれない

そういえば室伏選手や福原愛選手
シャラポアさんも知らず知らず?大きな声を出していた

やっぱり後で声に出すだけだれど
なにか効果はあるのかな
(どっこいしょとは中身が違う?)
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チーム分け

2008年10月05日 16時37分35秒 | Weblog
「ねえ、今日試合やる?」
こんな言葉が出始めると子供たちの集中が切れ始めた証拠

全く子供対相手の練習は、最初の休憩までの時間が勝負
軽いランニング、柔軟運動、細かなステップ、そしてドリブル、キック
決して難しい練習ではないが、基本中の基本で
これらの練習の成果は案外馬鹿にできない
それは他のチームと練習試合をする時によくわかる
少なくとも走る姿のバランスの良さ、強く蹴る、方向転換は
チーム戦術的なことを重視するところよりも上手くできている

ところで今日はコーチ陣の都合で一人で
1年から3年までの子供たちを見ることになった
こうなると困るのは、どちらを基準に練習したらよいかと言う点
あまり初歩的なことは3年生にはつまらないし
難しいことをやらせても1年はできない

そこで、とりあえず最初の集中の続く範囲では、しっかり走らせて
彼らの大好きなゲームで残りの時間をつぶすことにした

「僕、あの子と一緒のチームになりたい」
いつもライバル心を煽って競わせている子供が言う
「いつも一緒のチームになったことがない!」

また別の子が言う
「僕はこっちのチームがいい!」
それはどの学年にもいる所謂運動神経のいる子のチームのこと
しかし、その子をそちらの方にしてしまうと本人は
そんなにボールタッチが多くなれず、ゲームに参加もできず
ゲームには勝つかもしれないかもしれないが上達はできないので
「ダメ、楽して勝つ方を簡単に選んじゃいけないよ
 ちょっと頑張るくらいのチームの方が絶対後で上手くなるから」
すると
「後のことなんていい、今勝ちたい!」
このあまりにも正直な、近視眼的な台詞には思わず笑ってしまったが
大半の子供たちのチーム分けの希望はこの方向が多い
つまり、勝ちそうなチームに自分が属していたい

だが、こちらの主目的は、子供たちの勝つ喜びだけのためではない
同じ勝つにしても、必死に努力しないと勝てないような
そんなチーム分けにする

それは単に同じくらいの能力を分けるのではなく
性格的に(プレースタイルの)あわない子は同じチームにせず
結果的に同じくらいボールタッチができるような形にする

ボールタッチが少ないのは
同じ発想をする活発な子が、おとなしい子のしたいことを
彼のボールコントロールの範囲内であっても、味方であっても
奪ってしてしまうからの場合が多い
そんなことが続くと知らず知らずおとなしい子は
目の前にボールがきても次のプレーを選択できずモタモタしてしまう
こんなシーンは特に1.2年生は頻繁に見られる

だからおとなしい子には、
「目の前にきたボールは全部自分のもの
たとえ~君がきても、ボールは渡さなくてもいいよ」
と言い続けているのだが、残念ながらなかなか言葉通りにはいかない
だからチーム分けの際に
味方のボールをとってまで活躍する子のチームには
やっぱり味方にとられても、平気で、こたえない性格の子を一緒にして
引っ込み思案の子は玉離れがよくて割とボールをまわしてくれるチームに入れるようにしている
もちろんその子の進歩も状況もあるのでいつも同じチーム分けではないが

毎年、年に数回1年から6年まで全員が試合に出られる大会があるが
同じ学年に2チーム分の人数がいる場合
自分は決して単純に、運動神経のいい子のAチーム、少しおとなしい子がいるBチームという
分け方はしない
ワザと、どこかしらチームとしての欠点をつくっておき
一人一人がいつもより頑張らないと勝てないような
チーム分けにする
頑張って勝つことの方が、簡単に(自分が参加していなくても)勝ってしまうことより
ずっと面白い!と思ってもらえるようと嬉しいのだが

しかし、まだ1.2年生では無理かな、、、
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