2000年をあと半年で迎えるという時に
祖母が亡くなって以来
毎朝仏壇にご飯とお茶を供えて
母と般若心経を唱えることにしている
初めは頼りなかった般若心経も今は暗記して
外のお墓に行っても、二人ともどこでも唱えることができる
だが毎日続けているのは信心深いからではない
ましてその意味を理解しているからでは絶対ない
ならばなぜ続けているか?
それは思い出作りのためだ
母との二人の共同作業の思い出
それは旅行の思い出作りと似ている
冬の寒いときには自然と般若心経を唱えるスピードが速まって
早くその場所から抜け出そうとしたり
窓から差し込む光の明るさで季節の移ろいを感じたり
(そこには母がいつもの場所にいるのだが)
こうした当たり前の日常が
共通の感覚、記憶を育んでいく
祖母や祖父、そして父たちは残された家族に
共通の思い出を作る機会を与えてくれている
そしてこの日課は慣れてしまうと
少しも大変なことではなくて
むしろ何かの機会でやれなかった日などは
とても気持ちが悪いくらいになってしまう
これから先般若心経の意味を深く知る時が来るかもしれない
だが、わかろうとわからまいと
これから先もできる限り毎日続けるつもりだ
本当に続ける理由のために
祖母が亡くなって以来
毎朝仏壇にご飯とお茶を供えて
母と般若心経を唱えることにしている
初めは頼りなかった般若心経も今は暗記して
外のお墓に行っても、二人ともどこでも唱えることができる
だが毎日続けているのは信心深いからではない
ましてその意味を理解しているからでは絶対ない
ならばなぜ続けているか?
それは思い出作りのためだ
母との二人の共同作業の思い出
それは旅行の思い出作りと似ている
冬の寒いときには自然と般若心経を唱えるスピードが速まって
早くその場所から抜け出そうとしたり
窓から差し込む光の明るさで季節の移ろいを感じたり
(そこには母がいつもの場所にいるのだが)
こうした当たり前の日常が
共通の感覚、記憶を育んでいく
祖母や祖父、そして父たちは残された家族に
共通の思い出を作る機会を与えてくれている
そしてこの日課は慣れてしまうと
少しも大変なことではなくて
むしろ何かの機会でやれなかった日などは
とても気持ちが悪いくらいになってしまう
これから先般若心経の意味を深く知る時が来るかもしれない
だが、わかろうとわからまいと
これから先もできる限り毎日続けるつもりだ
本当に続ける理由のために