パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ハインリッヒ・シュッツの音楽

2014年01月09日 20時21分45秒 | 音楽
バッハよりちょうど100年前生まれたハインリッヒ・シュッツ
その音楽を聴いたことが無いわけではなかったが、
特に印象に残っているわけでもなかった

ところが聴くタイミング、時期というのはあるもので
昨日義理の兄から借りた「カンツィオネ・サクレ(宗教合唱曲集)」の
レコードをかけた瞬間からそのおおらかな音楽に惹かれてしまった

これは思いの外心地よい
バッハみたいに濃密で窮屈ということはない、
モンテヴェルディほど古いって感じはしない
何よりも懐が深くておおらかでゆったり構えて
響きに浸ることができる
例によって聴き方はほとんど歌詞は無視、
レコード解説の対訳は面倒で音楽だけに浸る

音楽に浸ると言う行為は作曲された作品を味わうのと
演奏自体を味わう両面があるが今日の時点では
音楽作品の方に関心がいっている

合唱曲自体めったに聴かないが
合唱曲でもブルックナーの静謐な感じとも
フォーレの清潔な音色とも違う

とにかく響きに身を任せることができる
他の作曲だってそうなのだが
シュッツには何故か大きく包まれるような感じがする

レコードは3枚組
しばらくは楽しめそう

※演奏はドレスデン十字架合唱団
 指揮 ルドルフ・マウエンスベルガー
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花より団子(真理よりご利益)

2014年01月07日 20時13分19秒 | あれこれ考えること
今年の各地の初詣の人出はどうだったんだろう
天気が安定していたからそこそこだったと予想されるが

この地区の初詣といえばまず頭に浮かぶのが豊川稲荷
昨年B1グランプリを開催したせいもあって
新聞では前年より多いと報道されていた

しかし、メディアの(テレビの)扱い量は
稲荷は稲荷でも、岐阜県のおちょぼさん(千代保稲荷)の方が
多い様に感じる
参道に濃いキャラクターの店主が自慢の商品を頑張って売っている姿が
いかにもテレビ向きなのだが
実際のところ初詣に限らずお宮やお寺さん参りの楽しみは
あるかどうかわからないご利益より
現実にその時楽しむことのできる買い物、飲食のほう

お伊勢さんにしてもお祓い横丁、おかげ横丁があるから
楽しいのであって名物「赤福餅」のお土産がなかったら
楽しさは半分以下になっただろう

多分これは弥次喜多の時代からそうだったに違いない
つまり花より団子ということ

その点で我が豊川は参道が短すぎるかもしれない
あっという間に目的地についてしまう
あれこれ迷う隙がない
もう少しもったいぶって出し惜しみするみたいに
参道が長かったら参拝者も楽しめるかもしれない

もっとも長すぎる参道は参拝者がいない時期には
無用の長物でしかないので
必要以上に長いものは実際にはやっていけないのかもしれない

そこで話は飛んで人間の生活はどんな時も
「花より団子」の傾向がある

イエスは奇跡を起こしたから信じられたり、頼られたりしたが
ある時期になって「人はパンのみにて生きるにあらず」などと
突っ放してしまったら、今度は信じてついてきた方が困ってしまう
彼らが望んだのは本質的な人間の生き方などではなく
もう少し簡単な頼ることのできる何か
(カラマーゾフの兄弟の有名な大審問官の章にこの辺りの話が出ていた)

同じことは多分仏教でも見られる
仏陀が追い求めたのは認識論にちかい哲学的な真理
解脱といっても個人の体験に終始する
だがそんなことを多くの人に要求したところで
多くの人はそんなものを望まない
何を唱えたり、何かを拝んだりすればご利益がある
こちらのほうがずっと簡単でありがたいと考えやすい
その発想に辿り着いた人物が
たとえ人に対する無限のやさしさから思いついたことだとしても
その本質はいつかどこかに飛んでいって
いつの間にかご利益の有無が一人歩きをする

ご利益のない宗教なんて経済が回って行かない
これが悲しいかな現実
なんだかんだ言ってご利益をストーリー展開しないと
人は喜んでくれないし自分のところもやっていけない

こうしてみると確かに人は経済に振り回される存在
と思わないでもないが、しかし不思議なことに時々
それに振り回されない人物が突然変異のように現れる
そしてその人物がいることによって、ある種の人間は
「人生は生きるに値する」と感じるキッカケを得ることができる

それにしても、お金を儲ける能力と
人としてちゃんと生きる能力は
必ずしも比例しないから
平凡な小市民の優しい人達は自分たちの生き方に
もう少し自信を持っていいのかもしれない
(と思いたい)
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高校サッカー

2014年01月06日 20時06分27秒 | サッカー
サッカーお正月の風物詩は天皇杯だけじゃなく
高校サッカーもある
見続けていると強豪校というのが年々全国に散らばりつつある
ひところは埼玉・広島、静岡から九州が幅を効かせていた
もちろん東京も強かったし市船の千葉も抜かりなかったし
宇和島がいい成績の時もあった
最近は東北のチームも頑張っていたが
今年ベスト4に残ったのは富山第一、星稜、四中高、京都橘
中堅どころが残ったところが
その分地域の盛り上がりに期待できる

自分の地元愛知県は、なかなか一回戦を勝ち抜けない
勝負弱い?
トップアスリートが野球に行ってしまう傾向がある地域だけに
能力的な問題か?
それとも指導の何処かが間違っているのか?

ところで正月にボーッとテレビ中継を見ていたら気になったことがあった
ひとつは上のカテゴリーでも問題にされている
シュートを撃たない点
ホント撃たない
きっちり崩してから出ないとシュートしない

そんなに崩しきることなんて余程の実力差がないとできないと思うが
もう少しシュートの意識というか
普段からシュートの練習は多くした方がいいのでは!
(シュート練習を余りしないで崩す練習が多いところもあったと何かの記事にあった)

サッカーのように点の入らないゲームで点を取る人間というのは
ある種の才能の持ち主だとつくづく思う
前にいるから点が取れるのではなく
何故か取る人間は取る
そしてその人物は少し変わり者
これは多分世界共通だろう
この変わり者への受容が日本は少し弱いのではないのかな
などと思ったりする

それから仕方ないとはいえ、高校生の試合運びのリズムは
ワンテンポに偏りがち
強弱の変化がない
いきなりのハイプレッシャーとかすばしっこいサッカーで脅して
そのまま押し切ってしまうみたいなところが多いが
そろそろブラジルみたいなしぶといゲーム運びもできる
真に強いチームが出てこないかな

最近はクラブのユースにいい選手が行って
高校は高校で終わってしまうのかもしれないが
ちょっと化け物みたいなのが少なくなってきた感じかな

さて今年はどこが頂点に届くか
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26年 年京都初詣 

2014年01月03日 11時20分06秒 | 旅・旅行
去年は岩清水八幡宮
一昨年は下鴨神社
その前は仁和寺
もっと前には、伏見稲荷、北野天満宮
毎年2日に新幹線に乗って京都に初詣に行っている
電車も割合空いるので、行き帰りのストレスは殆ど無い

京都への行き先は徐々にマニアックなところになりつつあるが
今年は日向大神宮と吉田神社

まずは京都駅から地下鉄に乗って途中で東西線に乗り換え
蹴上で下車、2番出口から少し歩くと

案内がでている
この先を10分位(?)上り坂を歩いて行くと到着
最後の階段を登ると

手前に見えるのが外宮、奥に見えるのが内宮
しかし祀られているのは外宮は伊勢とは違う神様
内宮も天照大御神は一緒だが他にも3柱祀られている

これだけ正式なものなのに人出は少なく(少なくとも2日は)
ひっそりしている
賑やかくないだけ厳かな感じもする
内宮の左手を登ると

天の岩戸の洞窟  パワースポットでくぐり抜けるといいらしい

ここにはその他いろんな神様が鎮座されている
どのような基準で選ばれているのか

この後伊勢神宮を望むことができる(と言っても方向だけ)ところまで
登って京都市内を一望
眼下には赤い鳥居が平安神宮、その先の緑の多いところが御所
そしてその先がお伊勢さんということらしい


来た道を戻って次の向かうのは南禅寺方面
今回は南禅寺ではなくいつも素通りしてしまう金地院
この日は特別拝観をやっていた
よく目にすることのある長谷川等伯のテナガザルの屏風があった
近くで見ると荒々しいタッチなのだが
遠くで見るとふわっとした体毛に見える

この方丈の前が小堀遠州のつくった庭

徳川さんの代々の繁栄を願って常緑樹ばかりの庭だそうだ
白砂の直線と緑のコントラストがスッキリして思索的というより
今眼の前にある美に心地よさを感じる

方丈の建物も見どころいっぱい
茶室なども説明を聴くとなるほど
と思ったりするが、この時はっきり自覚したのは
自分は侘び寂びの世界よりも今は(将来は分からないが)
雅の美しいものと感じる感覚のほうが共感できる

直線のスッキリしたつくり
その中にもちょっとした工夫
お公家さんの趣味の良さ
今はそちらに惹かれている

金地院を出て南禅寺界隈を歩くうちにお腹が空いてきて
混雑を避けるために気張らずにちょっとした食堂で
鰊そばで昼食

食べて神宮道に向かう途中見つけたのが瓢亭の文字

ここが卵料理で有名な瓢亭か
まだお腹には入りそう
と思ったが、値段を見たら、次の機会でいいや!
と財布が拒否していた

吉田神社は京大のすぐ近く
一見普通の神社とおもいきや

山の高いところにある斎場所大元宮がとても変わっている
普通の四角形の形ではない多角形の建物
何でこんな建物にしたのか

吉田神道の創設者、吉田兼倶は密教・儒教・陰陽道・道教などの
などの諸宗教・思想を統合しようとしたらしい
なかなかおもしろそうな人物
その教義というより人物に興味が行く
また時間を見つけて調べてみよう

日向大神宮・金地院・南禅寺界隈そして吉田神社と
歩きづめだったので一休みを考えたが
どうせなら虎屋の「菓寮 一条店」で季節の生菓子を
と考えて、川端通を北に登って今出川に出て賀茂大橋をわたって西へ進み
御所の北を歩いて(同志社大学は御所の北のとんでもなくいい場所に位置している)
烏丸通を南下
やっと目的地に到着
店内は満席、順番待ちに名前を書いて待つこと5分位

オーダーしたのは季節の和菓子と抹茶のセット
幾種類かあったがお菓子は色がきれいな御好春気色を選択した


いや~、これが美味しかった
一口食べた瞬間「美味しい!」と声が出た
もしかしてこの日一番の感動だったかもしれない
そのくらいの印象的な出来事
疲れていて甘みを体が要求していたのかどうかは分からないが
とにかく美味しかった

一口目に感じたあの香り食感は一体なんだろう
二口目には感じることができにくくなってしまったので
却って、それが何だったか気になって仕方なかった

というわけで、時間いっぱい
初詣もグルメも、つまり京都を満喫
来年も同じように来られるといいのだが、、



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いつもと同じお正月

2014年01月01日 20時41分32秒 | 徒然なるままに
朝起きて挨拶をして
お雑煮を食べて
氏神様に初詣に行って
帰る頃には年賀状が来ているので
出さなかった人宛に返事を書いて
そうこうするうちにお昼

ご飯を食べてサッカー天皇杯を見るころに
お客様到着
小さな子がいればみんなで見守って構って大笑いしたり
昔話をしたり
少しお酒を飲んで手作りのおせち料理を食べて
市販のものより美味しいね
等と言いながらだらだらと時間を過ごす

そんないつものお正月を今日も過ごすことができた
まるで当たり前の事のようだけれど
この歳になるとこうした時間が
とても大事な時間に感じられる
あと何回こうした経験をすることができるか
一期一会とまでは行かないにしても
今しかない瞬間と感じてしまう

多分幸せとはこうしたことなのだろうと思う
家族で食事をしたり昔話をしたりすることは
豪華なものに囲まれたり所有したり
社会的な名声を得たりすることよりも
より現実的な幸せ

多くの人がそんな生活ができればいいと思うこと
難しいことを考えるより
素直に感情に従って人の幸せと自分の幸せを願うこと
そうすることが世の中を住みやすいものにする
そんな風に考えてしまう2013年の初日

後はお風呂に入って寝るだけ
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