パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

STAP細胞騒動 メディアの伝え方はまともだったか?

2016年04月17日 08時38分17秒 | Weblog

熊本地震は木曜日に起きたものが本震ではなく
土曜の未明に起きたものが本震とされた
そして相次いで移動しているかのように見える地震は
余震の数を含めて過去に例のないパターンのようで
「想定を超えている」
またもやこの言葉が使われることになりそう
人の思いつく想定もある種の限界があるようだ

被害の状況を画面で見るにつけ落ち込みそうな気分になるが
申し訳ないことに今自分の頭を支配しているのは
このことではなく、先日から読み始めたSTAP細胞絡みのこと

ほとんど一気に読んだ
細かな科学的なところが理解できたかといえば、途中で面倒になって
言わんとする所を勝手に解釈したところもあって、正確に把握しているとは言えない

読んだ順番は右の「あの日」から「捏造の科学者」次いで「STAP細胞残された謎」の順
読んだ順番が違えば違う印象を持ったかもしれないが、
この事件はつくづく奇妙な事件だということが印象として残る
本と合わせてネットで公開されている記者会見(笹井さん)や少し独特の立場の武田邦彦の
動画のブログも見た

あの騒動の発端はネットからの声だった
画像の流用や切り貼りなど
そして、自分は知らなかったが小保方さんのバッシングの根拠となる情報も
やはりネットからだった
それも2ちゃんねるでの
それは理研あるいは若山研の内部の人からのリークらしい

そしてどういうわけかメデイアはそれを一方的に信じて
バッシングの空気を作り上げて、もうそれ以外の声を聞かない
状況を作り上げた

確かに画像の切り貼りや不適切な引用など奇妙な点は少なくない
しかし、まずは言い分を聞いてみようとの姿勢がなかった
最初から糾弾の姿勢でメデイアはいた

話は変わって、STAP細胞は動物の細胞でのことだが
植物にはSTAP細胞と似たような機能を持つことが確認されているそうだ
植物にあるなら動物にだって、、
これは案外無理からぬ発想

人はどうしても最初からどちらかの味方をする傾向にある
客観的にみようとしても、どうしても知らず知らず自分の好みの意見に
肩入れし、情報もそれに合うものをより多く仕入れることになる
その意味では、自分の立場は少し怪しい小保方さんの味方かもしれない 

しかし、それでもなるべく異なる立場の人の情報もとあれこれ(そんなに多くないが)
得ようとした
第46回大宅賞を受賞したとされる毎日新聞の須田桃子氏の「捏造の科学者」
新聞社の科学部門の人はこれほどまでに知識を持っているのかと感心したが
一つ気になったのは「自分は正しい」と妙な自信を持ち続けていること
その正しいという論旨は、ある意味自分の思い込みに過ぎないかもしれない
と自分で疑わなかったのか そこが少し疑問
(確かによく知っているが毎日勝負している笹井さんや小保方さんよりは
知識量やロジックが 上だとは思えない、その意味ではもう少し謙虚な態度で臨むべき
と感じられる部分が少なくない)

捏造の科学者で最初の方のページに写真で紹介されているES細胞の写真
これもネットでリークされた情報を元に手に入れたようだ
そしてこれがSTAP細胞の捏造に使われたかのような印象を与えることになっている
しかし、「 STAP細胞残された謎」を読むと実情は全然そうではないようだ
また小保方氏がES細胞を盗んだと嫌疑をかけられ事情聴取を受けた件については
警察は不起訴としており、また盗んだとされる細胞は既に実験が終了しており
盗む価値もないものだった

今になってこのことが何故気になるのかと言えば、
実はSTAP細胞のことが理由ではない
一番気になったのがマスコミの伝え方と世間の空気のこと 
あの騒ぎの時の異常さ 持ち上げて徹底的に叩く それが正義かのような伝え方
これこそが自分にとっては一番の問題だ

人は残念ながら無条件に世間に多くでている話を真実と思いたがる
特に自分の理解を超えた範囲では、その道の識者の声を信じるしかない
しかし、その識者が日本のメディアでは偏っていないか
あるテレビ局にでていた人が時間を変えて別のテレビ局で同じ事を言う
しかし、バッシングされつつある立場の人の意見は
何かを言うと 言い訳の解釈で一方的に、今度は素人がバッシングする

情報を表にできる人は限られている
ある意味権力を持っている人は情報をリリースできる
その情報が一般人の実感に伴わない抽象的な事柄の場合
人は特に関心をもつことなくそのまま信じてしまう
そしていつのまにか、その情報は真実という形と理解される
その理解が世間の空気となってしまう
今度はそれに対して反論を行おうとすると、
それは変わり者、聞く意味のない意見とされそう 

STAP細胞事件で理研の内部の問題、解決すべき問題が明らかにされた
と評価されるみたいだが、果たしてメディアの伝え方はどうだったのか
単に人の興味を部分を拡大して、正義を掲げて、思い切り人を糾弾する
公正公平を歌いながら、空気を作り上げ、他の意見を受け入れない雰囲気を作り上げる

これがこれからも繰り返されない補償はない
いや今も繰り返されている
別に善人ぶる気はないが、この曖昧な空気に支配されそうな世界が少し不安だ
しかし、翻って何故こんなに気になって、心配しているのか
世間が何かしら危ない方向に進んでいると薄々感じるからなのか、、 

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祈ることしかできない

2016年04月16日 07時42分38秒 | あれこれ考えること

少し変人で、いい加減な自分でも、熊本地震のニュースを見ると
さすがに気楽な投稿はできない気分になる 
人の気分は天気に左右されるが、同様にこうした事件にも左右される
以前ホロコーストを起こしてしまった後に
新たに叙情詩が生まれるのだろうか?と考えた人がいたが
その気持はよく分かる 
今は気になっていることがあっても、とても何かする気になれない
今起きている事実が重すぎる

そして今できることは、(申し訳ないが)せめて自分たちの地区に
地震は来てほしくないと思うだけ
祈って自然の気まぐれをコントロールできると考えるのは
科学的ではないとしても、今できることといえば祈ることだけ 

昔、ということは自分が若い時
癌に侵されたご主人のためにある寺に
癌封じの祈祷をされに来た奥さんに出会ったことがあった
その方は日本人ではなかったので祈祷のランクを書いた文書が読めなかった
そこでたまたま近くにいた自分に祈祷のコースの説明を求めた
コースは朝祈祷するコースともっと頻繁に祈祷するコースがあった
(ように記憶している)
すると彼女は頻繁に祈祷するコースを選んだ 
当然金額は安易に頼めるものではなかった
祈祷するだけで、癌が封じられるなんて、、、
まだ若かった自分はやりきれない思いを持ちながら
彼女の選択を見守った
しかし、いろんなことを試み、やり尽くしたと感じ
その時できる(自分が納得できる)最上のことが祈ること
としたら、それは他人からとやかく言えることなのかと
もやもやした気持ちがのこった
(だからこそ今も覚えているのだが) 

最後の最後は祈ることだけ
それは科学的でないとか、効果があるとかの問題ではない
無力な人の願いであって、人はある意味この種の謙虚な気持ちを
持たなければいけないのではないかと思ったりする

しかし、これを明らかに商業的に利用しようとするのは
やっぱり納得出来ない自分もいる

世の中にはご利益、商売繁盛、無病息災のために祈ること
そして商業活動もそうやって成り立っていることも事実だ
これはそもそも人は完全に理性的な存在ではないということか

「神は妄想である」ドーキンスがこんなタイトルの本を書いた
祈りに通じる行為を無駄と書いた部分があったような記憶があるが
進化論から神の概念のいい加減さを説くのは良いとしても
人の残された最後の方法、祈ることをバッサリと否定するのは
少しばかりどうかな!と思ったりした

と、いつもの様に話は脱線したが
地震雷火事親父の例え通り一番怖いのは地震
来ないでくれ(ここだけでなく全世界中)と
祈ることしかできない
そして熊本の皆さんには、やはり言葉だけだが
お見舞い申しあげます
と発言するしかできない
(募金などについては今後考えるとして)
 

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「十水(とみず)」がマイブーム

2016年04月14日 19時22分01秒 | 徒然なるままに

最近酒屋さんで買うのは「十水」
なんとなく濃厚な感じで旨味を感じる
気に入ると飽きるまでそればっかり
となるが、もうしばらく続きそう

昔日本酒の頒布会を利用したことがあったが
今も記憶に残っているのは
「千代の光」と「雪雀」 
サラッと抜ける感じ(?)が良かった 

会社帰りで仲間と日本酒専門の居酒屋で飲んだ時に覚えているのは
「景虎」 
高い酒は呑めなかったのでコストパフォーマンスが良かったのは
つまりよく飲んでいたのは菊水の樽酒

有名な酒は価格もそれなりで無理に求めてはいないので
感想も何も残すことはできない

そうそう地元の「空」はやっぱり挙げておかなくては 

 

 

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あの日

2016年04月11日 20時27分31秒 | 

STAP細胞については異なる視点から何冊かでている
今日読み終えたのは「あの日」小保方晴子著

STAP細胞については興味があったが、一時期のマスコミの
持ち上げて徹底的に叩く姿勢に辟易として敢えて距離を取っておいた

素人だからこのSTAP現象が本当にあるのかないのか分からない
ただ単純にあったら面白いなとは思う
生き物はとても不思議でベニクラゲは先祖返りをして不老不死で
ずっと同じDNAを持っているとか
ダイオウグソクムシは食べ物を取らなくても長期間生きていられるとか
人間が思いつく以上のことを当たり前のように実現しているから
そもそも人間の思いつく仮説自体が本当に信じられるものかとさえ思ったりする
また人間以外にも詐欺をする動物もいるようで、それは自分のDNAを効率的に残すためらしいが
こうなると何が正しくて何が悪いのかとさえ疑わしくなる

この本の中に小保方さんを批判する立場の本のことが書かれている
毎日新聞の須田桃子氏の「捏造の科学者」だ 

 

小保方さんの立場で読んだから今度はその反対の視点から読もう思うが
アマゾンでは「あの日」と合わせて読んだ人のコメントが載っている
世の中にはこの様に2つとも読んで比べようとしている人がいることは
少し救われるような気がする

とにかく、一時期マスコミは何様だ!と思えるくらい、
それもテレビでは全局がバッシングを続けていた
(現在でもテレビ局は人を変えて、持ち上げて叩く行為を続けている)
バッシングをするのが悪いというのではなく、
裁判ではないが他方の言い分も聞いてしかるべきと思うのに
世の空気と異なる意見は全く聞いてもらえない雰囲気があった

これは、とても怖いことで、最近自分の関心あるのはこのことだ
何故、ナチスは一時期勝利したか
何故、普通の市民は途方も無い考え・思想についていってしまったのか
何故、構成員・職員は命令を思考停止でただ言われることをしたのか
それはその時代の空気
いろんな分析・解釈をしようが一旦出来上がってしまった方向性を持った空気を
変えるのはとても難しいが、STAP細胞についての一連の流れは
堰を切ったような、単に世間の人が喜びそうな批判という方向に持って行っていかれ
それは本質的な問題とはかけ離れていってしまった印象が残る

再びSTAP細胞の話に戻って
このSTAP細胞のことで自分が不思議に思ったことは
世の中の常識を否定するようなことを
何故リケンの多くの専門家が受け入れてしまったのか
ES細胞の混入は誰もが容易に考えつくのに何故それを疑わなかったのか
笹井氏はES細胞の形態ではないとしっかり自覚していたのは何故か
これらは利権がらみの話ではなく、純粋にどうしてなのか知りたいと思う

とにかく、このSTAP細胞についてはもう一冊読んでから頭のなかを整理しよう

それにしても、世の中の空気、一旦出来上がった空気の怖さ
間違った報道を流して後で訂正しても、もはやそれは多くの人には伝わらない怖さ
(湾岸戦争時のアブラまみれの水鳥の映像は、イラクとは全く関係のない場所で撮影されたものだった)
こうした人の理解の仕方や癖を理解している人物が意図的にデマを流す
そんなことが行われるとしたら、、、
ハンナ・アーレントは全体主義の起源でこのようなことが行われたと記している

実際のところ、人はマスコミとか報道をもう少し疑って受け入れるほうが良いかもしれない
ここ一年の自分の周りで起きた経験からつくづくそう思う

 

 

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消化不良

2016年04月09日 10時16分31秒 | 

読むには大変だったが、内容がいっぱい詰まったハンナ・アーレントの
「全体主義の起源」3がまだ気になっている
それを分かったとは言わないが、それがキッカケで再読を始めたのが
エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」 
最近はじめた付箋をつけての読書だが、これは以前読んだはずなのに
少しも覚えていなかったことにショックを受ける

どちらもナチスについて
何故止められなかったのか?
について深い考察を展開していく

それにしても、正直なところどちらも消化不良だ
自分には消化酵素がないので消化するにはもう少し時間がかかりそう 
にもかかわらず、美味しそうと感じる味覚はあるようだ

再読しなければという本は
「孤独な群衆」 リースマン 
時間があれば「西洋の没落」シュペングラー
そういえばベルクソンの「道徳と宗教の二源泉」
もなにか面白かった記憶がある 

その前に「イスラエルのアイヒマン」ハンナ・アーレントを読まねば!
と思いつつも、小さな文字がいっぱい並んだページを見ると(書店で立ち読み)
なかなかアマゾンでポチッとすることができないでいる

夏になると本など読む気になれないので、読書モードになっている今が
絶好の機会なのだが、、、 

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昔の下宿先

2016年04月06日 20時25分57秒 | 旅・旅行

岐阜市に出かけた
個人的な思い出巡りの旅、見たかったのは2つだけ

昔一時期下宿した家 が今はどうなっているか確かめたかった
バス停の名は覚えている
一年ですぐ引っ越したが、その下宿は魚を扱う家の横手から入って
二階の6畳が自分の部屋だった
市電の音がうるさいかもしれないけど、すぐに慣れる
そんな話を思い出した

バス停を降りると当たり前だが記憶の中の風景と随分違う
だが、見つけた

ここに間違いないはずだと家の前にいた男性に話しかけたが 
その人の語るこの家の苗字も古い記憶を思い出させた 
ずい分前に無くなってしまった市電、バス停近くにあったうどん屋さん
そして今の話など知らず知らずハイテンションで会話したかも知れない

見たかったもの、そのふたつ目は歴史的な家が並ぶ通り(川原町)

 

先ほどの家からそんなに離れていない
先日の馬籠でも気持ちがしっくり来たが、こういう風景を見ると
本当の文化とは何なんだろうと思いとどまらずにはいられない

便利な方がいい
暮らしやすい方がいい
でもそれらを可能とした上で、統一された落ち着きもほしい 
商業施設ではなく人が住む建物、それが醸しだす雰囲気と空気感
あまり高すぎない町並みは空も大きく見える

豊かさってなんだろう
ちょっと考えさせられる 



 

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曲を聞いて思い浮かべる風景

2016年04月03日 09時35分25秒 | 徒然なるままに

音楽を聞くと風景が浮かぶということがある 
それは個人の生活の歴史・記憶に左右されるので
風景を見た時に思い浮かべる音楽よりは一般的ではないかもしれない

と大げさなことを何やら言い始めたが
全く個人的な(ということはどうでもいいこと)
音楽を聞くと思い浮かべる2つのシーンについて
徒然なるままに

一つは「ジークフリート牧歌」ヴァーグナーがコジマの誕生日に
階段で演奏したとか言うエピソードのある曲
特別好きというわけでもないが、一番最初にこの曲を聞いた時
頭に浮かんだ風景があった
よく晴れた小高い丘に、緑の背の高い草(もしかして麦)が風に揺れている
それはまだヨーロッパに行ったことのない頃に浮かんだのだが
とても鮮烈に覚えている
ところが、この風景見たこともないはずだったのに
自分が疾風怒濤の時代に後先も考えずドイツに出かけ
ヴァーグナーの聖地バイロイトの少し小高い祝祭歌劇場まで行き
歌劇場とは反対の方向
まだ開発されていなかった風景(緑の草など)を見た時
風に揺れて植物が光を反射している穏やかな風景は
音楽を聴いて思い浮かべたのはこの風景だった
と何故か妙に確信をもった
その確信を持った実感は今でも記憶に強く残っている

少し残念なのは昨年バイロイトに出かけ、その風景をみようとしたところ
季節も緑がない時期だったのもあるが、その穏やかな丘はもう既になかった
(生活感たっぷりの普通の風景しかなかった)
結局小高い丘からの緑の風に揺れる風景はもう記憶の中にしかない
そして記憶の中だけに、それは益々美化されて現実以上に切ない美しいもののように
感じられたりする 

しかし今でも超リアルな思い浮かべた風景とあの時見た風景の一致は
何だったんだろうと思わざるをえない
どこかでそんな風に思い込もうとしている脳の働きがあるのだろうか

どうでもいいこと、その2
ベートヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」第二楽章を聴いた時思い浮かべる風景
これは何故か無条件にウィーンのハイリゲンシュタットの エロイカガッセというか
ベートーヴェンハウスのあるあのあたりの風景が連想される
(ベートーヴェンはここハイリゲンシュタットで遺書を書き、田園等を作曲したらしい)
というよりあの風景がこの曲を生み出したと納得できる
田園を作曲したという川沿いの道はあまりにも貧弱で 想像力も働かなったが
ベートヴェンが実際に暮らしていて、いつも見ていた風景を(時代の経過で
多少違いはあるかもしれないが)実体験として見ると想像力は勝手に
働いてくれるようだ

あと曲を聴いていつも同じ光景が浮かぶのは
マーラーの5番の第2楽章(4楽章ではない)
ボーンウイリアムズのグリーンスリーブスによる幻想曲
辻邦生が肖像画を見て(触発されて)いくつかの小説を書き上げたが 
その気持がなんとなく解る気がする 


 

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馬籠に行ってきた

2016年04月02日 08時38分32秒 | 旅・旅行

新東名のインターチェンジが自宅から5分
気候も良くなったせいで知らず知らず外出したくなってきて
先日(3月30日)馬籠に出かけた
所要時間は2時間ちょっと 

既に学校は春休みの最中で、それらしき子供も見られたが
圧倒的に多かったのは中国人の旅行客
バスツアーのコースに入っているようで、昼時は一気に人が消えた
お食事タイムとなっていたようだ

後で家に帰って撮影したものを見ると、なぜこんな写真を撮ったのかと思うことが少なくない 
我ながら美的センスは全く無いことを実感する 

馬籠の宿の距離はせいぜい新城の軽トラ市と同じくらい 
でも坂のおかげで(脚の弱い人には辛いが)風情がある

上り坂は次にどんなものが見られるか?
本能のように上に上に行きたくなってしまうし
下り坂は宿の全体像が見えるし、春霞のかかった遠くの山もなにか落ち着く

そう、確かに何か落ち着く
それが何のせいなのか
木の建物のせい?
同じような古い街でも、昨年の今頃出かけたドイツのローテンブルクは石の建物
すごいなとは思いつつも落ち着くというわけにはいかなかった
やっぱり日本人はヒューマンサイズの木の建物が抵抗感なく落ち着く

それにしても、どんなところにも人は住んでいるものだとつくづく感じる
(馬籠が不便だというわけでなないが)
いくら今の生活に不便でも原風景のように刷り込まれた風景を
あっさり捨て去ることは出来ない人の気持ちがなんとなく理解できる
そして、やはり変化の少なすぎる生活に焦りを感じる若者の気持ちも
(自分を振り返ると)やはり分からないでもない

この日はせっかくここまで来たが近くの妻籠まで足を延ばさなかった
見るべきものを少し残しておくというのも
旅が完結せず、再度訪問しようとする言い訳やきっかけになる
(自分のすることは全部やりかけばかりかもしれない)
 

 

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昔の人はバイリンガルだった?

2016年04月01日 19時05分56秒 | 徒然なるままに

運転をしていて何の脈絡もなく思いついた
昔の人は、もしかしたらバイリンガルじゃなかろうかということ
(日本語・朝鮮語 ・中国語)

大化の改新のころとか万葉集が出来上がった頃は
百済とか新羅とか交流が盛んで、帰化人も多かったようだ
京都の秦氏も帰化人、ほかにも褒章とかも日本に避難していたとか
それに遣隋使・遣唐使も一度の数隻の船ででかけたらしい

今は外国人とのコンタクトを考えると当たり前のように
通訳という存在を連想するが、この時代 果たして通訳という職種が
数多くいたのだろうか と考えると、通訳が多くいたと考えるより
そこそこの立場の人はバイリンガルであったと考えるほうが
なんとなくしっくり来る

空海も最澄も遣唐使として出かけたがいちいち通訳が必要だとしたら
効率が悪すぎる
鑑真和尚が日本に来た時も通訳が必要だったら
いくら良い教えだとしても 手間が掛かり過ぎる

必要に迫られてなのか、その時代は当たり前にそうだったのか
分からないが、卑弥呼の時代にも中国と交流があったみたいだし
実際のところ、あの時代の人達はどの言葉で会話をしていたのだろうか 
こんな風にどうでもいいことを思いつくと、世の中はわからないこと
不思議な事が多くあるものだと実感する

 

 

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