一月ほど前NHKローカルのニュースで、新城市議会議員の政務活動費の疑惑が報じられた
滋賀県の研修に実際は数人で車で乗り合わせて行ったにもかかわらず、交通費の精算は
新幹線を用いたものになっており、各人はその差額を懐に入れていたのではないかとの疑いだ
この差額は返却されたり書類上の処理が行われ一段落したかのように見えたが
先日の議会報告会では一部の市民からかなりの批判を浴びることとなった
この問題について気になったのは2つのこと
1つ目はニュースを見た人の関心事は、それは「誰が行ったことなのか」という点に集中していたように思われたこと
実際に自分もニュースを見た方から、「あれは誰のこと?」との質問を受けた
だがその内容について詳しく理解して、怒りに値するかどうかを知ろうとする人は少ないように思われた
これは国会でも統計の問題が政府側が悪い、、との理解は容易だが、そもそも何が悪かったのかは
イマイチわかっていない状況を思い起こさせる
人は具体的な「誰が悪い」という理解のほうが、抽象的な問題点を指摘するより理解しやすいようで
人を非難する快感は知らず知らずつい犯人探し的な方向に進んでしまう
もう一つの点は該当議員さんが「あれはミスだった」と説明している点
ミスだったとすれば、それがどのようなミスだったのか
そしてそのミスだったという説明は一般市民に説得力を持つかが気になる
そこでおせっかいながら足を運んでいろいろ確かめてみた
まずは政務活動費の精算の段取り
議員さんの活動は職員の業務ではないので、職員に行われる段取り(出張命令書、集計)ではなく
議員さんからの申請によるものとされている
決められた形式に沿って、政務活動の説明を書いて事務局に提出することになっているが
これがかなり大まかなくくり方で、具体的に書くようにはなっていない
そこで書き方にも個人差がある
交通費は旅費規定というのがあって、公共交通機関を用いた場合は経路検索を行って
事務局が調べた一番安価な金額を認めるというもので、議員さんが提出した数字と異なっている場合は
事務局が議員さんに手直しするように伝えることになっている
ところが、申請主義が原則というものの例外は存在する
議員さんが事務局に手渡す交通費は、結局事務局が計算をするのだから議員自身がしなくても
最初から事務局にやってもらえば楽できると考える人が出てくる
今回は最初から事務局にやってもらうとした横着な議員さんがいたということ
(議員さんはいろいろで、きちんと計算や交通費の領収書を提出するひともいるが、
このように横着する人もいて、これまではなあなあで済まされていたかのよう)
事務局が計算した数字は、本来ならば事務局が議員さんに確認をするのだが
今回の場合は事務局が公共交通機関を用いたものと思い込んで計算をし
時間がなかったし、従来もそのようにしていたので、議員さんに確認とらずHPなどに
公表したが、そこである人たちから事実と違うと指摘されたことから騒動は始まった
ここで、問題は横着した議員さんは「車で行った」と事務局に伝えたかという点
事務局は公共交通機関を用いたものだと思いこんでいた
その勘違いは何処から起きたか
ある議員は伝えたといい、片方は聞いていない(記憶がない)との「言った言わない」論争は結論が出ない
ところが車で乗り合わせた議員さんたちは、ドライバー役の議員さんに割り勘で交通費をひとりあたり〇〇〇円支払っている
その事実を自覚している議員さんが、事務局に「計算しといて、、」と依頼する時に
何人が何人とも「車で行った」と言わなかった(事務局の記憶に残るほどに)ということは
そこに悪意(差額分は得できるかもしれないとの思い)が存在していた可能性を否定出来ないのではないか
確かに現象面では確認を怠った事務局の責任がないとは言えない
しかし、割り勘をして車の費用を各自支払った自覚のある人物が、そのような説明を事務局に記憶に残るように
していないとすれば、それは事務局のミスと言うよりは意図的な何かを感じてしまう
議員さんの説明が一般社会に通用するものか(上記解釈は個人的なものだが)
議員さんは説明責任がある
しかし議員さんの説明は、自分たちの議会用語、議会内理屈でなされることが多いので
まるで詭弁のようで一般市民にはイマイチよくわからない
残念なのは一部の市民にとって、何人かの議員さんは信頼に値する存在ではないということ
「新城市はピンチなのか?」が再び頭をよぎる