パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「i 新聞記者 ドキュメント」

2019年12月07日 19時45分56秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

「i 新聞記者 ドキュメント」を名古屋のミッドランドシネマで見た
定員は90名 見たところ80%くらいの入
松坂桃李が出演したフィクション仕立ての「新聞記者」よりは
少し多くて、始まる前から熱気があるような感じ

ドキュメンタリーだがメインの人物がこの地方の新聞社「中日新聞」に関係した
東京新聞の記者の望月衣塑子氏ということ
最近話題となっている菅さんの不機嫌そうな顔の原因となっている人物の本物の仕事が
見られるということで興味を持った人が多いのかもしれない

まずこの女性はパワフルだ(何故かいつも重たそうなものを引きずっている)
不意に「余所者、若者、馬鹿者」という言葉を思い出す
何かを変える時、変わる時はこういう人物がいないと駄目だ
近くにこのような人物がいたならば、周りは大変だろうな、、と思いつつ
今、この人物がいなかったならば(メディアは)一体どうなっていただろうか?
と不安を感じたのも事実だ

辺野古の埋め立ての件(赤土のパーセンテージ)、伊藤詩織さんの件、森友学園の件、加計学園の件
こうして並べただけで如何に問題が多いか驚いてしまうが、これらのことを追い
菅さんに迫る様子をメインに映画は進められていく

映画を見て強く印象に残ったのは菅さんの顔
いつもテレビニュースやYoutubeで見ているので珍しくも無いのだが
こうして大画面で見ると、その表情に隠された感情とか人間性が見えるようで
そしてそれは決して好ましいものとは言えず、驚きと不安を覚えてしまった

ジャーナリストは現在は記者クラブなる組織に所属していないと
美味しい(実はみんな同じじゃないかと思うが)ネタはもらえないと信じられているようだ
いつも見るたびに菅さんの勝手に言いきっているだけの説得力のない答弁は怒りを覚えるのだが
そんな答弁を他のメディアは何故許してしまっているのだろう、、
何故、鋭く突っ込むようなことをしないのだろう、、
菅さんだけでなくメディアにも疑問を感じてしまった

「太平洋戦争と新聞」「戦争と新聞」以前読んだこの二冊のことが頭に浮かんだ
そして名古屋に向かう電車の中で開いたマックス・ウェーバーの「職業としての政治」のなかの
ジャーナリストのページを思い出してしまった

映画はほぼ予想したとおりの内容
だが事実は重い
ここまで進んでしまっている中で何ができるのか、、との思いも頭をよぎる

それにこの映画の上映館が少ない、、という現実
確かに面白おかしい内容ではないが(彼女は方向音痴との息抜きの場面もあったが)
できることならもう少し上映館が多いと良いのに!

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相談した答えが、子どもから返ってきた

2019年12月05日 16時34分25秒 | 子どもたちのこと

火曜日と木曜日の午後三時からは外国人の親を持つ子の日本語の勉強の手伝い
火曜日は1.2年生で木曜日は3年生以上

低学年もそうだが高学年も「戦い」だ
わずか一時間終わるだけで喉が痛くなりそう
「静かにしなさい!」「集中して!」「喧嘩しないで!」
この言葉の繰り返し、それも徐々に大きな声になっていく

ところが今日は割合うまくいった
「先生、ちょっと、この間の件だけどね」
以前教室の外まで呼び出されて、ものすごく叱られたGくんが話しかけてきた
この間の件とは、
「Gくん、君たちのここでの時間、ずっと見てると全然落ち着いて勉強できていない
 どうしたら良いのかな?
 君たちは小学校の勉強で疲れているのかな
 大人たちは我慢してできるけど君たち子どもにはしんどいのかな?
 君たちはここで何をしたいのかな
 いい方法とか、こうしたいということがあったら教えてくれないか」
と聞いたことに対する彼の意見だ
みんなのいない場所に移動して彼の意見を聞いてみる
「あのね、例えば一時間あるとするじゃん
 それをずっと続けてやるのは難しいから
 何分か勉強して、少し休憩をとって、それからまた少しやるって方法が良いと思う」

そうか、やっぱり長い間の集中はできないか
「よしわかった、今日はその方法でやろう」

ということで、元気が良すぎる6年生3人に向かって
「先ず、15分間、集中して宿題とか勉強しよう
 そのあと休憩を取るから、まずは15分
 よーい、スタート」
こう言ってスマホのストップウォッチを押す

言い出しっぺのGくんはノートを取り出してすぐに集中して行う
日本語の理解力も算数もそれなりのNくんはなかなか集中できない
つい誰かに話しかけたくなる
その横のAちゃんは「今日は約束があるのですぐ帰る!」
と言ってノートに向かう
居心地が悪いのはNくん、なんとか自分の会話に引き込もうとするが
Gくんは真面目に机に向かって、いつもと雰囲気が違うので
ちょっかいをかけきれないでいる
諦めてノートに向かうがすぐに飽きて他のことをしたがる
でも気になりそうなことをGくんに話しかけるとGくんもつい答えてしまう
「集中して、今、5分経過、、あと10分」
「えっ、まだそれだけ?」とGくん
集中していると時間の密度は高くて時間経過をしていると感じるのだろう

15分が終わるとGくんは漢字書き取り1ページ完了
落ち着きの無かったNくんは三分の一くらいしかできていない
「よーし休憩、5分」
するとNくんは休憩しないで作業を続ける(彼らしい)

「休憩の時間だから答えのない問題をやるよ」とGくんに聞いてみた
「バスケットのマイケル・ジョーダンの一月にもらうお金と大統領のもらうお金は
 マイケル・ジョーダンの方がものすごく多い
 これって、変じゃない
 大統領のほうが責任が大きいのに少ないお金なんていいのかな?」

作業を続けていたNくんが口をはさむ
「マイケル・ジョーダンのほうが少ないほうが良い
 責任は大統領の方が大きいから」

「でも先生(こう呼ばれている)何で、答えのない問題なんて聞くの?」
Gくんが問題の答えではなく、この問をしたことに疑問をもったようだ
「それはね、、、、」

Gくんは理解したかどうかわからない
でも、彼は自分が一人の人間として相談を持ちかけてこられたり
提案したことが実行されたことで少しばかり気分が良さそうで
言われたことが素直に体に入っていくような印象をもった

人は人として認めてあげる(大人だろうが子どもだろうが)
そうしてあげることで随分対応が変わってくる
気難しいと思われる子でも、あるキッカケで一気に心が通い合うようになる
今日のGくんは上手くいって、自分にも充実感が得られた

でも、毎日の戦いは続く、、女の子のJさんは、、、、難しい、、

 

 

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一旦口にしたら変えるのは難しいみたい

2019年12月04日 08時48分01秒 | あれこれ考えること

官僚さんとか市職員に関する個人的な思いつき(人事異動と連続性の問題)

新城市では庁舎建設用地以外の物件の移転保障費について行政訴訟裁判が行われたが
その前に市議会でもそれに関する質疑が行われた
市議の質問に応えるのは担当部署の部長さん
ところがそのとき答えるその部長さんは人事異動で代わったばかりで事情をよく知らない
議員さんの突っ込んだ質問に答えはしているものの少しばかりはっきりしないところもあった

通告書は出ているので想定の答弁は、本人か下の方が準備していたのかわからないが
基本的には以前から発表している方針とか意見と異なるようなことはできない
行政の連続性とはそういうもので、一旦言ってしまったら最後なかなか途中で変更したり
間違いを認めることは難しいようだ

話は変わって、ある事柄を条例化するために、その下調べとしての会議に参加したことがあった
会議は月一のペースで、参加者が言いたいことを言い合うような雰囲気で行われ、ひとつの結論として
条例化するための方針というよりは、条例化以前に解決すべき問題が多数あることを確認していた

その会議の結果は上の段階の会議によって更に検討される事になったが
自分たちが出した結論等が次の段階でどの程度反映されるか気になって
その上の段階の会議を傍聴し続けた

だが、その会議は少し不安を覚えるものだった
その一番の理由は職員の人事異動が行われてしまったこと
作業部会と名付けられた自分たちの熱気を帯びて行われた会議には
市の職員が同席しており、こまめにメモを取っていた
つまりはその会議で話されたことの細かいニュアンスも彼らは知っていた

ところが彼ら(二人の主だった人物)は人事異動でそこからいなくなった
作業部会の細かなニュアンスを知っている人物がいなくなることで、それまでの(自分たちが参加した)
会議の内容が反映されず、そのかわりにステップだけはキチンと踏んでいる条例づくりのアリバイ
に自分たちの会議が使われないか不安を覚えた
実際のところ、傍聴している限りにおいては作業部会のニュアンスは徐々に薄くなっていった感がある

昨年度末、作業部会に出席していた職員の方に、移動する前に作業部会の内容は後任の人に十分伝わるのか
と聞いたことがあったが、市では人事異動が行われる場合
前任者は後任者に継続している課題について申し送りをしたという種類を作成することになっているらしい
それを受けて今度は後任者は前任者から確かにその申し送りを受けたとの書類を作成し
それを見ていた上司は確かに組織として情報の共有はなされたとする書類を作成するとのこと

しかし、実際のところ書類だけではニュアンスまでは伝わらない
結果的には行政の連続性の観点からの部分だけ、あるいは今回の場合は「条例化するという目的」だけが
伝えられることになった(今のところ)ようだ

これらの過程が現在の国会でも似たような形で行われているのではないか
と想像してしまった
運悪く現在の内閣府に配属された人物は、実はよくわからない問題について答弁の一貫性を守るためにだけ
頑張らなければならないような、、、
その立場の人間は、明らかに世間一般では通用しない理屈を言い続けなければならない
それは忖度が働くとかいうのではなく、一貫性が欠けることへの気持ち悪さもあるのかもしれない

ということで、いろんなことは一旦口に出したらなかなか途中で変えることは難しい現実を
今更ながら思い知ったということ
何事も最初が肝心ということだろう

 

 

 

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「シンクライアント方式」についてSNS上で知り得たこと

2019年12月03日 10時20分33秒 | あれこれ考えること

昨日の国会、安倍さんの答弁で突如出てきた言葉「シンクライアント方式」
「桜を見る会」の招待者のデータはサーバで管理し端末にデータは残っていないシステムで
その上でサーバで削除したものは復元できないものと聞いている
と答えた

サーバが「さあば」に聞こえるとか、解って答弁しているのか疑問の声が
あがっているが、自分はこの方式のことを知らないので、この分野の明るい人の
情報の提供をお願いしてみた

するとSNSで得られたのは

「シンクライアント」が意味するのは、「作業端末にはデータが残らない」程度の意味しかありません。
サーバーデータの保全とはまったく別の話です。

もう一つ

Thin client とは、簡単に言うと、 端末にはデータを残さない。 なんでそうしたかと言うと、
個人のノートパソコンに顧客データ、個人情報を入れていて、酔っ払って電車に置き忘れたりして、
情報漏洩が問題になったの。 うちは5年前くらいから導入してるけど、内閣府はむしろ導入が遅いと感じた。

どうやら、いろんな視点から個別のデバイスにはデータを残すようにはなっていないらしい
しかし個別に残っていないこととサーバに残っていないこととは違うとある

そこでまたもやSNSをいろいろ見ていると以下の図がアップされていた

サーバのシステムの全体像でこれがとてもわかり易い
左側の半分が安倍さんの答弁の個別のデバイスには残っていないとする部分
ところが右側の部分がとても現実的で、この図はまさかの時に対応できるようなサーバシステムとなっている
常識的に実態はこのようなものだろうな、、と想像できる
データは紛失すること壊れることが一番不安なので幾重にも保険をかけて残しておくようにする
そもそもサーバにアクセスできる人が限られているので削除した人もわかるようになっている
自分が理解したところでは多少の間違いはあるかもしれないこんなものだ

知らない人同士でもこのような有益な情報を手にすることができるのが「集合知」と言われるらしいが
正直なところこ田舎のおっさんが手にすることができる世界は驚きを覚える

だがその上で不満となるのはマスコミの努力不足
マスコミ(テレビや新聞)は安倍さんの言い分を「報告」しているだけ
それが本当に説得力のあるものかどうか、、聞いた瞬間はわからないとしても、、調べようとしたのか
そもそも初めて聞くことになった(?)「シンクライアント方式」について、データの削除がなされたら
復元できないのかを技術的な視点から専門家に聞いてみたのだろうか

既にネットでは「シンクライアント方式」が検索キーワードの上位にあがっているとされ
上記のような様々な情報が溢れている
ただネットの世界は全体を網羅できるわけではない
だからこそアナログ的なマスコミの力は必要だし大きいと思われるが
そこにいる人達が「発表報道」に終止して「調査報道」をしていない現実は
ホント、危なっかしい、、と思うばかり

 

 

 

 

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官僚さんはかわいそうか、それとも唾棄すべき人間か

2019年12月01日 18時04分27秒 | あれこれ考えること

そのポテンシャルは抜きん出ているにもかかわらず
「桜を見る会」の問題については誰もが嘘をついてる
と思うような発言を繰り返す官僚さんたち
彼らは失言をしないが、その発言があまりにもありえないので
「知っているのに話さない」と普通の人は感じてしまう

この官僚さんの態度について先日テレビのワイドショーで一人は
「こんなことをしなければならない官僚さんが可愛そう!」
と同情的な発言をした
それを聞いた別の人物は
「官僚は誰のための公僕か、政権や自分を守るためであってはいけない
 だから少しもかわいそうとは思わない。むしろ、、、」

SNS上でもこの2つの意見が乱れ飛ぶ(後者のほうが多いが)
東大まで行ってこんなことをするために公務員になったのではないのに
とか
目覚めてほしい
だとか
一方、手厳しい方は
嘘を貫き通したら出世の道が待っている、官僚はそんな打算的な人物ばかりだ、、、
とか

森友学園騒動の佐川さんのときから、官僚とか公務員はどのような考え方をするのだろう
と興味を持った
それで少しだけ調べてみると
国家公務員法では「上司の職務上の命令に従わなければならない」との文章があることを知った
どんな場合でもこれが守らなければならないか、、の問題は一旦保留しておいて
現実にこのような決まりが存在することはかなり大きい
マックス・ウェーバーの「権力と支配」によると、官僚は「伝統的支配」「カリスマ的支配」
「合法的支配」があって現在は「合法的支配」がほとんどの国で行われている
これは全く文書主義で専門的な知識が必要となり、基本的には誰が上になっても同じ様に
理屈に則って行うことになっている

ところが、人間社会はそれほど簡単な世界ではない
支配の定義がどうであれ、ウェーバーの支配の理解に欠けているものがあるような気がしている
それは現実的な韓非子が残したような「金による支配」「あるいは地位(名誉)による支配」だ
官僚さんとて生活者、お金もほしければ名誉もほしい
そこでそれを実現するために合法的(と自分を思い込ませて)上司の命令を聞く(これも合法的)

難しいことを考える智慧がない庶民は単純な「良い悪い」の判断を下す
それは思いつくままであったり、感情の赴くままの傾向が大きいかもしれない
しかし、だからといって素人の発想が間違っているかといえば
必ずしもそういうわけでなさそうで、素人は「自然法」に基づく判断で
玄人は「実定法」に従っているだけのような気がする
この実定法は、人間社会の試行錯誤によっていろいろ変化する
(今まで許されていたものが許されなくなったりする)

ワイドショーの二人の意見
官僚さんはかわいそう、、と、唾棄すべき人間たち
果たしてどちらなのだろう
自分はこの2つの中で揺れ動く
可愛そうだと思ったり、自分勝手で耐えられないとか

それでもどうしても期待してしまうのは、自分の判断をする勇気をもった官僚さんの出現
前川さんのいう「面従腹背」をそつなくできる優秀な人
あるいは度胸のある人、、、

そういう人、現れないかな、、

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