パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

雨夜の品定め?

2024年02月20日 09時02分18秒 | 徒然なるままに

先日の「光る君へ」のワンシーン
雨の降る中、まひろ(紫式部)はとある家の軒下にいた
そこにやってきたのは若い男たち
男たちは無邪気に女の話をしている
どういう女と付き合うと良いか、、とか

この話、あれだな、、と気づく人は気づく
源氏物語の有名な「雨夜の品定め」のシーンだ

上流の女と付き合うのが現実的だとか
中流の女と付き合うのが良いとか、、
その内容は忘れてしまったが、源氏物語は思いのほか、面白いぞ!
と感じるきっかけになったのがこれで
その他にも、源氏物語には光源氏の息子への親心などは
今にも通じるものがある

ということで、どうやら「光る君へ」はこのような意味深のシーンが
多くあるようだ
この回でもう一つ面白かったのは、ロバートの秋山竜次の演ずる源実朝に向かって
誰かが「日記に書けば!」というセリフがあったが
これは小右記という日記を源実朝が書いていて
その日記には有名な道長の歌
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」
が書かれていて、というよりこれしか記録に残されていないとか、、
そう言うことを知ってくると、脚本家の意図の深読みができて面白い

どうも視聴率は芳しく無いようだが、個人的には昨年の家康よりは
面白いし、脚本もプロの仕事、、と思う

紫式部(まひろ)はこの男どもの話を覚えていて、物語に採用したと
脚本家は言いたかったのだろう

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紫の上と明石の君の娘との関係、紫式部と倫子の娘との関係

2024年02月18日 09時29分59秒 | 徒然なるままに

先程は日曜の朝にふさわしくない内容だったので
お口直しに軽いものを!

源氏物語では光源氏の妻、紫の上は子どもに恵まれず
光源氏が明石の君に産ませた女の子を育てることになったのだが
このストーリーは、紫式部が藤原道長の子(彰子)の教育係になった
ことがきっかけになっていないだろうか

「光る君へ」はまひろと道長は特別な感情を共有している
しかし歴史的な事実は道長はドラマでは黒木華が演じる倫子を
妻に迎え、紫式部はその倫子が産んだ彰子の世話係になっている

この関係は、紫の上と明石の君の娘の関係と似ていないだろうか
物語は想像の作り出したものだが、そのきっかけとなるものは存在する
紫式部は好きな男の子どもの面倒を見る役となった

そんな風に想像するのも面白いことだ



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日曜の朝にふさわしくない話

2024年02月18日 09時25分16秒 | Weblog

気が滅入ることが多い
パレスチナのこと、ウクライナのこと
それが日本の田舎の自分にどのような影響を与えるか
を考えると、そんなに小さなことではない

未来に対する漠然とした不安を覚えるのだが
その為かどうかはわからないが、日本では大谷翔平のニュースが
場違いなくらい多く報道される
それはニーズとして存在するのだろうが
この経済的ニーズを過度に重要視するのが資本主義社会なのだろう

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」ナンシー・フレイザー著

この本は直近読んだ中では現実認識の捉え方に非常に参考になった
この本を読んだ人と読んでない人の違いは絶望的なほどある気がするが
この本があまり読まれないだろう、、と思えるのも事実だ

とても辛い内容なので救われる本を求めるのは自然の流れ
図書館で借りた「答えを急がない勇気」ネガティブ・ケイパビリティのススメ(枝廣淳子著)
この本は常々思っていたことと近いのでスラスラ読めた


その中で興味深かったのは、自分はすでに現役を引退している立場だが
企業の姿勢としてグーグルとか3M社では社員の勤務時間の15%とか20%を
自分のプロジェクトに当てるルールが存在するというのはためになった
それぞれが各自の直感や嗜好、志向を追求でき、組織的にこのような「遊び」を
作っておくことでレジリエンス(困難をしなやかに乗り越え回復する力)も高まるというのだ

人は何かを感じる
それらのうち幾つかは単に随意筋の反応のようなものではなく
人の内部から発生するものに違いない
社会の中で最近良く見られる「原因探し」ではなくて
「犯人探し」を優先する考え方は、どこか内的な声の未熟さのように思えてしまう
(だからリベラルアーツ教育が必要と思う)

抽象的な話になったので、自分はわかっているが
他人はわかりにくいことになってしまったかもしれない

それにしても、社会体制として独裁は絶対にダメだ!
と我々はもっと強く認識すべきと思う
ロシア、イスラエル、北朝鮮、中国、
残念ながら、もしかして日本も入口に入りかけているかも
との不安も消し去ることはできない



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優雅な交流を可能とする能力は、実生活に役立つかも

2024年02月17日 09時25分16秒 | あれこれ考えること

京都人は言ってることと心のなかで思っていることは違うと言われている
例えば、ゆっくりしていっては、いつ帰る?の意味で
言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけない例として紹介される

心の内を言葉にしないのは、政治の中心であった京都では
権力の変遷が珍しくなく、不用意に言葉を発すると
たちまちどちら側の人間かと想像されてしまうので
それを避けるために身に着けたテクニックという説もある

それ以外にもストレートに思いを口にしないのは
そのほうが知的で品が良いと思えるからではないかとも思う

大河ドラマ「光る君へ」は昨年の「どうする家康」と打って変わって
ドタバタしない進行で、恋愛部分の占める割合が多いと思われるものの
物語(演出)は多層的な捉え方ができるように進んでいる

前回の漢詩を披露する回では、Youtubeではそこで使われた漢詩
そして後に藤原道長がまひろに送った和歌の意図と意味を
解説しているものがある

それらを見聞きすると、いろんなことを知っている人と
(白楽天の詩とか本歌取りとか)
知らない人では、この回の理解度(楽しみ方)は全く違ってしまう

心の交流を、言葉から想像されるものに依存して
二人だけの会話が成り立っているというのは
優雅だなと思ったり、品の良いことだとも思える

一見、のんびりして実生活上に役立たないように見える和歌は
現実世界ではそれが上手くないと男女の関係にすら至らないようだ
男は顔も見せない女性に歌を送って振り向かせる
女性は自分あるいは仕えている女性に返事の歌を書かせる
そうした面倒なことを何回か?したうえでご対面

つまりは、そこそこの歌の知識とか技術がないと交流自体が成立しない

この歌の能力(頭の良さ)は、実生活(政治)にも反映されるかもしれない
と考える人がいても不思議ではないと思う
その証拠に、百人一首では身分の上の政治に関わっていた人は
それなりのレベルの歌を詠んでいて
それらは彼らの知性とかポテンシャルを感じさせるものだ

つまりは歌がうまい人々というのは、教養試験という一次試験を
パスした人たちのようと考えることは出来ないだろうか

ここでつい考えてしまうのは、今の政治家にこのような
深い教養と全人格的な人生観を持った人がいるのだろうか?
ということ

今だけ、自分だけ、お金だけ
これらの言葉が使われるようになって久しいが
それがますますリアリティを持つようになっている

人は代議士を選ぶ時には人間性も想像して選んだほうが良いだろう
しかしその人間性を想像する具体的な方法は、どんなのがあるだろう
なにかいい方法はないものか!


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休み明けは避けるようにする!と決めた

2024年02月16日 09時20分34秒 | ダイアリー

連休明けの病院は、とんでもないことになっていた
これからは休み明けは医者に行くのはやめようと
生活上の知恵として頭に叩き込んだ

月に一度、血液サラサラと尿酸値を下げる薬の処方箋を
もらいに行くことになっている
そこに昨年の10月から股関節が痛くなって
リハビリをするようになっているので医者に行く頻度も高くなっていた

薬が無くなっているのとリハビリの予定が合わず
最悪のタイミングで医者に行く事になったのが連休明け

朝の用事を済ませて出かけたが、その時は既に駐車場は満杯
受付番号は54番で、その時点での診察番号は40番くらいだった

30分もすれば自分の番と思い、近くの図書館で本を借りることで
時間つぶしをした
借りた本は「答えを急がない勇気」ネガティブ・ケイパビリティのススメ
以前中日新聞の読書コーナーに紹介されたネガティブ・ケイパビリティに関する本だ


さて、そろそろかと医者に戻ると駐車場は先程よりも混んでいる
別の駐車場も空きスペースはギリギリで確保
医院に入ると人でごった返している
立って待っている人も少なくない
殆どがお年寄り(自分もそうか)
そして診察の番号はまだ44で進んでいない

エライコッチャ、、
温かい日だったので医院の外のベンチで借りてきた本を読むことにした
気楽な本なので読みやすく、ページは進んで、時々診察番号を確認しに行く

結局、診察を受けることができたのは12時少し前
ある人の診察番号がチラッと見えたが、74番だった(大変だ)

診察はルーティンで時間はかからなかったが
会計がいつもより時間がかかった
待合室の人の数を思えば仕方ない状況
医院の女性たちはお昼休みを取れるのだろうか?
そんなことを思いながら診察料を支払ったのが12時15分頃

ということで、こんな時間のかかる経験はしたくないので
これからは余程のことがない限り、休み明けは避けるようにしよう
と心に刻んだ

それにしても、病院は老人の多いこと
日本社会の縮図を見る感じ(自分も含まれるが)

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嘘とか不正とか

2024年02月15日 16時57分15秒 | あれこれ考えること

「私は嘘をついたことがない」
普通の人ならこれは嘘だと断言できるに違いない
嘘をつかない人はいない
それが人生を重ねてきた人の実感だ

嘘にも悪い嘘があれば、気を使い心配させないためにつく良い嘘もある
「総理大臣の私が嘘をつくはずがないじゃないですか!」
このように語った人がいた
この方はいろんなところで嘘を言っていた
それは見え透いた嘘と言えるもので、まるでオオカミ少年のようだった

嘘をつかないことの確証は何だろう
現在は政治家はまず信じられない
教師も中には悪い人もいる
宗教家の中にもおぞましい人がいるし
警察の中にもなってはいけない人がいる

だが一般論として嘘とか不正をしないとされている人たちがいる
それは国家資格を有している人たち
彼らは嘘までは行かないにしても、極めて危なっかしいところを
歩いているときもある

直近の経験では、この国家資格を有しているだけで
不正や意図的な操作は全く無い、、と断言されたことがあった
だがこの人たちの行動や仕事ぶりを見ると、不正をしているかもしれない
と思われても仕方のない不自然な動き方をしていた
(やたらと例外の多い仕事ぶりだった)

その仕事ぶりの詳細な評価ではなく、肩書で不正はない!
と判断され、問答無用だった最近の出来事
今でも思い出すと悔しさがこみ上げてくる

だが現在の世の中は、肩書でいろんなことが信用され
それに基づいて運営されているものだとも思う
なかなか思い通りには行かないものだ

さてこれらは何のことを現しているか、、
ちょっと愚痴ってみたくなってしまった


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ポスティング

2024年02月14日 09時11分15秒 | あれこれ考えること

ポスティングは、それを仕事としている人は何も思わないかもしれないが
伝えたいメッセージとして思いを込めて行う人は
しばしば絶望感を覚えるかもしれない

それは個人的に実感したことで、新城市で住民投票が行われた時
政治的な内容の場合は新聞折込ができず、できたとしてもお金がかかるので
有志によるポスティングをせざるを得なかった
(その他にも例はあるが)

郵便ポスㇳに入れるだけの単純作業だが、この作業時には不安に襲われる
これを読んでくれる人はどの位いるだろう?
読んだとしても、共感を覚えて貰える人はどの位いるだろう?
いきなりゴミ箱に直行するのではないだろうか?
こうした否定的な考えが自然と浮かぶ

田舎の家は一軒一軒が離れているので、作業は思いのほか手間がかかる
一軒入れたら次の家まで自転車とか車で移動する
それらの家は生活感があるのか無いのかわからない場合が少なくない
(人が住んでいるのか空き家なのか?)
また家のポストを探すのが慣れないと難しい
ポストの位置は呆れるほどいろいろで、玄関にある場合もあれば
庭を挟んで離れたところにある場合もある

やっと50ポスティングか?
と遅々として進まないことについイライラしてしまう
そして、これが効果的なことなのだろうか?
とさえ思えてくる

不特定多数の人に、何かアクションを期待する働きを求めると
そのレスポンスは3%だそうだ(0.3%かもしれない)
通販の会社がチラシを折り込んだ時、購入に結びつくのは
統計的にそんなものらしい

そのことを知ると挫けそうになる
3%なら100枚ポスティングすれば3名
でも0.3%なら1000枚配ってやっと3名
実感は0.3%のほうが分があるように思えてしまう

でも、それでもやり抜く!
と思えたのは、仲間が頑張っている姿を見たからだ
本当に、仲間の頑張りはモチベーションを保つきっかけとなる

新城市では様々な問題が山積していて
市民が声を上げざるを得ない状況が続いている
(それはクレーマーなのか、正義感によるものかの評価が
 分かれる事かもしれないが)

ただ、現実社会はこうした行為やその行為に至る動機などには
無関心の人が多い
それは社会的に珍しいことではなく、社会はそんなもので、だからこそ
アクションの確率は低い数字にとどまっているのだろう

映画「香川一区」では小川淳也氏がポスティングをしている場面があるが
そこでも、自分らと同じような不安を感じていたことが口にされている
いみじくも彼は、諦めそうな絶望しそうな「自分との戦い」と割り切って
(無理矢理?)頑張っているが、その気持は本当に良くわかる

ということで、行動する人は偉いな、、ということ

それにしても、もう少しいい方法はないのだろうか
あのことを多くの市民に知らせたいし!


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真夜中のラブレター

2024年02月13日 08時57分22秒 | ダイアリー

真夜中のラブレターという言葉がある
夜は感情が高ぶって、勢いに任せてラブレターを書いてしまうと
後で読み返すと赤面することがあることを表している

都会人は夜型の人が多く、SNSは夜中に投稿されることが多い
自民党に対する批判、山本太郎の行動に対する批判
立憲民主党に対する不満、、
そしてその内容は、どちらかといえば喧嘩腰のものが多い
ように思えてしまう
(だから幾つかを見ると悪い気分になってしまう)

それらは応援団と思われる人々が感情に任せて投稿されているのだが
これらはまさに真夜中のラブレター状態のように思えてしまう

怒りという感情はすごいエネルギーを持つ
そしてそれは何かを変えるだけの力の源泉だ
ところが、それは一歩間違えると暴走となってしまう

要はバランスの問題だが、それでも真夜中には個人攻撃の多い状況は
あまり感心できない、、と思うこの頃

怒りの感情は必要、しかしそれをコントロールする力も必要と思う

 

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単なる個人的な怒りなのだろうか?

2024年02月12日 09時21分20秒 | ダイアリー

豊橋市の住民投票条例案が2回目も(市議会で)否決された
これは新アリーナ建設予定の公園内にある豊橋球場の移転先が
津波の「特定避難困難地域」であることなどから
建設の是非を問う住民投票の条例の制定を目指し市民団体が署名活動を行い
署名数が地方自治法の規定数を超えたので議会に諮られたものだった
そもそも現市長は新アリーナの建設反対を訴えていた
ところが、市長になると判断を一転して従来の計画を支持することになった経緯もある

この経過は、よくよく考えてみると仕方ない選択
と思ったのか、それとも何かあったのかな?
と感じてしまうのは疑い深いせいか?

住民投票先進都市の新城市は2015年、新庁舎建設について住民投票を行った
それは基本的にはその規模を問うものであったが
その住民投票に採用された選択肢は以下のようなとんでもないものだった
四角で囲った文章


●市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し
●市道東新町桜淵線の路線の変更を伴う現計画の見直し

この選択肢が議会で決まった時、猛烈な怒りを覚えた
この選択肢では意味が分からず、市民は選択に困ってしまう
この市道東新町桜淵線の路線の変更云々というのが曲者で
この道は普通の道のように道として見えるものではなかった
法的には存在するが、形として目に見えているものはなく
抽象的な存在のものだった

大半の市民が実情の正確な把握ができず、問うている意味もわからない状態で
住民投票を行うこと自体に意味があるか!と思えたのだった

実際のところ、この選択肢の分かりにくさ故にこの地方のテレビ局は
おかしな住民投票として何度もニュースとして取り上げられた

今でもこのことを思い出すたびに怒りが湧いてくるが
この怒りは個人の個性によるものなのか?
と最近の出来事と比較して考えてしまう

自分のこの怒りは忘れることのできないこととして記憶されている
ところが、多くの市民は住民投票があったことは覚えているが
その選択肢は覚えていないし、怒りの感情も無いようだ

すると、個人の怒りは一般的で説得力のあるものでないのだろうか?
と不安になってしまう

最近の養鶏場の用地購入に関しての裁判では
その購入の段取りと購入価格の決定に不信感を覚え
当方は怒りを覚えるものだが、これを何も知らない人は怒りを覚えない

そこで当方の不審部分と思える部分を人に伝えようとすると
(売却希望価格を事前に不動産鑑定業者に伝えてしまったこと)
ここで、2つのグループに分かれてしまう
一つは、その話を聞いた刹那、おかしいと口にする人
もう一つは、その話の意味を理解できず聞き流す人

この現実は大きい
わかりやすく言えば、それなりの頭の人はこの奇妙さを理解する
しかし、想像力を働かせるのに慣れていない人は問題点を理解していない
(反論としての意見を持っている訳ではない)

世の中の確率からすれば、理解する人、しない人はそんなものかもしれない
しかし、夜眠れないほどのストレスを覚えるようなこの出来事
それに対してお金と時間を費やし行動すること
それが、個人の勝手な行動なのかどうかは、弱気になると不安になってしまう

でも、やるべきだ!
と内なる声は叫んでいる


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参加している人の反応が知りたかった(市政・国政報告会)

2024年02月11日 09時48分18秒 | あれこれ考えること

先日、市議会議員と自民党の衆議院議員の二人による
市政・国政の報告会があるお寺さんの本堂で行われた

急な話だったが出かけた
関心事は彼らの話す内容ではなく、そこに集まった人たちの反応で
国政ではパーティ券のキックバック問題が起きる中
渦中の自民党議員の話を参加者はどのように受け止めるか?
また市政では何かと問題の多い給食の問題をどのように受け止めるか?
それが知りたくて足を運んだ

ちなみに、1週間ほど前に共産党の行った同様の集会にも足を運んだ
自分は共産党支持者でもないし、自民党支持者でもない
報告の中には地元選出の代議士のキックバックされた金額の数字も紹介されていた
ただ共産党の方の話す内容にも一部違和感を覚えたものもあった

お寺さんに集まった方々は、若くない自分よりも年上の人が多かった
しかも男ばっかり
中心になってこの会を開催したのは、市議会議員の後援会と
それから派生した代議士のこの地区の後援会だった

流石に応援しているだけあって、二人を迎える雰囲気は優しい
そこでは「よいしょ」と思われる言葉がかわされた
でもなあ、、、

市議会議員の方は人間的にはいい人なのだが、政治家とか難しい判断を下す
役割の人としては、不安が残る人だ
確かに地元地区の人口減は切実な問題で、彼はそのことが大きな関心を寄せているのは
ずっと前に一対一で話したときも感じられ、その真剣さは感じられた
しかし、それを打開する方法としては自民党頼みの傾向が感じられたし
市議会における採決の判断はあまりにも安易すぎる気がしていた

でも、後援会の人は「いつか市長に、、」とまでの声があがったのには
正直驚きを覚えた
「この人たちは何も知らない」
すぐに頭に浮かんだのはこのこと
地元の人だから、誰々さんの息子だから、、そういった理由で
全面的に応援されているような気がして、果たしてそれで良いのか?
との疑問が浮かんだ

代議士の報告は、さすが国会議員で淀みない
でもそれらは例えば他の党が政権をとったとしたら、同じような政策をしただろう
と思われるものだった
直面する課題は、どの党でも似かよった政策を実施しなければならないと思えるので
この方法だけがよくやった!とは思えない(ひねくれ過ぎか?)

彼の時間が残り少なくなった時点でやっとパーティー券の話が出てきた
彼はとりあえず、陳謝した
そして我々のような若手は怒っている
党に対して苦情と改善策等を提案している
と現状を説明した

彼の所属は確か麻生派、派閥解消はしないとされるグループだ
派閥解消がパーティー券問題の解決方法とするのは少し違う気がするが
それでも彼が麻生派にいるのは事実だ
そして、先日の共産党の報告会ではこの代議士のキックバックされた金額は
〇〇万円との数字が紹介された

「代議士は(忙しいから)何から何まで分かるわけがない
 そんなのは会計責任者の落ち度だ」
それが、参加した人の中でも一目置かれているような人の発言だった

結局、ここでも何も知らないで応援しているのだろうか?
との疑問を覚えるのだった
老人だから情報弱者なのか、それとも否定的な情報は目に耳に入らないのか
入ったとしても受け付けないのか?

このような集会を経験すると、自民党(あるいは現状保持)の強さを感じる一方
無知とは言わないまでもよく知らない人々が、安易に選んでしまう現実に不安を覚えたのは事実だ

最近、気になって仕方ないのが投票しなかった人のこと
その人達の意志は結果的にどのように反映されるか?
その反映は、投票しなかった人たちが仕方ないと思えるものだったか?

選挙前にはこの問を個人個人が真摯に向かい合ってほしいと思う

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