パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

停電が怖い

2024年07月20日 08時51分45秒 | 徒然なるままに

暑いっ!
エアコンのない2階でのルーティン作業も我慢の限界は直ぐにやってくる

先日の知人との会話
「こんなに暑いからエアコンがない世界は考えられないね
 停電になったらと思うとゾッとするね」
「だから太陽光発電を考えなくてはいけないかも知れない」
「再生エネルギーとかを考えてのことではなくて
  停電対策としてだね
 確か車はハイブリッドのプリウスだったですよね」
「あれはプラグインハイブリッドでないと駄目」

本当に、エアコンのありがたみを実感するこの頃だが
その分、停電になったらどうしようと考えてしまう
そんな時は、エアコンの効いた喫茶店とかで停電が回復するまで
時間つぶしをしなければならないかもしれない

今日から4日間くらいは猛烈な熱さだとか
今も額から汗が出始めている
夏は面倒なことを考えるのは駄目だ

昔、子供の頃はお昼寝タイムがあったが
お昼寝タイムというのは実は合理的なものかも知れない
と思ったりする
なんだか眠たくなってきてしまった
(5時半起きは、日課が一段落すると眠くなってしまうようだ)


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雑草は逞しいし、協力しあって生きている

2024年07月19日 09時21分24秒 | ダイアリー

毎日の日課として早朝に近所のお墓参りをしている
信心深いとは言えないが、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさんに
日々の出来事を報告し、感謝するのは少し心が安定するような気がする

お寺さんの駐車場から大きなクスノキ、イチョウの木の下を通って
以前はゲートボールをしていた広場を歩いてお墓に向かう
毎日のように見ている景色だが、不意に気づくことがある

雑草がこの数日すごく伸びている
太陽と水分が充分すぎるほど供給されて毎日のように成長している
おまけにあちこちにはモグラの穴がいくつかある

雑草は大きな木の下は、太陽が当たらないのでそんなに伸びていない
だが太陽の光が目一杯受けられる場所は遠慮なく伸びている

つくづく自然はすごいなと実感する
雑草は(植物は)太陽と二酸化炭素の光合成で糖分をつくり、自らを成長させるだけでなく
菌根菌にその養分を与えて、菌根菌からはミネラル分を受け取る
そこには何かの意志があるとは思えないが、それでも結果としての共生とかバランスの良さは
驚きを禁じ得ない

昨年はテレビとか本でこうした植物絡みの神秘を知った
それは本当に良い体験だった
人間界以外にも凄くバランスのとれた世界がある
そうしたものを知ることができ、一種の神秘感を感じることができたのは
少しばかり不遜な人間様に反省を促すように思えてしまった

しかし、それにしても蒸し暑い
東海地方は昨日、梅雨明けしたとのこと
今は宅施餓鬼の準備をしただけで、汗がびっしょり
夏はほんと、かなわんな


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受け身ばかりでは馬鹿になる(と思う)

2024年07月18日 09時39分16秒 | あれこれ考えること

大谷さんがオールスターズでホームランを打って
予想された通り日本のメディアは大騒ぎだ
大谷さんが悪いわけではないが、このはしゃぎっぷりはどこか異様だ
もう少し後にはパリ・オリンピックの報道一色になるのは予想される

分別くさくなる気がないが、こんなんで日本は大丈夫なのかと思えてならない
この「パンとサーカス状況」が誰かの意図か、それとも自発的なのかわからないが
受け身ばかりの情報収集は危険に満ちていないか

最近はコスパだけでなくタイパとの概念が広がっている
タイムパフォーマンスとは時間の効率の良い使い方のことで
録画を倍速で見ることもその方法の一つだ
自分が心配なのは、難しい本は理解に時間がかかって仕方ないので
わかりやすい解説本と要約本がタイパが良くて好まれるという傾向だ
選挙でも多少の前提知識を必要とする難しいことを言う人は避けて
単なるイメージの良さとか露出量の多さとか
わかりやすいことを訴える人を良しとする傾向も少し心配だ

これは果たして良いことなのだろうか?
難しい本が難しいのは、齋藤孝氏のある本によれば、
著者がまだ考えがまとまっていないうちに書き進めているので
その迷いみたいなものが感じられるのでスッキリした理解にたどり着けないとしている

そうかも知れない、、と思える本もあるが
難しい本が難しいのは、実は読み手の人生経験不足とか能力不足が大きいのではないかと想像する
全く知らない歴史的事実の羅列は、知らないだけで難しい本とは言わない
難しい文章とは、知っている言葉が書かれているが、回りくどくて、そこにいろんな意味合いとか
思いとか、想起すべきものが込められているので、その意図を想像できないとお手上げになってしまう類の本だ

ハンナ・アーレントの全体主義の起源とか、マックス・ウェーバーの示唆に富んだ本は
一回目はロールプレイゲームに放り込まれた感じで悪戦苦闘して、わからないにしても
戦っている充実感は感じられる
時間をおいて再読すると、今度は周りくどい文章に込められた意図をそれとなく感じるので
先の読書とは違った印象を持つことになる
その実感は個人の内的な時間経過の絶対量によって変わる

読んだ本の大半は忘れてしまうのが、多分普通の人の人生
だが読んだ本は全く記憶から消し去られているかと言えば
おそらく意識するかしないかの部分で何かが残っているのではないか
アインシュタインもそのようなことを言っている

ということで、難しい本は難しい本なりの存在価値がある
でも今は難しいというだけでスルーされるとしたならば
世界は豊かなものにならない

昔の学生は、読みもしない難しそうな本をこれみよがしに見えるように持っていたそうだ
今ならMacをスタバで使っているのを見せるようなものかも知れない
自分くらいの年令になると、それらはなんかかわいいな!とも思う
そしてこうした見栄は若者には必要かもしれないとも思ったりする

学生には地下鉄や電車の中でスマホゲームをするより
小難しい本に集中している姿を見せて欲しい


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「民意の一言」ですべてが決められてはならない

2024年07月17日 09時49分19秒 | あれこれ考えること

「民意は正しいとは限らない」
これはそれなりの想像力の持ち主と、つらい体験をした人は理解できる
例えばドイツ人はかつてポピュリズムに乗ってヒトラーを
正式の手続(選挙)で選んでしまった
だからその反省として、需要なことは必ずしも大衆の支持の数では決めず
有識者と認められる人々に判断を依頼するようにしているらしい

実はこの発想は自民党の総裁選挙でも使われていて
総裁選の一票は最初は地方票と議員票はそれぞれひとり一票の価値だが
決選投票では、その人物を日頃見かけて性格とか人間性を知っている
と思われる議員は、地方の党員よりも正しい判断ができるとの想像で
票の価値は議員のほうが高くなっている(何倍かは忘れた)

フランスの選挙も一回ですべて決定ということはなく
勝ち残った人たちのよる決選投票を行う
これで想像される危険を避けることができるとされ
現実に今回は極右の拡大は防がれた
この方法はオリンピック会場の決定にも使われていて
多数決の危険性を、知恵ある人々はなんとかして補っているように思われる

ところが日本は多数決の結果が、「正しいもの」とされ
選挙で敗れたものはまるで価値のない政策とか人物の扱いを受けても
当然だとの考え方が広がっているように思えてならない

そして「選挙によって民意が結論を下した」
というフレーズは、あまりにも容易に使われていて
それが選挙のバッシングに使われているのが今の日本だ

話は変わって「類は友を呼ぶ」多分この諺は本当だと思う
その人となりを知るには彼の周りの人間・友達をみれば想像できる
今回の都知事選の話題の人物、石丸氏はSNSをうまく使って見事な結果を導いたが
それは無党派層とか無関心層に「自分と似ている人」のイメージ付けがうまく行ったようだ

だが怖いのは「自分と似た人がそのポジションで大丈夫か?」
という視点が欠けていないかということだ
自分と似た人は共感を持ちやすい、彼の怒ることは自分の怒りに似ている
それに彼を支持する人は多くいる
この安心感で自分の選択は間違っていないと思い込みやすい
でも、本当にそうなのか?

ここには「自分はちゃんとした判断力を持つひとりの人間」との
思い込みがあるのではないか
それはオルテガが訴えた「大衆の反逆」の一説が思い浮かぶ
数があるだけで大衆はその責任を負わず、それを正しいものと思い込む

オルテガは大衆ではなくエリートが政治とか社会を良きものとしているという
ここで言うエリートは高級官僚とか高収入の人々というのではなく
例えば職人であっても、その仕事に打ち込み、日々に良きものを求めて
試行錯誤をし、自らを常に振り返るものとしている
つまりは意識的に内的に生きている人はエリートと定義している
そしてその人達の活用こそが良きものとしている(ように思う)

さて自分に似た人を選んだ人々は、自らを人を選ぶ能力があって
選んだことに責任を負えると感じているのだろうか
また、選挙の結果が(民意が)すべてを乗り越えて正しい!
とまで言い切ることへ疑問を感じないのだろうか

またもや、まとまらない話

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鴨川のゴミと投票率

2024年07月16日 09時08分09秒 | あれこれ考えること

京都市の東を南北に流れる鴨川
ウォーキングやジョギングする人も見かけるが
ぼんやりと川を眺めてリラックススする人も多い
夏になると飲食店の納涼床が競って並ぶ
一度は経験したいものだが、今のところその出費の経験はない

この鴨川がゴミで困っているとのことだ
SNSでお酒を飲みならがゆったりしているところをアップしたところ
それを真似て外国人が一気に増えて、空き缶、食べ残した食べ物が
道あるいは川に投げ込まれてひどいことになっているとニュースで報じられた

その対策としてボランティアが毎朝片付けをしているが
とても追いつく量ではなさそうだが、それでも続けている人たちには頭が下がる

この空き缶とか食べ残しはとても困るものだが
その対策は実はとても簡単なことで上手くいく可能性がある
それは一人ひとりがゴミを捨てないということを実践するだけだ
自分が持ち込んだゴミとなるものをそこで捨てずに持ち帰るとか
然るべきところに持っていく
その際の個人の作業はそんなに大きくない
ただちょっと面倒とか荷物が増えるだけだ

話は変わるが毎月行われる地域の資源回収では
予め分別されている人と、現場で分別する人ではかかる時間がずいぶん違う
大半の人は分別は済んでいて指定された場所に運ぶだけだが
時々、一緒くたになって運ばれたものをそこで分けて、ひとりで時間を費やして
後ろについた車がいつまでも出られずに困ったことになっているひとを見かける

予めちょっとした時間を準備に費やせば後の作業は簡単になる
鴨川のゴミも一緒だと思う
川沿いで楽しむ人が一人ひとりが、ちょっとだけ面倒なことをすれば
川沿いは綺麗なままでいられるし、そのための作業も圧倒的に少なくなる

GWとかお盆の高速道路の渋滞は、追い越しをせずに適度な車間距離を保っていれば
あれほどの渋滞は起きないどころかスムーズに流れていくとする実験もあるそうだ
つまりは、個々の人々がちょっとだけ共通意識として気配りをすれば世の中は
上手くいくということだ

ただ一人ひとりがちょっとだけ面倒なことをするというのは現実はとても難しい
だからまずは外飲みを禁止とかの法律を作り、合わせて罰則を作るというのが現実的
との考え方がある(これはシンガポールがそうらしい)

でも理想的であるとしても、個人個人がちょっとだけ面倒なことをしておくだけで
世の中がうまく回るのなら、その世界のほうが良いと思えて仕方ない

個人個人がちょっとだけ面倒なことをする
これは選挙の投票も同じことだ
期日前投票も当日の投票も実際にかかる時間はそんなに多くない
仮に比較検討するためのデータを確認するとしても、それは膨大な時間を要するものではない
かかるのはちょっとの時間だけ

このちょっとの時間を人々が使うようになれば、それは自分たちのためにも
社会のためにもなると思えるし、そのほうが合理的だということを
共通認識として頭に入れたほうが良いように思えてしまう

しかし、面倒と思うひとの多いことは想像できる
問題はその面倒と感じる気持ちを乗り越える力を持つためには
何が必要かということで、それは大上段に構えた教育ではないような気もする

横着者を乗り越える
これは、思いの外難しいが、乗り越えるべき課題だと思いたい

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ヨーロッパ人の関心はサッカー・ユーロ選手権

2024年07月15日 09時03分09秒 | サッカー

日本では相変わらず大谷の活躍が盛んに報道される
その圧倒的な多さに世界は野球で回っているかのような錯覚を覚える
(活躍が今日のことか昨日のことかわからない時がある)
だが少なくともヨーロッパのスポーツ世界は全く違う話題で沸騰している
それはサッカーのユーロ選手権で、ワールドカップよりも質が高い戦いが展開される
今朝はスペイン対イングランドの決勝で、結果は2−1でスペインが4度目の優勝

ユーロの放送権を持つのはWOWOWで、自分は加入していないので
一日遅れのYoutubeダイジェストを見るだけになっている
それらを見ると、サッカーが違うスポーツのような印象を覚える
それは確かに戦いだ
スポーツというようなどこか品の良いものではなくて
もっと原始的な勝ち負けに拘る、しかも国をかけての戦いは
観客もハイテンションで、会場にいたならば興奮するだろうなと思われる

相変わらず実感するのはシュート力の違い
日本は以前から指摘しているがシュートが下手だ
ゴールの上を通過するシュートが多すぎる
だが、ヨーロッパ諸国のシュートは少なくとも高さは抑えたシュートになっている
上は何かハプニングがあっても点は入らないが、左右に行ったのもは
誰かにあたって入るということはある

そしてシュートの上手さが影響してゴールキーパーがこれまた上手い
ポジショニングだけでなく、瞬間的な反応などもすごい
これを見るとサッカーで一番人気のポジションがゴールキーパーというのが
わかる気がする

日本のサッカー選手もだいぶレベルアップしてきているが、
圧倒的に欠けているのがゴールキーパーとストライカーだ
どちらも花形のポジションでが、それが育たないところが
日本の社会なのかも知れないと思う
(この2つのポジションの人物像は目立ちたがりや、、との分析がある)

それにしても、スポーツに限らず世界はアメリカだけではない
と知ったほうが良い気もする
最近の世界の動きを見ていると、世界中が脱アメリカの傾向を志向しているようだ

だが日本は相変わらずで不思議なくらい変化のない国
本当にそれで良いのか、、と思えて仕方ない

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東京より新城市の方がまとも

2024年07月14日 16時08分19秒 | あれこれ考えること

行政が奇妙なことをすれば、まずは議会がチェック機能を果たす
だが行政主導の現在のシステムではそれは発揮されにくい
そこで気づいた市民が行動を起こすことになる
手続きは住民監査請求をして、その後行政訴訟に出るという方法だ

東京都民は48億円のプロジェクション・マッピングについて
何もしないのだろうか
現状はっきりしているのは、
●プロジェクトに関する申請、許可、入札責任者は同一人物
●情報開示請求した入札資料はほぼ黒塗り
●入札参加は電通Lと博報堂Pの2社のみ
●入札審議10分
●どのように入札を決めたか議事録無し
●フランスの同様な費用と比べて格段に高い
等がある

新城市では数年前、市がある養鶏場を臨時議会を開いて
5億円近い金額で購入することにしたことがあった
その異様に早い進め方、また不動産鑑定の価格は相場と比べて異様に高かったこと
不動産鑑定の比較地が地元新城市ではなく3箇所が豊川市であったこと
不動産鑑定業者の選定は随意契約だったっこと
普通なら一月ほど要する不動産鑑定がわずか数日で行われ
その金額は速報値として報告され、それをもとに売却希望企業と相談をした
そして、この顛末は養鶏場が買取希望を訴えてきてから
わずか半年で2.4億円を支払うことになったことなど違和感を覚えるものがあったので
有志の市民がまずは住民監査請求を起こした

住民監査請求は監査責任者に、コレコレのところは違和感があっておかしいので
よく調べて、おかしいことが認められるなら市が損害を受けた金額を
(その原因となった人物は)市に支払って欲しいと要求するのもだが
これはほとんど棄却される
だからその結果が出てから一月以内に裁判に訴えるということになる

新城市は上に書かれた段取りで行政訴訟を行っている
だが東京都は、そんな声は今のところ聞こえない

実は新城市ではこの数年前に、新庁舎建設予定値以外の土地に移転補償費を払った件についても
同様な手続き(裁判)を行い、そこでは裁判所から痛み分けの解決法が提案された経緯がある

さて客観的に見て、どちらの自治体と言うか庶民のほうがまともなんだろう
まともか否かについては圧倒的に新城市のほうがまともではないだろうか

面倒なことはスルーする
見て見ぬふりをする
必死に行動する人たちを冷笑する
そもそも目の前にある問題に気づきもしない

なんだか、そう言う人たちと比べて新城市の有志は覚悟がある気がする
確かに大都市東京が変われば日本も変わる気がする
でも東京という実態は、実は政治のトップたちというよりは
そこに住んでいる人たちの意識だと思う
今回の都知事選を見るにつけ、「アトム化された人々」という
ハンナ・アーレントの言葉をつい思い出してしまう



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心の中にとどまったものは、いつか行動に現れると信じたい

2024年07月14日 09時29分37秒 | あれこれ考えること

今朝のワイドショーに突然トランプさんが銃撃されたニュースが流された
耳のあたりに血が見えたが、命には関わり合いはないようだ

アメリカという国は、、
頭に浮かんだのはこのこと
暴力で物事を解決しようとする輩がいて、それを防ぐために銃規制を
しようとすると、建国以来の伝統の価値観とか自由を持ち出して
そしてその団体の利益のために多数決の数を稼ぐ

日本はかつて強引に秀吉が刀狩りをしたかも知れないが
結果的に庶民が武器を持つことはなくなり、無闇に争いごとは少なくなった

これと比べて何故、銃規制ができないか不思議で仕方ない
理屈を言い始めるとどんな理由付けもできる
だが、全体最適を求めるなら銃規制は現実的な方法と思う

この銃規制ができないところと、あの人格のトランプさんが大統領候補になっていること
そして客観的には長い四年間が心配なバイデンさんを大統領候補としていること
これらは部外者は不思議で仕方ない
それは常識的には考えられないことだ(アメリカは大丈夫か?)

大統領になるということは、国益とか国民に対する使命感よりももっと個人的な欲望に
支配されているような気がしてならない
もっともこれはアメリカに限らず、日本社会でも似たようなものかも知れない
政治家は権力闘争の本能を持っているとしたのはマックス・ウェーバー
確かにそうかも知れないと実感する


ところで、ずっと違和感を感じている都知事選のこと(以後の雰囲気)
たまたまフジテレビで橋下徹氏が石丸氏は熱量が違った、、と論評していた
その熱量が何をさしているかイマイチわからないが、熱量に関しては
蓮舫氏は少なくとも演説を聞く限りはたいへんなものだった

彼女が街宣を始めた頃、このペースでは最終日には声が枯れてしまうだろうと予想した
熱も力も入った演説は子どもを育てている女性としての実感を踏まえて
わかりにくいものとは思えなかった
正確に都の財政を把握しているわけではないので一部不安なところがあるとしても
少なくともその心意気は理解できるものだった

ところは予想に反して蓮舫氏の声は最後になってもかすれなかった
それは代わりに声をからすくらい熱く応援した仲間がいたからで
クソ真面目な小川淳也氏が汗を飛ばしながら必死に訴えた
蓮舫氏は自分にはこうした仲間がいるということを実感として感じていた
そしてそれに煽られた蓮舫氏も熱を持って街宣を続けた

ところが、それが票になるかどうかとなると別問題のようで
この演説の中身とか熱さを理解するには、多少の知識とか考える力が必要となる
つまりはわかりにくいよりは、わかりやすい自分と同じくらいと見える石丸氏に
シンパシーを覚える若者が多かったと解説する人は多い

囲碁の世界では「実利と厚み」という言葉がある
実利は直ぐに計算できる確定地で、厚みはまだ地にはなっていないが
将来厚みを活かして相手を攻めて最終的には地を増やすというものだ

この厚みと言う言葉を、演説のメッセージが確かに届いたもの
演説を聞いて勇気づけられたこと、自分でもなにかしようとすること(ひとり街宣)
と当てはめると、後々の結果は実感が忘れられるかどうかだけの問題となる

今回親しみやすかった石丸さんは実利が多かったということで
それは選挙戦術という範囲で優れていたと言えるかも知れないがその後の可能性はどうだろう
もっともメディアとか大衆はブームに異様に弱いから
必ずしもその後増えない実利ではない可能性もあるが

選挙後に蓮舫氏へのネガティブな物言いが多い
しかしそれとは全く反対の、立候補してくれたことに感謝する人
勇気づけられた人、悔しいと思っている人、引き続き応援すると声を上げる人も多い
囲碁で言う厚みは、生き残っていくのだろうか

ひとり街宣の行動を恐れている人たちがいるということは
それがかなりの影響力をもつと想像されたことだ
現在は絶望的な状況だが、日本に一人ひとりの気づきによる政治選択は
いつかやってくると信じたい


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昼食あとの睡魔

2024年07月13日 08時52分47秒 | あれこれ考えること

安芸高田市の市議会では、前市長の石丸氏から市議会議員の会議中の居眠り関して
きつい叱責が起きたにもかかわらず、最近の定例会ではまたもや居眠りが見られ
その緊張感のないことが動画にアップされて、石丸氏の指摘が正しかったと話題を呼んでいる

確かに、あんなことの後だけに市議会議員も情けない
しかし、生理現象として市議会の昼からは猛然と眠くなるのは現実だ
市議会の傍聴に行って手にしたプリントをウトウトして落とすなんてことは珍しくない
特に質問内容があまり関心のないテーマの場合はそうしたことになりがちだ

議会にいるすべての人も(職員、首長も)眠たいだろうな、、と同情さえ覚える
傍聴席からは議員は背中が見えるだけでその様子は見えない
見えるのは首長を始めとする行政の人々だけだ
議員が寝ているシーンは議会中継にわずかに映ったものと思われる
質問する人の隣とか後ろの人とかが、こっくりするのが写ったのだ

昼食後はとにかく危ないほど眠くなる
だが職員は何時自分の役割に関する質問が来るかわからないので
とりあえず緊張して耳をすますことになる
それは首長も同じだ

ところが議員は自分の質問時間でない時間は、その緊張感からは開放される
そして眠くなる、、
それは困ったものだが、充分想像できる出来事だ

ほんと、昼食後のしばらくの間、睡魔の訪れは色んな意味でヤバい


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違和感を覚えた石丸氏の説明

2024年07月12日 09時27分29秒 | あれこれ考えること

都知事選以後、目立つのは投票数2位に躍り出た石丸伸二氏のメディア登場
そしてもう一つは、蓮舫氏への否定的なSNS上の投稿
これは自発的に広がった「ひとり街宣」の否定まで及んでおり
何かしら気持ちの悪い違和感を覚える
(それらには憎しみの感情が際立っている気がする)

昨日の昼、テレビ朝日のワイドスクランブルに石丸伸二が出演した
テレビ的にはタイムリーな扱いとも言えるが
巷で広がっている会話の不成立を恐れてMCの大下さんも
もう一人の登場人物も言葉を選んで彼に質問を繰り返した

まずは彼の経歴と都知事選に挑戦したきっかけが紹介された
彼は三菱UFJ銀行の社員で、アメリカに赴任して3年ほど生活したが
外国の生活をした多くの人が感じるように自国の日本のことが気になるようになった
そこで、停滞気味な日本を変革するために行動に出たとのこと
(このあたりの心理的な動きは納得できる)

そして安芸高田市の市長選に挑戦し当選を果たし、各種の問題提起を起こしたようだ
その時の議員を叱責する「恥を知れ」のシーンはYoutubeで拡散された

番組の大下さんではない女性の方(NPOの代表者?)が
安芸高田市市長時代の議員定数半減のことについて言葉を選んで質問した
議員定数は多すぎるかも知れないが、地域よって多い少ないの判断はされるもので
しかも議員の議決が必要なこの提案は、最初から勝ち目がないと思われるのに
何故、議案として提出したのですか?と

ここでの石丸氏の答えは驚くべきものだった
この議案の前に、彼が提案した副市長を増やす案は知らないうちに議員たちによって潰されてしまった
だから、こうした知らないうちに進める議会の実態を市民に知ってもらうために(可視化するために)
極端とも言える議員定数半減の議案を提出したと言うのだ

ここでよく分からないのは知らないうちに、、という言葉とかその内容
そこで安芸高田市の議会事務局に電話して調べてみると
まずは副市長を増やす案は市長から議会に提出された
議会はそれについて討論(賛成・反対)が行われ最終的に多数決で否定され
内緒で進められたということはない
もしかして議員同士が内密に集まって反対の方針が決められたことを
言っているかも知れないが、そもそも議員と市長はそれぞれ選挙で選ばれて
(二元代表制)それぞれの役割が違う
首長は予算編成権やら人事権などが市民から委託されているが
議員は行政のチェックを市民から委託されている
だから、内々だろうが表立ってであろうが、首長と議会が反対の意見は珍しくない

実は我が市でも副市長の増員を前市長が議案として出されたことがあった
それは安芸高田市と同様に議会で否決され、それは達成されなかった
そしてその議決は常識的にマトモな判断と思われた

この子どもの喧嘩のような対応は、彼の性格を表しているような気がする
何かを可視化するという言葉以前に、頭にきたから極端に走る
そんなところが自分には見えてしまう
それは年のいった人間の捉え方で、変化を欲している若者は
極論でも突破力のある方法を選択する、、と巷では解釈されるようだが
若者に忖度する必要がない自分は、むしろこの人物の危険性を訴えたいと思う

いやこの人物の危険性と言うより、こうしたことに直ぐに感化され流されてしまう
若者は、もっと本質を把握する力をもてとか、わかりやすいシンプルな断定に
安易に流されるな、、とか、もっと深く考える癖を持たないとアカンとか
そういうことができていないことに不安を覚えてしまう

これらは嫌われる説教なのだろうか?






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