季節の中で 暮らしの中で -Through the seasons and daily life-

現代の都会でプチ昔&田舎暮らし
-old & country style in modern urban life

サムライスピリッツ

2012-04-05 17:59:12 | 暮らし Daily life
夫と一緒に出掛ける事に。
大阪歴史博物館の「日欧のサムライたち‐オーストリアと日本の武器武具展‐」と言うのに行くことにした。夫はサムライらしいと私は思うし、そしてオーストリアが好きなので楽しめるかと思って。

オーストリアのグラーツと言うところにあるエッゲンベルグ城の壁に飾られた絵が、豊臣時代の大阪城と城下町を描いたものだと言う事で企画された展覧会。お互いのその頃の武器武具を展示してある。
まずはオーストリアの方から。

重そう。それが一番の感想。動きにくそう。それでも細かく関節を作ってあったりしてとても美しい。
見ているうちに思ったのは「本気」だ。これは芸術でも飾りでもなくて本当に戦いに出て行く人の命を守るもの。闘いの道具だ。そんな意気込みが感じられる。「死んでたまるか!勝ってやる!」と言う。

次に日本のもの。甲冑も刀も鞘もなにもかも美しい。その時の技術と美の粋を集めて作られているのがわかる。今まで無駄に派手、って思ってた鹿の角や模様などもその必要があって付けているとわかった。獣の力を借りる。紋章の力を借りる。どのどの隅にも無意味な所などないと言うのが初めてわかった。ここでも「本気」を感じた。
芸術ってこういう風に実用たりえるのだなあ。心のよりどころになり、その人を支える。敵味方をわかりやすくさせる、など。

それと一緒に4つの図屏風が並んでいた。一つはそのエッゲンベルグにあるものの写し。ちょっと中国っぽい。次が長篠合戦、信長方が鉄砲を使っている。資料集で見たやつ。そして関ヶ原の戦い。いろんな陣地や旗や人たちが見える。闘いの音が聞こえてくるよう。馬の蹄の音、刀の当たる音、人が吠える声など。
そして大阪夏の陣。
これがそれまでと違った。右から見て行くんだけど始めの人の大きさからして長篠のやつと違う。人がすごく小さい、と言う事はすごく多いと言う事。何千何万の武士が攻め寄せる。それがずっと左に寄って行くと左からは殆ど武士たちが来てなくてやられているのは一般の民衆だ。切られ、川に落とされ、死屍累々。逃げ惑っている。なんだかすごく悲しい気持ちで胸が重くなった。
ここに居たことがあってそれを思い出したかのように嫌な気持ちに。前世?
私はだからこういうの嫌いなのかなあと思った。完全武装して切れる刀で丸腰の一般市民を一刀両断する武士。
それは今の世もいる。私が今まで会ったその人たちはちょっと偉い人だ。すごく狭い分野で研究を深くして自分の考えや判断を固めて固めて鋼のようにしてそれをそれから研ぎ澄まして、それを武器にして丸腰のなんの準備もない市井の人を切り捨てる。私はそれを見るとフェアじゃないなあと思う。そして切られたときはどうするかと言うともうその人には近づかない。私は人を受け入れる守備範囲が結構広いと思うけどそれはダメだ。武芸を磨いて武具を持つならそれ以上に精神的にも倫理的にも磨いて装備するのが本当の武士だと思う。そして戦う相手は同じように研ぎ澄まされた剣と装備を備えた敵。それだとフェアだと思う。

暗い気持ちで「あれ、ほんとに人を切ったかと思うとちょっと引くね。」とか「きれいだけど血なまぐさかったね」などと感想を言いながら会場を出る。戦ってそういうものだ。

そして前から行きたかったスリランカのカレー屋さんに行く。南方の近くらしい。やっと見つけて入って食べたら美味しかった。ちゃんとスリランカのカレーの味がしました。

       

シェフに聞くと、「ランチのセットは日本人に合わせて作ってる。スリランカの料理はこっちにあるよ!」って言ったのが私が選んだカレーだったので良かったと思った。ダルカリーとココナッツチキンカリー。また食べに行きたい。スリランカの食文化は素晴らしいからもっとスリランカの料理出してくれないかなあ。なんて思っているうちにさっきの暗い思いはどこかへ。

夫は長期間に及ぶ激務のせいで疲れているはず。しばらくは休みを取れるみたいなのでゆっくりしましょう。彼はもちろんサムライスピリッツを兼ね備えているサムライですよ。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする