北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

戦艦陸奥爆沈から64年 三式弾の自然発火

2007-06-08 19:04:15 | 防衛・安全保障

■火の手は思わぬところから

 1943年6月8日、今から64年前、柱島泊地に停泊していた戦艦陸奥が後部第三砲塔から突如爆発し、瀬戸内海に沈んだ。大和型に次ぐ長門型の二番艦爆沈は海軍に大きなショックを与えた。弾薬庫の爆発ということで原因は諸説あるが、対空用の三式弾が自然発火したとされるのが有力説のようだ。

Img_4163  写真は、横須賀の戦艦三笠。厳重な管理と規律正しい乗員の訓練の結晶であっても、不幸な事故は起こってしまった。常備排水量15140㌧、本艦も1905年9月11日、佐世保軍港において後部弾薬庫から突如出火し、大破着底するという事故を起こしている。陸奥爆沈事故では1121名、三笠大破でも300名以上が死亡している。

Img_4181  三笠事故の要因は左舷後部弾薬庫の紐状火薬や自然変質による局所温上昇が、結果的に発火点を超え、後部火薬庫が爆発、その後艦内に飛び火し、半舷上陸中の乗員や近傍の艦艇から消防隊が駆けつけるも前部火薬庫への類焼を阻止できず爆発、大破着底してしまった(参考文献『造艦テクノロジーの戦い』吉田俊雄著 光人社 1995刊)。

Img_4177  陸奥は、6月6日、1210時に艦尾部分で爆発を起こし、三番砲塔部分から切断、切断部分から前部は四時間掛けて右舷へ転覆沈没、艦尾も切断部分を海底に向け沈没、乗員1474名の内生存者は353名だけであった。艦内爆発はこの他、巡洋艦松島沈没、巡洋艦日進大破、巡洋艦筑波大破、戦艦河内沈没と続いている(参考資料:月刊世界の艦船通巻528号)。

Img_4207  軍艦の火薬庫は厳重に管理され、注水装置や冷房により管理されていながらも時として不幸な事故が起きるのである。さて、一般の生活に目を移せば、コンセント接続部分の埃と水分の結合、過剰配線、老朽配線からの漏電、落雷の出火など様々な原因がある。この陸奥爆沈から54年、今週末は皆さんも身の回りの思いも寄らない火の元を確認されては、と思う。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

■お詫びと訂正、タイトル部分と冒頭に“陸奥爆沈から54年”と記載していましたが、“64年”の誤りでした。ご指摘の方ありがとうございました。2321時

コメント (5)
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