■T-4練習機の時代
第一回ではT-4練習機がいよいよ旧式化が始まっている、としました。
もうそんな時代なのか、と思われるかもしれませんが確かに流線型の機体と、多くの航空祭で並べられ、編隊飛行から機動飛行までこなすとともに、ブルーインパルスが運用する華麗なアクロバット飛行をみますと、一見、旧式化とは無縁の新鋭機にみえなくもありません。
しかし、T-4練習機はT-33練習機の後継機として導入されたもので、T-33練習機は第二次大戦末期に設計が開始され、もう少し日本の敗戦が遅れたならば、本土決戦の際に投入された可能性があるP-80戦闘機の複座練習機がT-33,設計開始を辿れば帝国海軍の艦載機烈風とあまり変わらないのです、その後継機なのだ、といえば理解が早い。
T-4練習機、200機以上生産された航空機ですので数の上では陸上自衛隊のUH-1多用途ヘリコプターよりも多い航空機であり、後継機については仮に安価な航空機を選定した場合でも、200機を、例えば15年間で生産した場合は年間12~14機程度の調達が必要ということになり、生産に関して取得費用は防衛費に相応の負担となることでしょう。
後継機、練習機の装備体系はT-4が開発された時代と若干変化しています、T-4練習機は中等練習機として設計された、と前述していますが、この通りでT-4練習機が設計された時代には中等練習機での訓練を終えての高等練習機が運用されていました。Tー4が手堅い設計の練習機に特化できた背景には高等練習機が後ろに控えていたからなのですね。
高等練習機にはT-2練習機、日本初の超音速練習機として三菱重工を中心に国産開発された航空機で2005年に全機用途廃止されました。T-2,日本初の超音速機で、96機が生産されたほか、改良型にF-1支援戦闘機が77機生産されています。T-2はT-4練習機の前にブルーインパルスとして運用されていまして、当方も二十年前最後の最後にみることができました。
T-2練習機は超音速飛行が可能で、後期仕様の機体にはレーダーと機関砲が搭載されていました。これによりサイドワインダーミサイルを運用可能、有事の際には補助戦闘機としての能力が期待されていました。改良型としてF-1支援戦闘機も開発されていまして、F-1支援戦闘機は、空対艦ミサイルASM-1を二発搭載し運用できたため、冷戦時代、一個飛行隊18機で36発のASM-1を投射可能、期待された支援戦闘機です。
北大路機関:はるな
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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もうそんな時代なのか、と思われるかもしれませんが確かに流線型の機体と、多くの航空祭で並べられ、編隊飛行から機動飛行までこなすとともに、ブルーインパルスが運用する華麗なアクロバット飛行をみますと、一見、旧式化とは無縁の新鋭機にみえなくもありません。
しかし、T-4練習機はT-33練習機の後継機として導入されたもので、T-33練習機は第二次大戦末期に設計が開始され、もう少し日本の敗戦が遅れたならば、本土決戦の際に投入された可能性があるP-80戦闘機の複座練習機がT-33,設計開始を辿れば帝国海軍の艦載機烈風とあまり変わらないのです、その後継機なのだ、といえば理解が早い。
T-4練習機、200機以上生産された航空機ですので数の上では陸上自衛隊のUH-1多用途ヘリコプターよりも多い航空機であり、後継機については仮に安価な航空機を選定した場合でも、200機を、例えば15年間で生産した場合は年間12~14機程度の調達が必要ということになり、生産に関して取得費用は防衛費に相応の負担となることでしょう。
後継機、練習機の装備体系はT-4が開発された時代と若干変化しています、T-4練習機は中等練習機として設計された、と前述していますが、この通りでT-4練習機が設計された時代には中等練習機での訓練を終えての高等練習機が運用されていました。Tー4が手堅い設計の練習機に特化できた背景には高等練習機が後ろに控えていたからなのですね。
高等練習機にはT-2練習機、日本初の超音速練習機として三菱重工を中心に国産開発された航空機で2005年に全機用途廃止されました。T-2,日本初の超音速機で、96機が生産されたほか、改良型にF-1支援戦闘機が77機生産されています。T-2はT-4練習機の前にブルーインパルスとして運用されていまして、当方も二十年前最後の最後にみることができました。
T-2練習機は超音速飛行が可能で、後期仕様の機体にはレーダーと機関砲が搭載されていました。これによりサイドワインダーミサイルを運用可能、有事の際には補助戦闘機としての能力が期待されていました。改良型としてF-1支援戦闘機も開発されていまして、F-1支援戦闘機は、空対艦ミサイルASM-1を二発搭載し運用できたため、冷戦時代、一個飛行隊18機で36発のASM-1を投射可能、期待された支援戦闘機です。
北大路機関:はるな
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