■美しい古寺の三重塔巡る旅路
三重塔巡り。三重塔とは仏舎利を収めた仏塔といい、我が国では多宝塔の一つとして五重塔と共に古くから全国に造営されています。いずれも趣き高く美しい。
2020年にはじまったCOVID-19の世界的流行禍は2021年にも世界へ影響を及ぼすところではありますが、こうした時代にこそ落着きを探したいところです。此処で一つ主題が無ければ右往左往してしまう、まるで大学入学したての学生が方向性なく乱読するように。
三重塔。近世のものに限定して巡ろうという不可思議な方向性を示しまして、真如堂や清水寺といつも通りの散策を繰り返したのですが、西の正倉院、こう呼ばれる寺院が岐阜県にありまして、西美濃三十三霊場の第一番札所だともいう歴史を秘めた寺院、興味高まる。
山寺の静けさ、これはCOVID-19の世界的流行禍というご時世においても、それは活気が無い事を示す同義でもあるのですが、静けさの漂う寺院というものは心地よい。実際、COVID-19の時代には、雑踏と混雑と云うもの、これには若干の恐怖と危険が伴うもの。
横蔵寺。薬師如来を奉じる天台宗の寺院に寛文年間造営の三重塔があると知りまして、一つ歩み進める事に。天台宗ということですから、建立は相当に古く調べれば延暦20年、西暦ですと801年に建立されたと伝わる。椛でも有名といわれるが、活力湧く青椛も美しい。
西美濃三十三霊場第一番札所という。西美濃三十三霊場といいますとコロナ時代もお世話になる岐阜基地撮影、この基地を眼下に収める仏眼院という山頂の寺院がこの札所だったと思いだし、そのあたりだろうと考えて地図を探せば、いやいや大垣の北方にあるという。
揖斐郡揖斐川町谷汲神原、近鉄谷汲駅や名鉄谷汲駅がかつて在ったところから更に奥へ進んだ立地で近鉄線は赤字にて養老鉄道に分社化され名鉄線は名鉄岐阜駅まで路線ごと廃線となった、駅舎は博物館で現存するも、自動車でなければ路線バスでは相当に難渋します。
三和次郎大夫藤原助基が開基となった横蔵寺、国道21号線から自治体管理の三桁国道の青々とした木々と椛の大海に道は進み、最後は県道という絹糸のような細い道が続き至る寺院、一応、養老鉄道揖斐駅から町営コミュニティバスが毎日数本運行されているよう。
最澄が彫像の薬師如来を安置し創建した寺という、こう説明されるのですが、天台宗の開祖最澄が桓武天皇の命により延暦寺を造営する前、全国を行脚した際にここ谷汲にも教えを説きに参りまして、その際に薬師如来像を贈ったという。揖斐三輪神社でも聞いた話だ。
薬師如来、瑠璃光を発して人々を苦渋と病魔から救うという信仰がありまして、既に桓武天皇から重用されていた最澄自身が薬師如来像を背負って行脚したのかという史実の探求は兎も角としまして、今日の時勢を思い返しますと、こう、手合わせて拝みたくなります。
比叡山、最澄は延暦寺造営の前にも受戒した後に山での修業を積んでいます、受戒と樹海、という訳ではないのでしょうが山林修行といいまして、恰も後に親交を結ぶ空海が中国から持ち帰る密教と通じる理念ですが、天台教学を独自に解釈し山林修行に繋がった構図で。
横蔵寺が山中にあるという実情も山林修行と繋がっているようにおもえます。この天台教学も日本の物ではなく大陸よりかの、鑑真、日本に伝来させたものでして、高雄山は高雄山寺での法会において桓武天皇により注目される事となり、次第に国家宗教へ進んでゆく。
薬師如来像について面白い伝承がありまして、最澄が全国行脚の際に背負った薬師如来像はこの地で動かなくなったため、ここに寺院を置く事とし、これを受けありがたい仏像を奉じる為には三和次郎大夫藤原助基が寺院を造営することになった。西暦803年のこと。
木造薬師如来坐像、木造大日如来坐像、木造四天王立像、木造十二神将立像、木造深沙大将立像、木造金剛力士立像、板彫法華曼荼羅、西の正倉院は鎌倉時代には山坊里坊の三八坊有する大寺院であったといい、ただ伽藍は更に1km程すすんだ山頂付近にあったという。
平安朝の時代から鎌倉期の仏像を多数奉じる寺院、西の正倉院と呼ばれます由来ですが、石段と石垣とが重厚に続き重なり、初冬には椛の紅葉に活況が包むとの事だけれども、青椛の季節は恰も岩石が音を吸い込むが如く静かで、しかし寺域は快く掃き清められている。
紅葉の季節には“もみじ祭り”としまして多くの拝観者でにぎわう、という。それは同時に混雑をも意味しますので、すると静かに椛に包まれた伽藍に心の散策と思索の瞑想を愉しむには、青椛が活力を解き放つ季節の方が、拝観の愉しみを満喫できるのかもしれない。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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三重塔巡り。三重塔とは仏舎利を収めた仏塔といい、我が国では多宝塔の一つとして五重塔と共に古くから全国に造営されています。いずれも趣き高く美しい。
2020年にはじまったCOVID-19の世界的流行禍は2021年にも世界へ影響を及ぼすところではありますが、こうした時代にこそ落着きを探したいところです。此処で一つ主題が無ければ右往左往してしまう、まるで大学入学したての学生が方向性なく乱読するように。
三重塔。近世のものに限定して巡ろうという不可思議な方向性を示しまして、真如堂や清水寺といつも通りの散策を繰り返したのですが、西の正倉院、こう呼ばれる寺院が岐阜県にありまして、西美濃三十三霊場の第一番札所だともいう歴史を秘めた寺院、興味高まる。
山寺の静けさ、これはCOVID-19の世界的流行禍というご時世においても、それは活気が無い事を示す同義でもあるのですが、静けさの漂う寺院というものは心地よい。実際、COVID-19の時代には、雑踏と混雑と云うもの、これには若干の恐怖と危険が伴うもの。
横蔵寺。薬師如来を奉じる天台宗の寺院に寛文年間造営の三重塔があると知りまして、一つ歩み進める事に。天台宗ということですから、建立は相当に古く調べれば延暦20年、西暦ですと801年に建立されたと伝わる。椛でも有名といわれるが、活力湧く青椛も美しい。
西美濃三十三霊場第一番札所という。西美濃三十三霊場といいますとコロナ時代もお世話になる岐阜基地撮影、この基地を眼下に収める仏眼院という山頂の寺院がこの札所だったと思いだし、そのあたりだろうと考えて地図を探せば、いやいや大垣の北方にあるという。
揖斐郡揖斐川町谷汲神原、近鉄谷汲駅や名鉄谷汲駅がかつて在ったところから更に奥へ進んだ立地で近鉄線は赤字にて養老鉄道に分社化され名鉄線は名鉄岐阜駅まで路線ごと廃線となった、駅舎は博物館で現存するも、自動車でなければ路線バスでは相当に難渋します。
三和次郎大夫藤原助基が開基となった横蔵寺、国道21号線から自治体管理の三桁国道の青々とした木々と椛の大海に道は進み、最後は県道という絹糸のような細い道が続き至る寺院、一応、養老鉄道揖斐駅から町営コミュニティバスが毎日数本運行されているよう。
最澄が彫像の薬師如来を安置し創建した寺という、こう説明されるのですが、天台宗の開祖最澄が桓武天皇の命により延暦寺を造営する前、全国を行脚した際にここ谷汲にも教えを説きに参りまして、その際に薬師如来像を贈ったという。揖斐三輪神社でも聞いた話だ。
薬師如来、瑠璃光を発して人々を苦渋と病魔から救うという信仰がありまして、既に桓武天皇から重用されていた最澄自身が薬師如来像を背負って行脚したのかという史実の探求は兎も角としまして、今日の時勢を思い返しますと、こう、手合わせて拝みたくなります。
比叡山、最澄は延暦寺造営の前にも受戒した後に山での修業を積んでいます、受戒と樹海、という訳ではないのでしょうが山林修行といいまして、恰も後に親交を結ぶ空海が中国から持ち帰る密教と通じる理念ですが、天台教学を独自に解釈し山林修行に繋がった構図で。
横蔵寺が山中にあるという実情も山林修行と繋がっているようにおもえます。この天台教学も日本の物ではなく大陸よりかの、鑑真、日本に伝来させたものでして、高雄山は高雄山寺での法会において桓武天皇により注目される事となり、次第に国家宗教へ進んでゆく。
薬師如来像について面白い伝承がありまして、最澄が全国行脚の際に背負った薬師如来像はこの地で動かなくなったため、ここに寺院を置く事とし、これを受けありがたい仏像を奉じる為には三和次郎大夫藤原助基が寺院を造営することになった。西暦803年のこと。
木造薬師如来坐像、木造大日如来坐像、木造四天王立像、木造十二神将立像、木造深沙大将立像、木造金剛力士立像、板彫法華曼荼羅、西の正倉院は鎌倉時代には山坊里坊の三八坊有する大寺院であったといい、ただ伽藍は更に1km程すすんだ山頂付近にあったという。
平安朝の時代から鎌倉期の仏像を多数奉じる寺院、西の正倉院と呼ばれます由来ですが、石段と石垣とが重厚に続き重なり、初冬には椛の紅葉に活況が包むとの事だけれども、青椛の季節は恰も岩石が音を吸い込むが如く静かで、しかし寺域は快く掃き清められている。
紅葉の季節には“もみじ祭り”としまして多くの拝観者でにぎわう、という。それは同時に混雑をも意味しますので、すると静かに椛に包まれた伽藍に心の散策と思索の瞑想を愉しむには、青椛が活力を解き放つ季節の方が、拝観の愉しみを満喫できるのかもしれない。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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