北大路機関

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【日曜特集】百里基地航空祭二〇一二【11】第305飛行隊機動飛行の完了と格納庫装備品展示(2012-10-20)

2022-08-14 20:03:00 | 航空自衛隊 装備名鑑
■筑波山とイーグル
 進路筑波山へと予科練生徒が目指した筑波山を背景に繰り広げられたイーグル機動飛行もいよいよ終盤へ。

 F-15戦闘機は科学的な戦闘機である、その科学とは設計哲学と一種職人芸的な技術者の設計論理を数時により説明した運用者の要求に裏打ちされたもので、その設計が多くの運用者、つまり操縦者に支持されたことがF-15,イーグルの長い寿命に繋がったといえます。

 ジョンボイド少佐、空中攻撃研究、1958年にこの理論は"空中攻撃研究"として論文化し、旋回により失われるエネルギーを機動と対抗機動の垂直エネルギーと平面外三次元エネルギーの相関関係から理論化し、不利な状況から40秒間で立て直す理論を構築しました。

 空中攻撃研究、そのボイド少佐は1968年、ヴェトナム戦争の北爆をめぐる航空優勢確保が激化するなか、FX研究開発の評価を命じられます。当初は鈍重なF-105が軽量なMiG-21に間合いを詰められた際に"空中攻撃研究"の理論が応用されていたのですが、注目がここ。

 ゲイブリルディソスウェイ空軍大将は、ジョンボイド少佐へ、理論に戦闘機を逢わせるのではなく、理論を最適化する戦闘機を開発しろ、という命令です。ここから戦闘機至上主義の、俗に“戦闘機マフィア”と呼ばれる一団が、戦闘機開発へ邁進してゆく事となる。

 トムクリスティー技師、エグリン空軍基地でのコンピュータ主任であったクリスティー技師は、理論を検証するにはコンピュータの計算が最適としボイド少佐との協力関係が生まれ、形状は、重さは、出力は、武装は、こうして理想的な可変翼戦闘機が開発されてゆく。

 可変翼!、と驚かれるかもしれませんが当時のイメージ図もFXは可変翼が多い。F-111が可変翼戦闘機であり、またF-4ファントムでさえ可変翼型が研究されていました、可変翼戦闘機は夢の技術、翼面荷重に最適化した角度を構成できるという意味で優位性が在った。

 F-111は失敗作でも可変翼理論は失敗作ではないとばかりに、FXも可変翼機となる計画でしたが、計算を続ける際にボイド少佐は、なぜ可変翼なのかという根本疑問に達します。そしてコンピュータを用いて固定翼と可変翼の比較を実施した結果、そこに意外な結果が。

 固定翼か可変翼か。機動性を追求した場合、翼面荷重の急激な変化に対して可変翼は最適解ではないという視座にたどり着きました。F-15はこの時点ではF-111のように巨大で、F-111のように可変翼という、機体となる展望でしたが、ここが一新してゆくのですね。

 要するにF-111を並列複座から単座としたうえで垂直尾翼を一本増やしたような概念でFX研究が進められていました。固定翼へ、これは可変翼は整備煩雑化とともに構造寿命が構造複雑化により短縮してしまいますので、短命だったのかもしれません、そうF-14の様に。

 F-14トムキャット、実は製造メーカーであるノースロップグラマンのうちノースロップ社は長く可変翼に懐疑的であったのは皮肉ですが、AIM-54フェニックス空対空ミサイルと管制能力で、非常に優れた艦隊防空戦闘機であるものの、2005年に用途廃止となっています。

 飛行展示がひと段落したようなので格納庫に移動します。航空祭は格納庫の展示御重要です、いやいや飛行展示だろうと超望遠レンズにテレコンを幾つも取り付け戦闘機を空に追う方々には反論されるかもしれませんが、いや、それは予行でも撮影できる構図とおもう。

 ASM-1空対艦ミサイルに500ポンド爆弾、訓練弾で爆発しないものなのですが並んでいる。ASM-1は80式空対艦誘導弾で日本が初めて制式化した空対艦ミサイル、射程40kmでF-1支援戦闘機に搭載し航空阻止任務に充てるもの、F-4に搭載することで運用幅を広げました。

 イーグルとトムキャット、F-14はAWG-9レーダーと操縦士に加えレーダー管制士官が搭乗し165kmの距離で敵を落とす高い迎撃能力があるも、機体も運用費用も高かった。主翼形状はF-15が2020年代まで残る傑作機となる要諦の変更の一つだったのかも知れません。

 ジョンボイド少佐、もっともF-15の出来に満足していたのかと云われますと、試作機をみて、なんてことだこれは重すぎる、と落胆したともいわれまして。これは理想はあっても現実の要求を内部化すると、最適解から離れてゆく、という証左ともいえるのでしょうか。

 イーグルは巨大すぎましたが、ジョンボイド少佐はもともとレーダーも搭載しないドッグファイト専用戦闘機を構想していたといい、これはミサイルの機動性が限定されていた時代には機動力でミサイルを振り切るという発想も成立ったのかもしれないが、今日的には。

 ドッグファイト専用機というものを目指していたジョンボイド少佐、続いて開発されるF-16戦闘機などは良い線を行っていたのかもしれませんが、もう一つ感じるのはイーグルの設計開発とともに戦闘機の開発は巨大化するという、経験が蓄積されたという視点で。

 プロジェクトマネジメント、日本の戦闘機開発始め装備開発で最も苦手とされる分野だと思うのですが、アメリカはイーグルの開発で、巨大な計画は一人の責任者の手におえるものではなく独り歩きを始め、理想から離れてゆく事を学んだのではないか、と感じますが。

 プロジェクトマネジメントの重要性、イーグルの開発を契機に学んだ部分が、続く戦闘機開発、F-22戦闘機やF-35戦闘機開発におけるプロジェクトマネジメント、全体計画の共有というものに繋がったのではないか、こう考えるのです。ジョンボイド少佐の失敗から。

 イーグル、しかしドッグファイト専用機とはなりませんでしたが、レーダーはじめ必要な装備品を搭載しチタン合金さえ多用した頑丈な機体とともに世界最強のエンジン双発で無理矢理機動性を確保するイーグルは、失敗作とは真逆の成功した戦闘機といえるものです。

 ストライクイーグルにイーグルⅡ、イーグルは今なお生産を続けていまして、正直なところ自衛隊も国産戦闘機開発よりは、今難航しているイーグルの近代化改修、アメリカのボーイング社の見積もりが四倍に高騰しているものは諦めて、新造機を買えば、とおもう。

 イーグルが成功作と云えて傑作機であると確信する背景には、運用当事者、操縦士から整備員に指揮官まで信頼しているからこそ、これを土台に新しい運用や改良型により運用幅を増やすという施策が執られる為で、こうした寿命の長い戦闘機は世界に中々ありません。

 ステルス性の低さは、ある。しかし、イーグルは搭載力も非常に大きく、ストライクイーグルという戦闘爆撃機型が開発されており、これをもとにイーグルⅡが開発され、アメリカ空軍に採用された、恐らく2050年代まで運用が続き、初飛行から90年続く可能性が。

 機上集塵器2型こと放射能集塵装置。さて、装備品展示もここまで歩いてきましたが、この写真は2012年というあの東日本大震災から翌年という、福島第一原子力発電所事故の記憶が生々しい時期での撮影です。この装備はチェルノブイリ原発事故始め活用されている。

 2022年の視点から見ますと原発事故は過去の、こう願いたかったものですがいまの時点でウクライナに侵攻したロシア軍は欧州最大のザポリージャ原発を占領し要塞化するとともに原発を起点に周辺部を攻撃している、またこの装備を使わず済むよう、祈りたいですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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