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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

体心魂・・・自分の傾向と渇望を分けてすっきり!(傾向と渇望 5/10)

2010-10-20 | 第三章「無意識の世界」
 昨日、四ツ谷に行ったついでに、孫娘が見たくなり、ちょっと遅かったが寄ってみた。突然寄って、子育ての忙しいなかで悪かったかなと思っていたが、意外に爽やかな感じで娘は迎えてくれた。部屋も随分片付き、どういう変化かと気になった。

 娘いわく、最近≪断捨離≫(やました ひでこ)著を読んで実践しているとのこと。整理整頓というか、モノへの対応術というかなのだろうか、実戦するとストレス解消で気持ちがいいとも。私の整理整頓について話すと。いやまだまだ・・・と本をよんだらと進めてくれた。

 自分の拙い経験からしても、整理整頓が悪いー>いらいらするー>場合によっては感情転移ー>さらにイライラする。という悪条件を生む。そして、私もこの夏試行錯誤したが、いらいら感は激減。当然家庭内での人間関係も良くなった。また、この整理整頓はモノに対する知覚を変える。愛の知覚に近いかもしれない。その知覚に感動することも。

 ≪断捨離≫はどういうものか、まじめに研究(心理学的に)してみても面白いかもしれない。

 さて、このところ、自分の≪傾向と渇望≫を考えているが、漠然と考えても判らないものである。自分のこういう傾向は変かなあとか、いろいろ考えるが不安をます。時にはパンドラの箱を開けるように、自分の細かいところまで気になってしまう・・・しかし、上手く対応する方法があるのだ。

 ≪生き甲斐の心理学≫を学んで、素晴らしい、それこそ娘の≪断捨離≫にあたるよう智恵を得た。それは、人間が、成育史からなるこころ、身体、そして魂(この定義を、死んだ時身体から離れる生命体、愛そのもの)からなるという智恵である。そして、この定義から考えると、自分の≪傾向と渇望≫も心と身体と魂に分類されるはずだ。あるいは、分けて考えることができる。

 自分のこの傾向は身体から来る。

 自分のこの傾向は7歳前後の、この一連の出来事から来る。

 自分のこの傾向は魂から来る。

 こんな風に分類できることもあろう。因みに、欧米では身体は医者、こころは心理療法家、魂は宗教家がケアすると考える人が多いようだ。そして、この分類の智恵は、さまざまな場面で適応でき、劇的にストレスを減少できることも経験した。

 断捨離ではないが、体心魂(たいしんこん?)だろうか。

傾向と渇望 5/10

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