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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分のなかの古風な日本!(傾向と渇望 9/10)

2010-10-24 | 第三章「無意識の世界」
 遷都1300年もあり、いろいろ古代の日本の勉強をしているが、生き甲斐の心理学を学ぶ学徒の私にとっては、単に日本の古代の歴史や文化に親しんだり楽しんだりするのではなく、ちょっと変わった目的もある。

 自分自身の中にある、日本人のくうき。いつの間にか親から祖父母から、そして親戚縁者や学校、社会から刷り込まれてきた日本人の空気である。それは、アラスカでもアフリカでも、西欧文化でもない。いつもは気がつかないが、異文化に触れたりするとき、自分の人生の様々な困難にぶつかったするときに、何となく気がつくもの。そして、それは結構深く自分の中に根を下ろしている。

 この夏以降、そんな日本人のくうきが自分をどう支配してきたか、あるいは厳しい人生でその空気がどのように導いてきたかを考えてきた。心理学の勉強は、表面的な知識の収集ではなく、自分にとって、何だったかという視点がとても大切で、それ故に役に立つものになるのだと思う。

 空気といっても、抽象的で何だかわからないので、私にとっての御先祖様を2世代前の祖父母たちに見立てて、祖父母たちとの関わりを研究してみたのだ。祖父母たちは明治の人である。そして、祖父母たちは江戸時代の雰囲気も知っている。しかし、江戸の文化は日本の古代からの歴史の延長なのである。

 その研究で、幾つか気がついたことがあったが、その中の一つを簡単に御紹介しよう。

 1000年前の源氏物語。浮舟が好きなのだが、浮舟は悩み、宇治川に身を投げる。最終的には横川の僧に助けられて、生き抜くのだが、自殺を決意するときの心境は、私の困難に遭遇したときの心境に似ているのだ。日本書記には、汚れと禊ぎのイザナキの話が載っているが、その神話ともどこか通じているように思えてならない。イザナギは黄泉の国で妻を失った後で禊ぎをする。浮舟は宇治川に身を投げて横川の僧に出会う。・・・

 今さらながら、今私があるのは、古代からの日本の文化のお陰かなと思う。

傾向と渇望 9/10

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