カウンセリングや傾聴の基本的な理論として、カールロジャースの6条件が有名である。生き甲斐の心理学を学んで行くと、この6条件が大切にされる。初学者もそうであるが、10年勉強しても同じように大切にされる。それだけのことはあると思う。
その6つの条件のはじめに、心理的接触の状態を目指すというポイントがでてくる。
これは、一般にラポールと呼ばれているもので、わたしも20歳台のころは社会人になると、営業職についたが、そのころでも研修でよくでてきた言葉であった。
人と人が、お互いに心を開きあうためには、ちょっとしたことかもしれないが出来事が必要だ。それがないままに、例えば営業マンであったら、商品の売り込みをするなどしてもダメなのである。聞いている振りをしても、はやく帰って欲しいと思ってたりする。
カウンセリングも同じである。早く、この場が終われば良いと思ったりする。
心理的接触がない状態か判断するには、熟練(真剣さかもしれない)が必要だとも思う。実力のない人ほど、もう心理的接触ができたと思い込みがちである(自戒をこめて)。
さて、トピックスをひとつ。万葉集のことである。橋本治氏の本を読んだりして古代の系図を勉強した応用でもある。
原万葉集のようなものがあったとされる。持統天皇が中心だったとも言われる。舎人親王が中心に作ったのかもしれない。
万葉集の巻頭には、有名な雄略天皇の歌がのっている。「籠もよ み籠持ち・・・」である。
何故、この歌が載っているか、いつも不思議に想っていた。しかし、持統天皇が選者の一人と考えるとなにか納得できる。天皇家の血筋の正当性を言外に言うのに雄略天皇は最適なのだ。
歴史をご存知の方は、古代、継体天皇の時代に男系が途絶えたことをご存知だと思う。ちょうど、持統天皇のお祖父さんのお祖父さんの時である。そのときに、天皇の娘さん(天皇家に繋がりがより強い)が大切にされた歴史がある。それは持統天皇のお祖父さんである舒明天皇まで苦労したのだ。
持統天皇も、天皇を継ぐ時に、そのときの論理は大切だったに違いない。
「籠もよ み籠持ち・・・」の原万葉集は、そんな正統性をどこかで語っているのだと思う。
もし、これが鎮魂の歌集とすれば、神仏とのラポールであると思う。
こころの声 2/10