1000年前も今も、環境は変わっても人の生き様はあまり変わらないようだ。
生き抜くために、他人のことはかまっていられない。そうした人の搾取性は一般的なもののように思える。特に資本主義の世の中は、そんな傾向に拍車をかけるようでもある。
ただ、不思議なことに、こうした搾取性を恥じたり反発するこころの動きもある。それもどうも一般的なことのようである。そして、その行動は正反対の贈与という行動となったりする。
さて、私は7才のときに南東アラスカのシトカというところに約一年暮らした経験がある。勿論今はU.S.Aであるが、私が暮らした当時は、やっと準州から50番目の州になったころで、歴史をたどると、ロシアに占領されていて、その前はモンゴロイドが暮らしていた土地である。
シトカにはハイダ族やクリンギット族も暮らしている。そして、彼らには不思議な習慣があった。ポトラッチというものである。これは、その社会での尊敬の的は、如何に所有するかではなく、如何に所有したものを贈与するかにあり、気前良く自分のものを贈与することが重んじられる。クリンギット族の神話を読む機会があったが、以前書いたブログにも書いた。
厳しい世の中であれば、何となく搾取性に固執したり、逆に自分の搾取性に悩んだりする。
そんな時に、そう単純でもないかもしれないが、贈与やポトラッチ、あるいは様々な神話に想いを馳せると何かがみえてくるようである。大金持ちが信じられない寄付をしたり、あるいは、巨万の富をつぎ込んだ文化財を公開したりするのも、それほど不思議ではないと思えてくる。
こころの解放 4/10